就職先として、日本IBMが弁護士の法務部員を募集していることを知った市毛は、迷わず手を挙げた。当時、同社には、日本に20名足らずしかいなかった企業内弁護士のうち、6名が在籍。そして、市毛が89年に入社した時はもう一人女性弁護士が採用され、このことは日経新聞の1面で報じられたという。それほど珍しかったということだ。結果、市毛は“最先端”の環境に身を置いたのである。
日本IBMのジェネラルカウンセルとの面談は衝撃的でした。司法研修所で教わったのは紛争処理、裁判実務が中心でしたが、企業法務の領域では、紛争が生じた後の臨床法務、紛争にならないよう予防する予防法務、そして、経営戦略に法務を活用する戦略法務という3つの領域があるということ。さらに、弁護士が企業経営とどうかかわっていくのかの心得、そして今でいうコンプライアンスプログラムの考え方など、初めて聞く話ばかりだったのです。「これが実社会に身を置くということなのだ」と実感がわいてきました。
入社してからは、弁護士倫理の問題も厳しく指導されました。例えば、経営陣が違法な領域に手を出そうとしたら、その時は体を張って止めなければならない。企業人である前に軸足は弁護士だから、いざとなれば会社を辞めるという覚悟が必要だと。「君が会社に入って最初にすべきは、辞めることを躊躇しないよう、まず半年分の生活費を貯金することです」と教わりました。
弁護士の独立性、精神的独立性は経済的に裏打ちされていなければならないということです。このポリシーはずっと私のなかに根付いており、後に様々な企業の独立社外役員を務めるようになって、さらに重みが増していきました。
そして、経営判断とリスクマネジメントの関係についても。いわゆる“ビジネスチャンス”はリスクを伴うもの、かつ、その度合いには濃淡がある。リスクのないところでビジネスをしていれば、間違いは起きないけれど、半面、そこは誰でも参入できるから競争環境は厳しい。今、コーポレートガバナンス・コードでも、経営者は稼ぐ力をつけるために“健全なリスクテイク”をすべきだと書かれていますが、当時教わったのがまさにそのこと。リスクを明確にし、これを経営者に適時・適切に伝えたうえで、経営者がリスクを取るかどうか、合理的な経営判断ができるようにアドバイスする――それがビジネスローヤーの立ち位置だということでした。判例法理でいう経営判断の原則の前提条件です。
そして、この頃すでにIBMグループは、世界共通の独自のコンプライアンスプログラムを持っており、法務部はその所管部門でもありました。その社内周知のための研修を行ったり、違反があった場合のヒアリング、事実整理と原因分析、そして処分や再発防止策まで検討するという不祥事対策の一連の流れも経験しました。
振り返れば、私は弁護士1年生の時から、すでに攻めのガバナンスと守りのガバナンスを学んでいたのです。
経営上のリスクと向き合うには、当然のことながらビジネスを理解しなければなりません。平成に入りバブルが弾け、コンピュータ業界は、メインフレーマーからサービスカンパニーへと変容……そのような時代でした。入社して最初の3年間で、本社部門、営業部門、製造・研究開発部門を担当し、多くの契約実務に携わりました。また、本社部門では取締役会の事務局を担当したり、当時、アライアンス戦略と言われていましたが、お客さまとの間でアウトソーシングを担う合弁会社をつくる仕事もさせてもらえました。合弁会社については、100社以上はつくったでしょうか。
企業の社会的責任(CSR)や女性活躍推進にも取り組んでいました。私も一般社員と一緒に研修を受けましたが、社会のなかで「よき企業市民」として存在することが会社のパーパスだと説明された時は、「会社は誰のためにあるのか」という会社法の議論との乖離に驚きましたが、そのような会社に入れたことを誇りに感じました。
私はあの時代の最先端の職場にいたわけで、日本IBMでお世話になった5年間は、その後の業務の礎として本当に貴重なものとなりました。