弁護士の肖像:2017年1月号 Vol.55

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

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新外交イニシアティブ 事務局長 弁護士 猿田 佐世

小学校時代に〝国連勤務〞を夢見た少女

2009年、政権交代により首相となった鳩山由紀夫は、「沖縄・辺野古に基地はつくらせない」と表明する。しかし猛烈な逆風を受け、就任わずか9カ月でその座を追われたのは記憶に新しい。この時「怒れるアメリカ」が〝鳩山降ろし〞に一役買った――それが一般的な受け止め方だろう。だが、偶然にもワシントンで学んでいた猿田佐世の目に映る〝アメリカ〞は、少し様子が違った。日米外交に影響力を持つコミュニティにも、「オキナワが反対するなら、別のプランを検討すべきではないか」といった多様な声が存在したのである。米国の実情が日本に伝わらない。逆もまた真。その〝誰も気づかなかった日米関係〞に風穴を開けるべく、猿田はワシントンで米議員相手のロビー活動を開始する。パワーの源は、弁護士としての技量、そして「子供時代から変わらない真っ直ぐな性格とエネルギー」だった。

子供の頃住んでいた名古屋のベッドタウンの街は、管理教育で有名なところでした。小学生にも廊下で正座、ビンタ・げんこつは当たり前、中学生男子は丸刈り、女子も眉上数センチのおかっぱ。大学で労務管理論を教えていた父親は、そんな異常な事態を変えようと改善を求めて活動していました。「強制的に丸刈りなんて、間違っている」といった話もよく聞きました。おかしいことにはおかしいと言う私の性分に、そんな親が影響したのは間違いないでしょう。小学校時代に「国連で働きたい」という夢を持ちました。ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんがモザンビークで食糧難に苦しむ子供を抱く映像をテレビで見たのが、直接のきっかけです。世界で一番困っている人を救いたい、と。子供ながらに真剣で、高校受験の時に、現地で役立ちそうな土木科や機械科を受けようかと悩んだぐらい。小学校では、こんなこともありました。5年生の時、いじめっ子の女の子に「やめようよ」と意見したんですね。そうしたら、その子の母親が家に抗議の電話をかけてきた。小5の女子にとって、〝怒っている他人の大人〞って、恐怖そのもの。電話口でわんわん泣いたのを覚えています。でも、後で考えてみると、言われたことは事実に反している。1カ月くらい迷った末に、意を決してこちらから電話をかけて抗議しました。話しているうちに、やっぱり泣いちゃいましたけど。

結局、中学は地元の公立には行かず、愛知教育大学の付属校に。そこは管理教育とは対極の自由と自主性重視の世界だった。同級生たちとディスカッションして物事を決め、誰もが体育祭にも合唱祭にも全力で取り組む。そんな学校生活を通じて、「おかしいと思ったら自分で考え、まず動いてみる人格」は育まれていった。

国立の教育大の付属中学だったのですが、一切教科書を使わない授業をやるのです。数学で図形の面積を出すのに、公式は教えてくれず、「君たちならどうする?」。顕微鏡とカエルを渡されて、「自由に細胞を見ていいよ」っていう理科の授業もありました(笑)。勉強以外でも、例えばクラスの1年の目標などは、全部生徒のディスカッションで決める。そんな時には、皆で競い合うように自分の意見をどんどん主張していました。でも一番一生懸命になったのは、部活かな。小さな頃から運動が好きだったのですが、中学から器械体操を始めました。こう見えて、そこそこいい線いってたんですよ。県立千種高校に進学してからも、体操は続けました。この学校も自由闊達な校風で、ディスカッションをするのが目的の1泊2日の合宿があったりしましたね。私が弁護士を志したのは、高校2年の時。依然として国連に行きたくて、大学はどの方向に進むべきか悩んで、先生に相談しました。そうしたら、「猿田だったら弁護士が向いているんじゃないか」と。自分で言うのもなんですけど、今の私のキャラクターは中学、高校時代そのままなんですね(笑)。問題があれば皆をリードして議論する、イベントがあれば常に輪の中心。そういう私の姿を見て、そんなアドバイスをくれたのかもしれません。

2年の猛勉強で司法試験を突破。弁護士活動に勤しむ

その一言で「弁護士になって国連へ」と目標を定めた猿田は、指定校推薦で早稲田大学の法学部へ。しかし、大教室でのマスプロ授業は「あまりにも面白くなかった」。もともと国際的な人権活動をやりたいと考えていた猿田は、当時大学のほど近くに事務所を構えていた世界最大の国際人権NGOアムネスティ・インターナショナル日本支部の門をたたく。

当然のことながら、そこに集う人たちはみんな〝やる気〞のある人間ばかり。総会ともなると何百人も集まって、ひたすら熱気にあふれた議論をするわけです。本当に感動して、日記に「これこそが民主主義だと思った」と書いたくらい。このボランティアは、その後渡米するまで10年以上続け、4年間総会議長もやりました。かなりのめり込んだのですけど、司法試験の勉強を始めた大学3年からは、一時的に全部断ち切りました。決断をする時の潔さは私の特徴かもしれません。周りの迷惑も顧みず、ですが……(笑)。その代わり、勉強は誰にも負けないくらいやりました。朝6時に起きて塾へ行き、夜まで勉強して12時過ぎに寝る生活でした。中、高、大学と本格的な受験勉強をしていない私にとって初体験です。これを2年間続け、大学を卒業した1999年に、無事司法試験に合格することができました。普通はここから司法修習へという流れになるはずなのですが、私は1年間それを延ばしてタンザニアの難民キャンプへ。人権、人権と言っていても綺麗事ではないのか、人権のカケラも存在しない場面でそんなコトバが役に立つのか――。一度現場を体験してみなくてはと思ったのです。キリスト教系国際協力NGOが派遣するボランティアとして、隣国ブルンジから逃れてきた難民たちの高校で授業を行いました。授業は、世界人権宣言などをベースに平等や人権、自由について講義を行うというものでした。ツチ族・フツ族の民族紛争から命からがら逃れてきた彼らにとって、最も縁遠い理念といっていいでしょう。「そんなのは絵に描いた餅だ」と反発されるのではないかという気持ちもありました。でも始めてみたら、みんな熱心に話を聞いてくれるんですよ。生徒の中には紛争で学校に行けなかった50代の人もいました。「ツチ族に家族を殺されたからと復讐していたら、いつまでも戦争は終わらない」「私はビラを撒いて逮捕されたことがある。でもあれは表現の自由だよね、サヨ」と話してくれました。人権感覚は私たちと全然変わらなかった。自分の目指してきたものが間違っていなかったことを、逆に彼らに教えられた気がしました。今の私の原点となる体験です。

帰国し修習を終え、晴れて弁護士となった猿田は、02年に東京共同法律事務所に入所する。アムネスティの活動を通じて、同事務所の海渡雄一弁護士と知り合ったのが縁だった。人権問題に正面から取り組む弁護士が集まる事務所で、表現の自由、難民問題、労働問題、刑務所内の人権問題など様々な案件を担当し、「めちゃめちゃ働いた」ことは、後に米国で始めたロビー活動にも大いに役立つことになる。扱った中にはこんな事件もあった。

イラク戦争さ中の04年に、高校生を含む日本人3人が現地で拘束され、犯人グループが「72時間以内の自衛隊撤退」を要求するという出来事がありました。当時の小泉純一郎首相は「撤退はしない」と早々に宣言し、世間では「危険な場所に行くほうが悪い」との〝自己責任論〞が噴出し、家族や3人へのバッシングが吹き荒れました。社会から孤立する人質の家族を、放ってはおけません。私は仲間の弁護士十数人と弁護団を結成し、3人が無事解放されてからは彼らも含め、そのサポートに力を尽くしました。当事者の代理人として政府などとの交渉を行い、国会議員への働きかけをし、殺到するメディアに対応し、不当な報道に対しては裁判を起こし……。限られた時間の中でマルチな活動を展開し、多少なりとも〝被害者〞の支えになれたと思います。全方位の活動が必要になる弁護活動で、様々なことを学びました(以下略)
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■プロフィール

  • 新外交イニシアティブ 事務局長
  • 弁護士
  • 猿田 佐世
  • 1977年2月28日東京都港区生まれ
    1999年3月早稲田大学法学部卒業
    1999年10月司法試験合格
    2002年4月司法修習修了
    弁護士登録
    (第二東京弁護士会・55期)
    東京共同法律事務所入所
    2008年6月コロンビア大学ロースクール
    修了(LL.M.)
    2009年7月米国ニューヨーク州
    弁護士登録
    2012年5月アメリカン大学にて国際政治・
    国際紛争解決学修士号取得
    2013年8月新外交イニシアティブ創設
    事務局長に就任