弁護士の肖像:2014年9月号 Vol.41

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

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Human History

弁護士の肖像

長島・大野・常松法律事務所 オフカウンセル
桝田淳二 弁護士(日本/NY州)

おっとりした少年がのめり込んだのは、オーケストラ活動

真に、国際的に活躍する希有な日本人弁護士・桝田淳二。その行く道を決めたのは司法修習生の時で、以来、真っ直ぐに歩み続けてきた。クロスボーダーM&Aのパイオニアであり、一貫して国際的な案件を手がけてきた桝田は、90年代初頭に、単身ニューヨークに渡り、初の〝国産〞法律事務所を創設したロイヤーとしても高名だ。
往年の政治家、加藤鐐五郎氏を祖父に持ち、父親も法曹。そして桝田自身はといえば、東大受験も司法試験も、さらにニューヨーク州のバーイグザムもすべて一発合格。経歴を並べれば苦のないエリートに映るが、その実はまったく違う。むしろ桝田は、困難を好むかのように死力を尽くしながら夢に向かい、「道なき道」を切り開いてきた。続く日本人弁護士の未来のために――その情熱は、今も揺るぎない。
私たち一家は、目白にあった祖父の屋敷に住んでいましてね、近所には森と泉に囲まれた庭園もあって、東京のオアシスのような恵まれた環境の下で育ちました。兄貴や友達とチャンバラしたり、森を駆けずり回ったり……日々楽しく。ちょっと特殊だったのは、代議士や法務大臣を務めた祖父の存在 と、その一人娘である母が、秘書としてずっと祖父の仕事を手伝っていたことでしょうか。当時、女性の議員秘書など極めて珍しく、先端的な人であったことは確かです。選挙ともなれば家人は留守がちになるので、風呂を炊くとか、身の回りのことは何でも自分でやるという習慣は、早くから身についていたように思います。
意外かもしれませんが、私は目立たず、実におっとりした子供だったんですよ。人前に出るのが嫌いでしたし。その点で、通っていた中高一貫校の武蔵は、私にぴったりでした。自由で、「勉強しろ」とはいっさい強要されないし、ギスギスした学生もいない。それこそおっとりした校風で、私にはとても居心地がよかった。音楽が好きだった私は、高校に進学してからブラスバンド部に入り、クラリネットを吹くことに熱中していました。
音楽はずっと身近にあったのです。小学生の時にはバイオリン、中学生の時にはピアノを習わされていたので。でも才能がなくて、いずれも長続きしなかった。バイオリンなんて、母が、世界的な奏者を育てたようなすごい人を先生につけたものだから、怖いの何のって。兄貴と二人で「魔の金曜日」とか言いながら、レッスンに通っていたのを覚えています(笑)。
親の期待は、長男である兄に向けられており、桝田は「風圧なしでいい状況」だったらしい。それでも東大を受験したのは、周囲の多くが東大を目指していたからで、そのムードに乗ってのこと。「学部は?と問われれば、音楽部出身だと答えています」――桝田が大学生時代にのめり込んだのは、ほか でもないオーケストラ活動だった。
同級生に誘われるまま、軽い気持ちで東大オケに入部したのです。そうしたら、新入生のクラリネット奏者が何と10人くらいいる。私はもとより競争心もないし、ただオーケストラの練習を見るのが楽しくて続けていたら、一人落ち、二人落ちと周りが諦めていき、気づいたら二人だけになっていた(笑)。1年の最後の定期演奏会では、舞台に上がっていました。運もよかったのでしょう、2年で首席奏者です。東大オケは名門ですから、大変な名誉なんですよ。みんなで協力して何度も何度も練習を重ね、聴衆の前でピタッと演奏が決まった時の快感。様々なハーモニーの間に浸る素晴らしさ。これ、ある意味麻薬のようなもので、一度経験するとやめられなくなる。完全にのめり込みました。
法学部に進んだのも、何となくだったのです。父が元裁判官の弁護士でしたから、司法の空気が身近にあったこ とは影響していると思います。ただ、典型的な国内弁護士で、その仕事が面白そうだとは思えなかったし、実際、大学の法律の授業もつまらなくて。日本の教育って、一方的に知識を伝達するだけですから。例えば、民法も総論から始まって、「隣家の木の枝が入ってきたらどうする」なんてやる。こんなことを勉強するために大学に入ったのかという気持ちもあり、よけいにオケに走っちゃったんですよ。

22歳で司法試験に合格。目指すと決めたのは、渉外弁護士

3年生ともなれば、司法試験や就職に向けた準備が忙しくなり、学生の多くは部活をやめるのが通例だ。しかし、「始めた以上は、オーケストラを極めたい」と考えていた桝田は部に残り、キャプテンとして活動に専従することにした。その際、あらかじめ大学に留年届を出していたというから驚く。「一度やると決めたら、やり遂げる」。桝田の硬骨漢ぶりが芽を出し始めた。
部員は100人を超える大所帯で、夏には地方6都市ほどを回る演奏旅行があるし、加えて定期演奏会もある。なまじのことではキャプテンは務まらないから、全精力をオケに傾けようと決めたのです。当時はコピー機などないから、図書館でせっせと各パートの譜面を書き写したりね、そんな裏方仕事も熱心にやりました。超実直でしょ(笑)。私は、人のためになることなら、何でも厭わずやるんですよ。
一番思い出に残っているのは、3年の夏の演奏旅行。性分的に、やるとなったら完璧にこなしたいので、私は事前に演奏する都市をすべて回り、演奏会場や宿泊ホテルの手配、さらには、大学の先輩、各地の高校を訪ね歩いてチケットを販売しと、もう必死で頑張った。結果は大成功で、異例となる収益も挙げることができました。今思うと、この経験はすごくよかった。未知のことで困難に思えても、挑戦すれば必ず何かが生まれる……私の原点はここにあるのかもしれません。
1年も経つと、一緒に入学した同級生たちは皆、就職していくわけでしょ。さすがにマズイなぁと。それで遅まきながら、音楽部の仲間2人と共に、司 法試験を目指して勉強することにしたのです。4年の夏、司法試験まで9カ月というタイミングでした。
この時、初めて本当の勉強の仕方がわかったのです。私たちは大学の近くの喫茶店に集まり、議論を中心にした演習をしていたんですね。いわゆるケースメソッドで、議論をすると負けたくないから、必死で調べ、勉強をするわけです。それまで教科書をめくるのがつまらなかったのが、問題意識を持って読むと、体にしみるようにどんどん入ってくる。特に法律は、こういった機能的なやり方が一番身につくと思いますね。短期集中で猛勉強した結果、翌年受験した司法試験に合格することができたのです。
桝田は23歳で司法修習生となり、法曹への道を歩み始めた。若くして1回の受験で合格した桝田に、教官らは裁判官になるよう強く求めたが、父親が裁判官だったこともあり、「将来が容易に想像できてつまらなかった」。かといって、定型的な弁護士業務にも興味を持てなかった。そんな桝田に、国際的な空気をもたらしたのが、父親と親交のあった坂本吉勝弁護士である。
湯浅・坂本法律特許事務所は、当時、渉外といえばナンバーワンの存在。修習生の時、父の縁で、ある国際的な集まりに呼んでいただいたのです。私はその場にいただけですが、海外から集まってきた人たちの雰囲気に触れて、「ここが生きる道」だと直感的に感じた。それで、坂本先生のところで実務修習をしたいと申し出て、そのまま採用してもらったという流れです。規模としても国内最大で、私は16人目の弁護士として入所しました。
坂本先生はすごく偉いのに親しみやすい方で、湯浅先生はイギリスのバリスター資格を持つ大変な紳士。事務所には数多くの優秀な弁護士が在籍していて、本当に勉強になったし、何より刺激的でした。新人の頃に担当したのは特許侵害事件。準備書面を書き、先輩弁護士のカバン持ちとして、東京地裁29部にずいぶん通ったものです。
この頃は、憧れていた国際弁護士の仕事とは違うなぁと思っていたのですが、実はこの時の経験が、のちに私がアメリカで特許侵害訴訟を扱うようになった際、非常に大きな武器になったんですよ。
でも、在籍していたのは2年と短かかった。皆優秀だったけれど、バラバラに仕事をしていて、経験や情報が共有される〝組織〞として機能していなかったんです。パートナーシップ契約をつくろうという話はあったものの、いろんな場面で利害が絡み合って、途中、力ある先輩弁護士が数人を連れて事務所を出ていってしまうなど、まとまらなかった。私はちょうど留学を考えていた時期で、「そろそろ私の番」と期待していたのですが、体制が複雑になっちゃって……悩んだけれど、結局辞めることにしたのです。
でも、とにかく留学はしたかったから、独力でかなえるしかない。どこにも属さない〝国際素浪人〞として、あちこちの大学にアプリケーションを提出したんですよ。それしか、道がありませんでした。(以下略)
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■プロフィール

  • 長島・大野・常松法律事務所 オフカウンセル
  • Nagashima Ohno & Tsunematsu NY LLP Of Counsel
  • 桝田淳二 弁護士(日本/NY州)
  • 1943年3月14日 東京都新宿区(目白)生まれ
  • 1965年9月 司法試験合格
  • 1966年3月 東京大学法学部卒業
  • 1968年3月 司法修習修了
  • 1968年4月 弁護士登録(第二東京弁護士会・20期)
  • 湯浅・坂本法律特許事務所(現ユアサハラ法律特許事務所)入所
  • 1971年5月 コロンビア大学ロースクール(LL.M.)修了
  • Sullivan & Cromwell入所
  • 1972年6月 Wender Murase & White入所
  • 1977年11月 桝田江尻法律事務所設立
  • 1991年11月 ニューヨーク州 Legal Consultant登録
  • 1992年1月 ニューヨーク事務所として、Masuda & Ejiri開設
  • 1995年3月 ニューヨーク州弁護士登録
  • 2007年5月 桝田国際法律事務所(Masuda International)設立
  • 2010年9月 長島・大野・常松法律事務所と統合。
  • 同事務所オフカウンセル、Nagashima Ohno &Tsunematsu NY LLPパー