弁護士の肖像:2017年7月号 Vol.58

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

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Human History

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大谷&パートナーズ法律事務所 弁護士 大谷美紀子

本の虫だった少女が夢見たのは、国連職員になること

2017年3月、大谷美紀子は国連の「子どもの権利委員会」委員に就任し、新たな舞台に立った。日本人としては初の就任で、そのぶん国内外から寄せられる期待も大きい。大谷は国際家事事件を専門とする弁護士で、国際人権問題、なかでも女性や子ども、外国人といった弱い立場に立たされることが多い者の権利を守るために力を尽くしてきた。加えて、日弁連やNGOでの活動を通じ、人権教育の分野でも積極的な活動を続けている。子どもの頃から一貫して胸にあるのは、「人のため、社会のために役立つ仕事がしたい」という思いだ。意外なことに「本来は引っ込み思案」だとしながらも、大谷はその強い信念によって突き動かされてきた。そして、どのような立場、環境にあっても自らの存り方を常に問い、弛まぬ努力を重ねてきた。だからこそ、望んだ今日がある。

幼い頃から読み物、活字が大好きで、気がついたら本の虫。文学全集の類はもちろんのこと、読む本がなくなると百科事典を片っ端から読んでいました。もともと引っ込み思案なのに加えて、小学校時代は父の転勤などで何度か転校したこともあって、本ばかり読んでいましたね。たくさんの本を読むなかで、社会問題に対する関心も強かったし、大人びたところがあったのでしょう。同世代の子どもとは、ちょっと違う世界にいたように思います。通っていた滋賀県の膳所高校は、圧倒的に男子が多い進学校で、個性的な先生や、問題意識の高い生徒もいて刺激的でした。ただこの頃、私は若干ぐれていて、スカートの丈を長くし、パーマかけてと、不良ぶっていたんです。実は中3の時、先生からセクハラを受け、それを学校に直訴したものの、結局納得のいく対応をしてもらえなかったという一件があったんですね。そしてもう一つ。高校に進学してすぐの頃、肺炎を患ってしばらく学校を休んだのですが、担任は五月病だと決めつけてしまった。ちゃんと診断書を提出しているのに、「学校で何かイヤなことでも?」という対応をされた。連続的に起こった出来事から、私は一時期、学校不信に陥っていたわけです。だから〝見た目〞不良ぶり、学校が禁止するアルバイトをしたりしていたのです。でも、勉強だけはすごく真面目。受験を意識していたわけではなく、自分に挑戦する感じでしょうか。次はオール100点を取るぞ、10段階評価の成績で全部「10」を取るぞ、みたいな(笑)。「社会に出たら人の役に立てるような仕事をしたい」。漠然とながらも、そういう熱い思いだけはあって、実現するためには勉強しておかないと――そう考えていたのです。

その思いからすれば、世界のあらゆる社会問題の解決に取り組む「国連職員を夢見た」のも、うなずける話である。その進路を取るために、大谷は難関な受験を突破して上智大学に進学。同大学の法学部に国際関係法学科が新設されて間もない頃で、大谷は3期生として、同じく国連職員や外交官などを志す学生たちと共に学び始めた。

法学部ですから、当然必修の法律科目があるんですけど、あまり興味がなくて、国際経済や国際政治、国際機構論といった科目を熱心に勉強していました。ですが、早くも1年の夏あたりから悶々とし始めたのです。きっかけは、アメリカが1984年にユネスコを脱退したこと。国連機関に対して、「過度に政治化している」という見方があることを初めて知り、一方で、アメリカの一国主義的な動きも知った。私の夢は世界平和ただ一つで、それがストレートに国連とつながっていたから、少なからずショックでした。ほかにも自分の青臭さに気づく場面があって、次第に「国連で本当にやりたいことができるんだろうか」という疑問が浮かんできたのです。そもそも「国連の中のどこで」が見えていなかったし、当時は、職員になるためのプロセスもクリアではなかった。悶々とする日々が続きました。そんな頃、高校時代の友人から連絡が入ったのです。父親が他人の借金の保証人として債務を抱え、一家で長年住んだ土地を離れることにしたという。驚くとともに、何とかならないものかと思った私は、破産について調べてみたり、弁護士に相談するよう勧めたり、うるさくお節介をやいたんですね。でも、当の本人はあきらめちゃって、「もういい」と。これがショックでした。人の役に立ちたいという思いを支えに生きてきたのに、結局は私の独りよがり。本当に人の役に立つためには何が必要なのだろうかと悩みました。結果、もう何になるか悩むのはやめよう、まずは自分の足場を決めて、そのなかでできることを精一杯やろうと決めたのです。友人の一件で、この時、法律に目が向きました。半ば直感でしたが、法律を専門分野にすれば、人や社会に役立つことに何かしら関係してくる、きっと無駄にはならないと思ったのです。司法試験を目指すと決めたのは、2年生の秋でした。

23歳で司法試験に合格。家事事件を通じて、人権教育に関心を抱く

周囲に法曹を目指す人がいなかったから、大谷は自力で情報収集して準備を整え、3年の春から勉強をスタートさせた。当時の司法試験は500人合格時代。「合格に10年かかる人もいる」と聞くなか、大谷は目標を立て、3年間で必ず合格すると決めた。早く社会に出て仕事がしたい、という気持ちが強かったからだ。そして実際に、大学を卒業した87年に合格。在籍していた国際関係法学科で弁護士になったのは、大谷が第1号である。

最初は司法試験のことも、勉強の仕方もわからなかったので、まずは調べるところからです。予備校に行く必要があると思ったので、授業料を確保するためにアルバイトもして。時間もお金ももったいないから、大学にある司法試験科目の授業はすべて取り、受験用の勉強の仕方と、〝憲民刑〞だけはLECで学ぶというスタイルです。「法律を足場に頑張る」と決めた以上、何としてでも合格する、やり抜くという意志は強かったと思います。横浜修習中、検察官になるよう勧められたんですよ。私が国連に関心があることを知った修習担当の検事が、「留学をして〝アジ研〞の教官になるという道があるよ」と。国連を完全に忘れていたわけではないので、正直、グラッときたんですけど、最後は、やりたいことが自由にできる弁護士のほうがいいと選択しました。それと、当事者に近いところにいたかったから。今でも根っこは内気で、社交的ではないのですが、そのくせ、人と知り合ったり話したりするのが好き。矛盾しているけれど、困ったことにどっちも本当(笑)。しんどくても、結局のところ〝人との仕事〞が好きなんですよ。

大谷は、新麹町法律事務所で弁護士としてのスタートを切った。イソ弁の身で、まずはイロハを学び、弁護士として実力をつけようと、懸命にあらゆる事件に取り組んだ。同事務所においては2人目の女性弁護士ということもあり、なかでも多く扱ったのが家事事件である。次第に大谷は、ここに面白さとやりがいを見いだしていく。

弁護士といっても、当時はあまり専門化されていなかったので、様々な仕事を経験させてもらいました。ただ、いつの間にか「家事事件は大谷」という感じになったのは、女性のイソ弁が私だけだったからでしょう。それって裏返せば、差別的だと思ったりもしたのですが、やってみると、私が望んでいた〝当事者との近さ〞が実感できて性に合っていたのです。それと、当時感じていたのが「弁護士って威張っているなぁ」ということ。例えば、女性の依頼者が家事事件で相談に来ると、対応する弁護士の物言いがきついと感じた。弁護士に相談するなど、もとより敷居が高く、相談者は緊張しているから話もあちこち飛んだりしますよね。「要点は何なの?」と言いたくなる気持ちはわかりますけど、私は、依頼者の話をていねいに聞くことにやりがいを感じていました。今も、その思いに変わりはありません。人権問題に関心を持ち始めたのは、入所して3年ほど経った頃でしょうか。離婚や相続などの事件を通じて、社会のなかに差別が根深く残っていることに気づくうち、弁護士は人権を救済すると期待されているけれど、自分は人権について真剣に学んだことがあっただろうかと思い始めたのです。弁護士の仕事は事後救済の面が強いでしょう。裁判での救済の重要性もわかっているのですが、裁判を起こすには費用も時間もかかって大変だし、法曹が被害者をさらに傷つけてしまう可能性もある。本当に痛みを感じている人を救えているのだろうか……。憲法の人権保障が現実となり、そもそも人権侵害が起きない世の中になることへの思いが強くなり、私の関心は、今でいうプリベンション(予防)に向いていったのです。人権教育の勉強を始めるようになって出会ったのが、93年に国連が主催した世界人権会議で採択された宣言及び行動計画です。人権教育の重要性が述べられ、翌年には国連総会で「人権教育のための国連10年」の決議が採択されました。これこそが、私のやりたいこと――感銘を受けたと同時に、封印していたつもりの国連が戻ってきちゃった。高校生の頃は、「国連は平和のために頑張っている」程度の認識でしたが、この時にようやく、自分のやりたいことが明確に見えたのです。(以下略)
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■プロフィール

  • 大谷&パートナーズ法律事務所
  • 弁護士
  • 大谷美紀子
  • 1964年11月18日大阪府枚方市生まれ
    1987年3月上智大学法学部国際関係法学科卒業
    10月司法試験合格
    1990年4月司法修習修了
    弁護士登録(東京弁護士会・42期)
    新麹町法律事務所入所
    1999年5月コロンビア大学国際公共政策
    大学院修士課程修了
    帰国後、大谷法律事務所設立
    2003年3月東京大学法学政治学研究科
    修士課程専修コース修了
    2009年10月虎ノ門法律経済事務所参画
    2012年3月青山学院大学法学研究科
    博士後期課程
    標準修業年限満期退学
    2012年11月東京パブリック法律事務所三田支所共同代表(~15年3月)
    2015年4月虎ノ門法律経済事務所に復帰
    2016年6月国際連合「子どもの権利委員会」委員に当選
    2017年3月大谷&パートナーズ法律事務所設立
  • 家族構成=夫、娘2人

  • ■公的活動

  • 元内閣府男女共同参画会議専門調査会委員、アジア国際法学会日本協会理事、日本弁護士連合会国際業務推進センター副センター長・元国際室室長、日本女性法律家協会元副会長