弁護士の肖像:2014年3月号 Vol.38

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

弁護士の肖像

伊藤塾 塾長
 法学館法律事務所 所長
 弁護士
 伊藤 真

海外に出たことで得た様々な気づき。そして、培われた逞しさ

伊藤真を法曹界に導いたのは、日本国憲法だ。大学3年生の時、憲法理念の根幹である憲法第13条「個人の尊重(尊厳)」に触れ、得心したことが、今日の道を歩ませた。 23歳で司法試験に合格した伊藤は、実務家ではなく、法学教育者としての道を選び、以降30年以上にわたって、志の高い法曹や行政官の育成に全力を尽くしている。受験指導校として名高い「伊藤塾」塾長として教鞭を執り、また、〝憲法の伝導師〞として年間100回以上の講演を行うなど、活動の日々はエネルギーに満ちている。根っこにあるのは、伊藤が最も大切にしている憲法の理念、その価値を、広く社会に伝えたいという深甚なる思い。「人の心に火を点けるのが自分の使命」――伊藤にとって、教育者はまさに天職である。 けっこう悪ガキで、教室の中で暴れたりしていたんですよ。小学生の時、担任についた新任教師を「教え方がおかしい」と、いじめてしまったりね。それが変わったのは、5年生になってからです。きっかけは、音楽の先生に勧められてトランペットを始めたこと。やってみたら面白くて、夢中になりました。もうひとつ、交通事故を減らす目的で指導、開催された「自転車の正しい乗り方競技会」というのがあって、私は埼玉県で3位になったんですよ。褒められることのうれしさ、何かを頑張ることの達成感を知ったのでしょう。それから、少しまともになりました。 中学に進学してから、教師をしていた父が、デュッセルドルフの日本人学校の初代校長として赴任することになり、家族でドイツに渡ったんです。今でも鮮明に覚えているのですが、ドイツに向かう飛行機からヨーロッパの地上を見下ろした時、「えっ?」と思ったことが2つあって。「国境線が見えない」「国々が色分けされていない」。学校で教わったヨーロッパの地図とは全然違ったわけです。当たり前の話ですけど(笑)、私には驚きでした。 現地のオーケストラに入ったり、サッカーをしたりと、いろんな国の人と触れ合っていました。時にはアジア人を一くくりにした差別にも遭ったけれど、結局のところ、いいヤツも悪いヤツも人それぞれ。人間を国籍や人種でくくっても意味がない。誰にだってそれぞれの人生がある。そう考えるようになったのです。今振り返ると、「人は皆、同じ。人は皆違う」(個人の尊重)という憲法の根本的理念に惹かれたのは、ドイツでの様々な経験が素地になっているように思います。 もとより感受性が強く、好奇心も旺盛だったのだろう。ドイツでの生活は2年弱だったが、伊藤少年は、見聞きしたものすべてを取り込んだ。高校進学を目前に控え、ひと足先に帰国することにした伊藤は、途次、アテネやカイロといった都市を巡りながらの一人旅を敢行。15歳である。母親はひどく心配したが、父親は「可愛い子には旅をさせよ」の思いで、伊藤の好きにさせたという。 あちこち、自分で宿探しをしながらね。ただ当時、さすがにカイロだけは物騒だというので、親が現地の知人にアレンジを頼んでいたんです。ところが、先方が日にちを間違えていて、誰も空港に迎えに来ない。そこから彼に会えるまでの1日は、もう大冒険ですよ(笑)。街には銃を持った兵隊もいるし、怖かったけれど、道を聞きながらバスに乗り、ホテルを探し……。でも私は、ちゃっかりホテルでいい食事をし、運転手兼ガイドを雇ってピラミッドを回りと、図太いものです。請求は、平謝りだったくだんの彼にお願いしました(笑)。どういう状況でも、自分で何かを切り開くという感覚を得た旅でしたね。 帰国してからは、父の知人宅に居候させてもらいながら受験勉強し、東京学芸大学附属高校に進学しました。もともと私は、自分でラジオや自転車を組み立てるほど、ものづくりが好きで、理系志向だったんです。でも、海外に出たことで〝日本〞をすごく意識するようになり、3年間、部活で打ち込んだのが弓道。「大和魂とは何ぞや」とか、それこそ武士道とかにのめり込みながら、弓を引いていました。 加えて、好きだった日本文学や歴史をひもとくうちに、日本国のために何かしたいという思いがだんだん熱くなってきて、外交官になりたいと思い始めたのです。明治時代に、不平等条約の改正に辣腕を振るった陸奥宗光など、ああいう外交官になりたかった。やはり、また外国に出たいという気持ちもあったのでしょう。

憲法と〝本質的〞に出合ったことで、定まった法曹への道

外交官になるための近道として選んだのが、東大法学部だった。理系から文系へ進路変更しながらも、一発合格。ずっと続けてきたトランペットを手に東大オーケストラにも入り、意気高く始まった学生生活だったが、当の外交官への思いは、早々に沈むことになる。「想像していたものとはまったく違った」からだ。
外務省にいる先輩に、いろいろと話を聞いてみたんです。そうしたら、「今の外交官の仕事は、政治家の接待と、現地の新聞を翻訳して本省に送るとか、そんなのばっかりだよ」と。重要な交渉は各省の官僚が直接やるから、そのお膳立てが仕事だと言うわけです。それじゃあ違う。真偽のほどはわかりませんが、私は一気に熱が冷めちゃって。それでもやっぱり、外国に出たい気持ちがあったから、次に目指したのが商社マン。必要なのは人脈だろうと、「友だちをつくる」という名目の下、六本木で遊んでいました(笑)。
決定的な出来事があったのは3年生の時。遊び仲間だったアメリカ人ジャーナリストが、自国に戻ってロイヤーになるという話を聞いたんです。その時に初めて知ったのが、向こうには法学部がなく、彼のように社会経験をしてから法律家になる人がたくさんいるということ。ちょっと驚きでした。そんな話をするなか、彼に聞かれたのです。「日本の憲法で最も大切なことは何か」って。でも、子供の頃から「基本的人権の尊重」「国民主義」「平和主義」の3原則をセットで覚えてきたわけでしょ。一つだけと言われても、結局、私は答えられなかった。返ってきた言葉は「お前、よくそれで法学部に行ってるな。日本人やってるな」。
悔しいじゃないですか。それで、憲法に関する本を一所懸命読んでみたら、出てきたんですよ。3原則の根本である第13条が。「個人の尊重」とは「人は皆同じ。人は皆違う」。そういう意味だと、私は読み取ったのです。それぞれが個性を持って自分らしく生きればいい。そのために国家があるんだと。ストンと得心でき、憲法に熱くなっている自分がいました。 かつて伊藤は、日本も自前で軍隊を持って国防すべきだと考える一方で、何の罪もない人まで殺すことになる〝戦争の本質〞との狭間で、悶々と苦しんだ時期があるという。その視界をクリアにしてくれた憲法第9条もまた、伊藤を捉えた。「日本は、こんなに素晴らしい憲法を持っていたんだ」――司法試験を目指すと決めたのは3年の秋。そこから猛然と受験勉強を始めた。 単純に、誰よりも一番勉強すれば受かるだろうと思って、まず本屋さんに行き、一棚分の問題集をごっそり買ってきて、全部やった(笑)。少し前から住み込みの夜警のバイトもしていたのですが、半年間、毎日寝る間もないほどに勉強し、絶対に大丈夫だと思って受けたのに……落ちちゃったんですよ。しかも短答式で。合格発表に、私の番号がない。「これはきっと夢に違いない」と思った私は、なんとバカなことに、地下鉄の出口まで一旦戻って、もう一度発表を見に行った(笑)。本当に落ちたんだとわかってから、しばらく記憶が飛んでいます。それほどにショックでした。 立ち直ろうと、再度勉強を始めた時、同じ勉強スタイルを繰り返していてもダメだと思ったので、何が原因で落ちたのか、分析をしてみたのです。気づいたのは、それまで私は、知っている問題数を増やそうとしていたのですが、知らない問題が出た場合にどう対処するか、それが重要だということ。未知の問題に対して、徹底的にトレーニングしようと考えたのです。もとが理系なので、論証をパターン化したり、コンピュータのフローチャートを使って法律の理屈を載せてみたり。独自の勉強法を編み出したことで、2回目のチャレンジで合格することができました。 実は受験中、LEC(東京リーガルマインド)の模試の成績がよかったものだから、「うちにこないか」と声をかけてもらっていたんです。ですから私は、論文試験が終わったその日からLECにアルバイトとして入り、問題や模範解答をつくったりしていたのです。 思えばこれが、今の私のスタートラインでした。(以下略) 続きをご覧になりたい方は、バックナンバーをお取り寄せ下さい。すでに在庫がない号もありますので、予めご了承下さい。

■プロフィール

  • 伊藤塾 塾長
  • 法学館法律事務所 所長
  • 弁護士
  • 伊藤 真
  • 1958年6月14日 東京都荒川区生まれ
  • 1981年11月 司法試験合格
  • 1982年3月 東京大学法学部卒業
  • 1984年3月 司法修習修了
  • 1984年4月 弁護士登録(東京弁護士会・36期)
  • ※ただし、1995年5月~2007年12月の期間は弁護士業務を休業
  • 東京法律会計事務所入社
  • LEC(東京リーガルマインド)の講師に
  • 1995年5月 憲法記念日に株式会社法学館を設立
  • 1995年10月 伊藤真の司法試験塾(現伊藤塾)の塾長に就任
  • 2002年11月 法学館憲法研究所の所長に就任
  • 2008年1月 法学館法律事務所の所長に就任/td>
  • 2009年7月 「一人一票実現国民会議」の活動を開始