弁護士の肖像:2017年5月号 Vol.57

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

弁護士の肖像

西村あさひ法律事務所 弁護士 武井 一浩

「努力で済むなら してやろう」の心意気で 司法試験を突破

「日本経済失われた10年」の象徴的な出来事となった1997年の北海道拓殖銀行、山一證券破たんのニュースを、弁護士・武井一浩は留学先のニューヨークで知る。その後、武井は、日本経済の再生のため始まっていた商法、会社法改正をはじめとする制度改革議論に参画し、組織再編制度、ガバナンス改革といった新しい仕組みづくりの一翼を担う。常に念頭にあったのは、「日本企業ひいては日本経済の成長戦略のため、弁護士として貢献できることは何か」。その模索は、今も続く。

小学校3、4年の頃だったか、自分は算数が好きなんだということに気づいたのです。後から考えると、やればやるだけ成果が出るところにハマったんですね。幼少期に少しサッカーをやったのですが、まったくダメ。練習したらレギュラーになれるという世界ではなかった。でも、算数ではそれが不思議と実感できた。結局、地元の灘中学に合格するのですが、算数の力だけでした。国語は普通、理科なんかは受験者の平均以下でしたので(笑)。灘校では、テニスの部活に打ち込みました。中高一貫で、高2の秋に引退するまで、およそ5年間。練習はけっこうハードで、授業を終えてから、毎日夕方遅くまでやっていました。中高一緒でコートが2面しかないので、最初の2年間は10分もコートに入れず、ひたすら〝腕立て腹筋〞の基礎トレと球拾い。夏の酷暑の練習でも水も飲めない。練習してもやっぱり上達せず、後輩にも抜かされる補欠でした。でも、こうした環境に逃げ出さずに耐えられたことが、逆に自分の財産になりました。辛い時期を耐えた先には何か必ずいいことがあると。試合も負け続きでしたが、「負けてから後悔しても遅い。先を見越して、負けないための努力をしておかないといけない」ということを身をもって学びました。灘校は、医者になる学生が多い学校でしたが、私は子供の頃から解剖とかが苦手で(笑)。物理、化学も苦手なままだったので、進路は消去法で文系を選びました。でも東大に入り、2年生になって法学部の講義が始まると、これは参ったな、と。先生の言うことがまるでわからない(笑)。どうしたものか途方に暮れ、講義を理解するために予備校に駆け込みました。

そんな武井に人生の転機が訪れたのは、司法試験の第一関門である択一式試験に合格した3年生の時。最終的な合格率は2%、択一も倍率7倍という時代で、ここから司法試験に真剣に取り組んでいく。

自分が択一に受かるなんて、これっぽっちも予想していませんでした。東大の同期の中でも合格者が少なかったですし、まぐれ以外の何物でもなかったのです。ただ、その時に思いました、「自分は司法試験と縁があるのかもしれない」「この縁は大切にしないといけない」と。考えてみれば、子供の時の算数の成功体験を、司法試験にも援用しようとしたんですね。算数も法学も論理学として共通点があるし、司法試験は努力すればするだけ成果が出る世界だと信じて、「努力で済むのだったら、徹底的にやってみよう」と。そこからは腹を据えて勉強しました。3年からは大学の徒歩圏内に住んでいたのですが、下宿と教室と図書館の移動と、たまにやっていたテニスだけの、文京区から外に出ない日々(笑)。とはいえ、1年後に晴れて司法試験を突破できるとは、正直夢にも思っていませんでした。前年の3年生の時の論文式試験は、散々な成績でしたし。ただ3年生の時に大学で聴いた講義では、速記者のように必死でノートをとっていました。どれも染み入るような素晴らしい内容の講義でした。

武者修行のつもりで 渉外事務所へ。 優秀な同僚に恵まれる

首尾よく大学在学中に合格を果たした武井だったが、実は弁護士、検察官、裁判官のどれになろうかさえ、目星がついていない状態だった。結局、「できるだけ先入観を持たずに、現場を知ろう」と取り組んだ司法修習を経て選んだのが、現在の西村あさひ法律事務所への入所である。そこには、彼なりの目算があった。

就職先は迷いました。研修所や大阪実務修習で出会った指導教官も、皆さん素晴らしい方ばかり。迷った中で最後の最後に考えたのは、「自分はここまでラッキーな道を歩んできている」という事実です。普通なら何年もかかる司法試験に、すんなりパスできた。だったら、5年ぐらい回り道してでも、まったく知らない世界に入って苦労して修行してみようと。そこで、ろくに英語もしゃべれないのに、渉外事務所に入ろうと決めました。いくつか回ったのですが、西村事務所にはとにかく活気があって、みんな目を輝かせて仕事の話をされるわけです。同じ苦労をするならここがいいな、と。実際に入ってみてわかったのは、期待に違わず厳しい武者修行の場だということ(笑)。同僚はみなさん優秀な方ばかり。ただ何より、いろいろと議論ができるのが幸せでした。よくやった仕事は、どこにも答えが書いていない質問へのリサーチです。図書館に籠もっていろんな資料に当たりながら、自分の頭で考える。地道な作業も多かったですが、実務家として一番大切な責任感を学べました。自分のアドバイス内容が果たして最善だったのか、常に自問自答する。自分が納得できるまで詰め切る。視野を広く取ればいろんなヒントが見つかったり、切り口の大事さに気づく。優秀な同僚に恵まれ、法律家として細かく〝木〞を分析する力を、まさに〝腕立て腹筋〞のように鍛えられました。日本企業と外資企業とのクロスオーバーM&Aにもかかわりました。今では当たり前の〝レプワラ〞(表明保証)、〝インデムニティ〞(補償)、〝デューデリ〞(買収監査)といった概念は、私が駆け出しだった90年代前半、日本ではまだ一般的ではなかった。先輩弁護士から米国の先進的な実務をまさにオン・ザ・ジョブで教えていただき、日英両言語で契約書を作成していました。幼少期から野球観戦が好きなのですが、94年の「10・8決戦」、例の同率首位で並んだ巨人対中日の国民的行事の試合の時も、土曜日ながら、日英両方の契約書を一人でその日のうちに完成させる必要がありました。事務所でテレビのある部屋に籠もって仕事していたことを、今でも思い出します。M&Aの仕事は、日本法の特異な点にいろいろ気づく機会にもなりました。例えば90年代初頭に「どうして日本では、合併の対価として現金を渡せないのか?」という質問を受けたことがあります。この合併対価の点は2005年に会社法が改正されましたが、日本法だけを見ていてもわからない、新たな視点に接する機会にもなりました。

「ビジネス弁護士の成長は、〝桃栗3年柿8年〞」と武井は言う。留学前までが、細かく〝木〞を分析できる力を身につける〝桃栗〞の時期。さらにマクロの〝林〞や〝森〞を俯瞰できる力を身につけるため、 95 年、ハーバード大ロースクールへの留学に旅立つ。

ロースクールでは、会社法、税法、独禁法などを学びましたが、〝ハーバード流交渉術〞のゼミは印象的でした。いろいろなケースで交渉を実体験するのです。例えばオペラ歌手とオペラ座側の両サイドに分かれて、どんな出演契約を結ぶのかを交渉するとか。相手の立場をよく分析し、論理的、感情的、功利的という3つの説得力で交渉する、実践的な演習でした。ハーバードのロースクールを修了後、英国に飛んで、オックスフォードのMBAコースへ。ビジネススクールに行く日本の弁護士はまだ少なかったのですが、留学前に、戦略面の選択肢を検討して道を示すアドバイスの仕事が楽しいと思ったのが動機でした。クライアントが進む道に迷っている。そこで、この先にはどういう選択肢がありえるのか、法の支配に適った選択肢を示す。選択肢の中にも〝プロコン〞があって、それを説明してクライアントが最善の選択を行う。またM&Aとかもそうですが、いろいろと難所が訪れるところを我々の関与でディールを前に進めることができる。これらは、社会的にも付加価値がある仕事です。こういう仕事をするためには、経営戦略論や組織論、ファイナンスなどをもっと勉強しておく必要があると思ったのです。米国のビジネススクールだと2年かかり、阪神淡路大震災で実家が被災していたので2年は厳しいなと思っていたところ、ちょうど96年からオックスフォードで1年のコースが創設されたのもラッキーでした。ファイナンス、経営戦略、リーダーシップ論、組織論などを一通り学べただけでなく、米国のビジネスモデルを彼らなりの視点で、時に批判的に分析していたのは、視野を広げるのに役立ちました。といっても、すべてが順風満帆な留学生活だったわけではありません。苦労したのは、やはり言葉ですね。ロースクールはペーパー試験でまだなんとかなるのですが、ビジネススクールは常に双方向で話さないといけませんから。なかなかのスパルタ環境でした。翌年、米国に戻って、西村利郎先生のご紹介でニューヨークのポール・ワイス法律事務所に入所し、日本企業関係の仕事に携わりました。ただ、正直、それほど忙しくなかったんですよ(笑)。そこで、先輩の手塚裕之弁護士に『商事法務』の菅野安司編集長をご紹介いただき、論文を書くことに。留学から戻ると〝柿8年〞の時期になるので、何か形に残るものがないと差別化できないと考えたのです。そこで書いた一つが、米国型取締役会の実態と日本への示唆という論文でした。まさに守りのガバナンスから攻めのガバナンスへと移っていった米国取締役会の機能の変遷の分析です。米国型がすべて素晴らしいという内容ではなく、日本に合うところと合わないところを峻別して指摘しました。『商事法務』に6回もの長期にわたって連載していただけたのですが、実はこれが、今につながるデビュー作というか、帰国後の仕事の重要な礎になりました。(以下略)
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■プロフィール

  • 西村あさひ法律事務所
  • 弁護士
  • 武井一浩
  • 1967年 2月 9日 京都府向日市生まれ
    1988年 10月 司法試験合格
    1989年 3月   東京大学法学部卒業
    1991年 4月   司法修習修了
    弁護士登録(第一東京弁護士会・ 43期
    現在の西村あさひ法律事務所に入所
    1996年 6月   ハーバード大学 ロースクール修了 (LL.M.)
    1997年 1月   ニューヨーク州 弁護士登録
    9月   オックスフォード大学 経営学修士修了 (MBA)
    ポール・ワイス 法律事務所勤務 (ニューヨーク)
    1998年 12月   西村あさひ法律事務所に 復帰
    2000年 8月   西村あさひ法律事務所 パートナーに就任

  • ■教職関係

  • これまで、東京大学法科大学院、京都大学 法科大学院、早稲田大学法科大学院、税務大学校などで教鞭を執る


  • ■委員活動

  • 2000年より、経済産業省、金融庁、内閣府、政府産業構造審議会、東京証券取引所、日本監査役協会などの30を超える研究会、懇談会、委員会に委員、メンバーとし て招聘されている