弁護士の肖像:2013年11月号 Vol.36

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

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渥美雅子法律事務所
 弁護士
 渥美 雅子

何事にも懸命に取り組み、早くから自立心旺盛だった少女

弁護士としてのキャリア47年。渥美雅子は、現在もホームグラウンドにしている千葉県の女性弁護士第1号で、文字どおり草分け的な存在として、自ら道を切り拓いてきた。離婚や相続、少年事件など、とりわけ家族の問題に通暁する弁護士として知られ、今も「ぜひ、渥美先生に」と、日本全国から相談が寄せられている。長いキャリアだけではない。法律的な観点を超え、人心にとことん寄り添い続けてきた渥美には、相談者の人生をも包み込む、強さと温かさがある。 1940年、静岡県浜松市で誕生。日本が第二次世界大戦に突入する前年に生まれた渥美の記憶は、戦争体験から始まる。灯火管制で真っ暗闇になった町を、防空壕めがけて懸命に走る様。それが、覚えている最初の自分の姿だ。 浜松市には日本陸軍の高射砲連隊がとどまっていたので、早くから米軍に狙われ、毎晩のように爆撃を受けていました。空襲警報のサイレンが鳴れば、すぐに逃げられるよう、枕元には防空頭巾を置いてね。食うや食わずで、生きるのが精一杯。子供時代に楽しく遊んだという記憶はないですよ。終戦は疎開先で迎えましたが、大人たちが泣いたり騒いだり、何かいつもと様子が違うなぁと感じたのを覚えています。 明治生まれの父は、いわゆる男尊女卑を絵に描いたような人で、「オンナなんて人間じゃない」くらいの感じ。私が生まれても、「跡継ぎにならない」と思ったのでしょう、父は母を入籍していなかったんです。10歳下の弟が誕生した時に大喜びし、ようやく私も嫡出子になったという話。家庭は封建的なムード一色で、誰もが、父には絶対服従です。母は、きつい言葉の暴力をずいぶん受けていましたが、でも、経済力がないから自分で食べていくのは難しい。「もう我慢できない」と毎日のように言いながらも、結局、離婚しませんでした。「女性も手に職をつけなきゃダメよ」――それが母の口癖。私は、「稼げるようになったら母を救出してやろう」と、いつも考えているような子供でした。 今も、女性の多くは、離婚すれば生活水準がドンと落ちるのが現実です。だから迷うし、苦しむ。相談に乗っていると「母親と同じだな」「経済力がないのは弱いことなんだな」と、身に沁みて感じるんです。私は〝元祖離婚弁護士〞と呼ばれることもあるんですが、どこか根っこで、子供の頃の家庭環境が影響しているのかもしれません。 父親は、渥美を〝一人前の人間〞、つまり男の子として育てようとしたらしい。賢く、強く――その期待値は高く、成績も運動も常にトップであることが求められた。ゆえに、何をしても優秀。元来は本を読んだり、詩を書くことが好きなおとなしい少女だったが、中・高校時代は、熱中した演劇を通じて表舞台に立ち、様々な場面において、その利発さを発揮するようになった。 引っ込み思案だった私が変わったのは、中学生の時、JRC(青少年赤十字)の活動に取り組むようになってから。通っていた中学は、学校全体がJRCに加盟していて、外国の子供たちとの交流や、様々なボランティア活動に熱心だったのです。見知らぬ遠い外国に触れるのは刺激的だったし、また、寄付金を集めたり、施設を訪問するなどのボランティア活動は、勉強や読書とは違った手応えがありました。懸命に活動した甲斐があって、東京で開催されたJRCの全国大会に静岡県代表の一人として参加できたのは、大きな思い出です。JRCの活動を通じて、奉仕の精神や正義感みたいなものが培われたのか、私は、自然とリーダーシップを取るようになっていきました。 高校生になってから、2つやらかしたことがあります(笑)。先生を追い出した事件。一人は社会科の先生です。彼の授業は教科書を読むだけで、何の解説もなければ、自分の言葉で何かを教えるわけでもない。同級生たちは皆、問題にしながらも行動に出ないので、看過できないと思った私は、2学期の期末試験で白紙答案を出したんです。抗議の意味を込めて。当然、職員会議で大問題になり、呼び出しですよ。私としては処罰は覚悟のうえ。「教科書読むだけだったら、私にもできます」と訴えたのです。校長がキャパシティの大きな先生でね、結果処罰なし。声を聞き入れてくださった。静岡県立浜松北高校は、当時、男子がほとんどの進学校でしたが、生徒の個性を尊重する、とても自由な校風の学校でした。 そしてもう一人は、私が所属していた演劇部の顧問。先生が書きおろした『渦』という芝居を演じて、県のコンクールで優勝したこともあるんですが、その台本がピークだったと、私は勝手に判定。その後の台本は駄作に見えたし、「このままではいけない」と思ったから、体よく交渉して、顧問を下りてもらったのです。生意気もいいところでしょ(笑)。周りからは前代未聞だと言われましたが、でも、ゆるがせにできない問題に対しては口を開く――そういう気質があったんでしょうね。

混沌とした時代を経て、司法試験を目指す。猛勉強の末、22歳で合格

数々のヒロイン役を演じる一方で、「書くことが大好き」だった渥美は、脚本も手がけていた。女優になるか、脚本家になるか。いずれにしても、将来は演劇の道に進もうと、渥美は東京の大学を目指す。「親元を離れて自由になりたい」という思いも強かった。ただし、父親から出された条件がある。「法学部に入ること。でなければ学費は出さない」。かつて、司法試験を狙ったことがある父親は、その果たせなかった夢を渥美に託したのである。
私としては文学部志望でしたが、学費のことを考えれば、逆らえませんでした。それで合格した中央大学の法学部に進学したのですが、内心では「絶対に父のいうとおりにはならないぞ」と。息のつまる実家を出て、晴れて一人暮らし。高校の上級生だった恋人、今の夫は先に上京していたので、それはもう、二人して舞い上がりましたよ。...(以下略) 続きをご覧になりたい方は、バックナンバーをお取り寄せ下さい。すでに在庫がない号もありますので、予めご了承下さい。

■プロフィール

  • 渥美 雅子 あつみ・まさこ
  • 渥美雅子法律事務所
  • 弁護士
  • 第一東京弁護士会・18期
  • 1940年10月1日 静岡県浜松市生まれ
  • 1963年3月 中央大学法学部卒業
  • 1963年9月 司法試験合格
  • 1966年3月 司法修習修了
  • 1966年4月 弁護士登録
  • (第一東京弁護士会・18期)
  • 1966年10月 千葉県弁護士会に移籍
  • 内山法律事務所入所
  • 1972年4月 渥美雅子法律事務所開設
  • 1997年10月 渥美講談塾創設
  • 家族構成=現在は夫と2人暮らし