Vol.84
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弁護士 市毛 由美子

HUMAN HISTORY

多様性の時代、固定観念を外せば、自分の居場所は見つかる。解は一つではないのだから、自分の価値観を信じて、人生を楽しんでほしい

のぞみ総合法律事務所
パートナー弁護士

市毛 由美子

父親の言葉をきっかけに、司法試験合格を目指し、法学部へ進学する

1989年、市毛由美子は日本アイ・ビー・エム(以下日本IBM)の法務部で弁護士としてのキャリアをスタートさせた。今や3000人近い組織内弁護士数も、当時は日本全体で20名に満たないという時代だ。もとより「人が行かない道を選ぶ」タイプの市毛はチャレンジ精神が強く、企業内弁護士という“未知の分野”に惹かれてこの道に入った。日本IBMの先進的な環境において、いち早く攻守両面のガバナンスを学び、そして様々な経験と知見を得て、ビジネスローヤーとしての礎を築いた。「のぞみ総合法律事務所」にパートナー参画したのは2007年。以降、多くの企業の社外取締役や社外監査役を務めながら、市毛はトップランナーとして走り続けている。

地元は東京の大田区です。早生まれで幼い頃は体も小さかったから、皆についていくような感じの子でした。それもあって、小学校高学年になった頃からいじめられるようになったんです。特に男の子から。学校の成績は悪くはなかったから、生意気に見えるようなところがあったのかもしれません。目立つとイヤな思いをするという経験をして、ずっと自分を抑えていました。

それでも、仲良しの女の子たちとはよく遊び、大事な友達が困っていると何かできないかと動きたくなる。例えば、持ち込み禁止の漫画本を先生に没収されて泣いていた友達を放っておけず、「私が掛け合ってくる」と職員室に突進、「学校に持ってきたのは悪いことだけれど、お姉ちゃんの大事な本らしいので返してあげてください」と先生に“交渉”したりしていました(笑)。困っている人の役に立ちたいという本能的な衝動は、弁護士という今の仕事にも通じていると思います。

自分で解放されたと感じたのは、青山学院高等部に進学してからです。付属高校で受験もなく、自由な校風が特徴で、生徒も今でいう“多様性”が豊富。ちょっと変わった人に対しても、皆個性を尊重して優しくて、自分を抑えず思いどおりにしていいんだということを体感しました。テニス部に入り、青山界隈で友達とよく遊び、正直、勉強はあまりしなかったです。

皆と同様、私も内部進学するつもりでのんびり構えていたのですが、父がこのままだと遊んでばかりいると思ったらしく、「何か資格を取ると約束しなければ、大学には行かせない」と言い出しまして。それが高3になってからだったので、それはそれは慌てました(笑)。その時に思い立ったのが弁護士。父に司法試験合格を目指すと約束して、急きょ進路を変更、中央大学を受験することにしたのです。

弁護士という資格を選び、中央大学に進路を取ったのには背景がある。市毛の父親は、一時働きながら司法試験を目指し、中央大学の夜間部に通って勉強していたそうだ。「本当は弁護士になりたかった」「弁護士は困っている人の役に立てる素晴らしい仕事」と子供の頃から聞かされていた。そんな父親を喜ばせたいという気持ちと、何より人の役に立てる仕事への憧れもあり、自分が法廷に立つ姿を想像してはワクワクした。結果、市毛は必死に勉強し、中央大学法学部に現役合格する。

1年の時に入ったのが英米法研究会です。中央大学の前身は「英吉利法律学校」。英米法の研究の本家本流として、伝統ある法律系サークルには素晴らしい先生や先輩方が集まっていました。いわゆる司法試験の受験団体ではなく、試験とはまったく関係ない英語の原書やアメリカの判例などを読み込んで、「自由」「平等」「正義」とは、といった青臭い議論をする。そういう環境で社会のありようを考える時間がとても楽しかったのです。50人のクラスでは女子が2人だけ。まだまだ法学部を選択する女子が少ない時代でしたが、女子大生ブームとも呼ばれたその頃の、“普通の女子大生”とはひと味違う会話を交わせる仲間がいることに喜びを感じていました。

司法試験の受験に向けて本腰を入れ始めたのは、同期たちが就職を意識し始める3年生になってから。それまでサークル活動しかしていなかったので、最初の択一は惨敗。そこから、「これじゃダメだ」とエンジンがかかり、仲間との自主ゼミや模擬試験を受けに行く以外は、ほとんど家にこもって勉強していました。合格したのは3年後の86年。司法浪人中も父はずっと私を応援し、予備校の学費も出してくれていたので、最後の1年は「もうこれ以上は迷惑かけられない」と必死でした。自立して生きていけるような資格を身につけること、そして、よい友達を持つことが「お前の財産になる」と導いてくれたのは父です。合格した時に一番喜んでくれたのも父でした。

弁護士 市毛 由美子
のぞみ総合法律事務所の女性弁護士と。右から、村上嘉奈子パートナー弁護士(54期)、鳥居江美パートナー弁護士(60期)、堀場真貴子弁護士(75期)、市毛弁護士(41期)、髙畑晶子弁護士(64期)、守屋沙織弁護士(74期)。所属弁護士50名のうち女性弁護士は12名

当時は極めて稀な分野だったからこそ、企業内弁護士になることを決めた

企業内弁護士からスタート。自分の志向を明確にし、未知の領域に踏み出す

横浜での実務修習を通じては、弁護士という職業の意義を再認識した。加えて、企業活動に関与する弁護士の存在を知り、惹かれていくようになる。当時、企業内弁護士の数は極めて少なく、司法研修所でも企業内弁護士の仕事の説明などなく、その社会的認知度も低かった。しかし、だからこそ「知らない世界を見てみたかった」と、市毛は言う。

実務修習でお世話になった横浜の法律事務所は、人権問題、労働問題や消費者問題をメインに扱う事務所で、“人の役に立つ仕事”というものを肌で感じることができました。問題を抱えて駆け込んでくる人は、当初、悲壮な面持ちをしているわけですが、事件が収束するに従って、どんどん明るい表情になっていく。特に女性はきれいになる。それが本当に素晴らしいと思ったし、弁護士の職業倫理や社会的使命に対する理解もより深まりました。

修習当時は昭和の終わりで、バブル経済が弾ける少し前。経済や社会の動きがまだ活発な頃です。先輩から「企業活動のなかで仕事をしている弁護士がいる」と聞き、興味を持ちました。当時、内輪では「大手の法律事務所に入れないような人が企業内弁護士になる」というネガティブな見方もされていましたが、私は、今見ておかないと何か損をするような気がしたのです。大学選択の時もそうでしたが、人生の岐路に立った時、私はほとんどの人が選ばないほうの道を選んでしまう性分なんですね。

弁護士 市毛 由美子
企業法務を中心とした弁護士業務に加え、現在は2社の大手企業の社外取締役、社外監査役を務めている

就職先として、日本IBMが弁護士の法務部員を募集していることを知った市毛は、迷わず手を挙げた。当時、同社には、日本に20名足らずしかいなかった企業内弁護士のうち、6名が在籍。そして、市毛が89年に入社した時はもう一人女性弁護士が採用され、このことは日経新聞の1面で報じられたという。それほど珍しかったということだ。結果、市毛は“最先端”の環境に身を置いたのである。

日本IBMのジェネラルカウンセルとの面談は衝撃的でした。司法研修所で教わったのは紛争処理、裁判実務が中心でしたが、企業法務の領域では、紛争が生じた後の臨床法務、紛争にならないよう予防する予防法務、そして、経営戦略に法務を活用する戦略法務という3つの領域があるということ。さらに、弁護士が企業経営とどうかかわっていくのかの心得、そして今でいうコンプライアンスプログラムの考え方など、初めて聞く話ばかりだったのです。「これが実社会に身を置くということなのだ」と実感がわいてきました。

入社してからは、弁護士倫理の問題も厳しく指導されました。例えば、経営陣が違法な領域に手を出そうとしたら、その時は体を張って止めなければならない。企業人である前に軸足は弁護士だから、いざとなれば会社を辞めるという覚悟が必要だと。「君が会社に入って最初にすべきは、辞めることを躊躇しないよう、まず半年分の生活費を貯金することです」と教わりました。

弁護士の独立性、精神的独立性は経済的に裏打ちされていなければならないということです。このポリシーはずっと私のなかに根付いており、後に様々な企業の独立社外役員を務めるようになって、さらに重みが増していきました。

そして、経営判断とリスクマネジメントの関係についても。いわゆる“ビジネスチャンス”はリスクを伴うもの、かつ、その度合いには濃淡がある。リスクのないところでビジネスをしていれば、間違いは起きないけれど、半面、そこは誰でも参入できるから競争環境は厳しい。今、コーポレートガバナンス・コードでも、経営者は稼ぐ力をつけるために“健全なリスクテイク”をすべきだと書かれていますが、当時教わったのがまさにそのこと。リスクを明確にし、これを経営者に適時・適切に伝えたうえで、経営者がリスクを取るかどうか、合理的な経営判断ができるようにアドバイスする――それがビジネスローヤーの立ち位置だということでした。判例法理でいう経営判断の原則の前提条件です。

そして、この頃すでにIBMグループは、世界共通の独自のコンプライアンスプログラムを持っており、法務部はその所管部門でもありました。その社内周知のための研修を行ったり、違反があった場合のヒアリング、事実整理と原因分析、そして処分や再発防止策まで検討するという不祥事対策の一連の流れも経験しました。

振り返れば、私は弁護士1年生の時から、すでに攻めのガバナンスと守りのガバナンスを学んでいたのです。

経営上のリスクと向き合うには、当然のことながらビジネスを理解しなければなりません。平成に入りバブルが弾け、コンピュータ業界は、メインフレーマーからサービスカンパニーへと変容……そのような時代でした。入社して最初の3年間で、本社部門、営業部門、製造・研究開発部門を担当し、多くの契約実務に携わりました。また、本社部門では取締役会の事務局を担当したり、当時、アライアンス戦略と言われていましたが、お客さまとの間でアウトソーシングを担う合弁会社をつくる仕事もさせてもらえました。合弁会社については、100社以上はつくったでしょうか。

企業の社会的責任(CSR)や女性活躍推進にも取り組んでいました。私も一般社員と一緒に研修を受けましたが、社会のなかで「よき企業市民」として存在することが会社のパーパスだと説明された時は、「会社は誰のためにあるのか」という会社法の議論との乖離に驚きましたが、そのような会社に入れたことを誇りに感じました。

私はあの時代の最先端の職場にいたわけで、日本IBMでお世話になった5年間は、その後の業務の礎として本当に貴重なものとなりました。

最初は奇異に映っても、正しいと信じ、言い続けていれば、社会は変わる

法律事務所での仕事や会務を通じて、活動の場を広げる

その後、市毛は環境を変えながらキャリアを拓いていく。94年、知財事件を多く扱う「虎ノ門総合法律事務所」に入所して裁判実務を身につけ、数年後には、同期3名が開設した「やよい共同法律事務所」に参画。一般民事を扱うとともに、スタートアップ企業の法務相談にも尽力した。また、この頃から取り組むようになったのが弁護士会活動で、市毛は新たなテーマと出合うこととなる。

企業内弁護士として、予防法務が功を奏し、裁判が少ない環境で仕事をしてきたなかで、「弁護士としてこの先大丈夫なのだろうか?」と不安になりました。尋問技術などの裁判実務スキルを実践で身につける必要があると考え、一旦は別の経験を積もうと動き、コンピュータと親和性もあり、最も興味のあった知財事件を多く扱う事務所に移籍することにしました。

他方、自由な時間が増えたこともあり、弁護士会の委員会にも参加するようになりました。日弁連知財センターで事務局を務め、重要政策であった知財立国推進のための弁護士の啓発やPR、中小企業の知財問題の掘り起こしなど、著名弁護士のご指導のもとで活動させていただいたことはとても刺激的でした。

また、司法におけるジェンダーバイアスや、男女共同参画推進といったテーマの重要さに気づいたのもこの頃です。私自身はそれまで女性だからと差別を感じたことはなかったのですが、社会に目を向けると苦しんでいる女性はたくさんいる。それがジェンダーバイアス(アンコンシャスバイアス)に根付いた構造的な問題だと腑に落ちた瞬間、女性弁護士としてこの社会問題は避けて通れないと思いました。

そこで、「両性の平等に関する委員会」内にプロジェクトチームをつくり、その分野で著名な社会学者の講師を招いた勉強会を開催。同時に、常時1~2件ほどではありますが、法テラスでセクハラやDVの事件を担当することにしました。ほかには、法曹のジェンダーバイアスを解消するために、二弁が運営していた大宮法科大学院大学で「ジェンダーと法」の講義を担当。そのための教材として使える書籍もプロジェクトチームの仲間と共同執筆し、出版しました。

そして、この分野で活躍していた菅沼友子弁護士や番敦子弁護士らとともに、「弁護士会の意思決定の場に女性がいないのは大問題、国民の半分を占める女性の視点は絶対に必要。だから毎年継続的に“女性副会長”を出すべき」と訴えたところ、周囲から「だったら自分でやりなさい」と言われ、引くに引けずに第二東京弁護士会の副会長になったという流れです(笑)。菅沼弁護士も番弁護士も後に続いて副会長となり、菅沼弁護士は22年度の二弁会長、日弁連副会長として活躍されています。

この流れは、12年に二弁が先駆けて導入した「女性副会長クオーター制」につながっています。女性副会長の候補者2名の優先枠を設ける制度で、当初は「平等原理、民主主義に反する」といった強い反対もありました。私は、男女共同参画推進本部の本部長代行(本部長は会長)として、会内の会議のたびに粘り強く説得。叩かれては足りない点を補って説得を繰り返しているうち、徐々に賛同してくれる会員が増えていき、総会では圧倒的多数の賛成を得ることができました。あきらめないで本当によかった。最初は奇異に映っても、自分が正しいと信じることを言い続けていれば、社会は変えていけるという成功体験を得て、少しずつですが自信もついていきました。

覚悟を持って臨み、役に立てたという実感を持てた時に最高の喜びがある

現在の「のぞみ総合法律事務所」にパートナー参画したのは07年のことだ。二弁副会長への就任を迷っていた市毛に、「弁護士業務はサポートするから」と声をかけてくれた同事務所の先輩や同僚、そして実際に不在の間の仕事を引き受けてくれた後輩の支援を背景に、市毛は二弁副会長、日弁連の事務次長の任務を続けた。また、各種の公益活動を通じて、その経験と知見を広げてきたのである。

二弁副会長、日弁連事務次長という管理職の立場で、人事、経理なども含めて組織を動かしていきました。また、会が打ち出した政策提言を政治家に説明したり、立法化に向けて関係省庁と調整をしたり。そういったロビイング活動を通じて、社会に変革を起こすプロセスも経験しました。

一方、社外役員を務めるようになったのは、日弁連事務次長を終えた12年からです。日本IBM時代の元上司から紹介を受けたIT企業を皮切りに、現在に至るまで上場企業7社の社外取締役・社外監査役の任についてきました。

取締役会で弁護士が貢献できることの一つとして、判例法上の「経営判断の原則」に則った意思決定がなされているかをモニタリングするという役割が挙げられます。私の場合は、モニタリングの際に、企業内弁護士時代に教え込まれた精神的独立性、攻めと守りのガバナンスや企業の社会的責任、弁護士会で組織の運営に関与したといった経験が生かせていると感じています。決して社外役員になることを目指していたわけではありませんが、過去の仕事のすべてが役に立っています。

「独立性」という観点から、必要だと思えば疎んじられるような意見も臆せず言ってきたつもりです。それが社外役員の使命だという思いからです。時に反対意見が出たり、議論が紛糾することもあるけれど、最終的には必ずベストな落としどころが見つかるし、逆に「言えなかったことを代弁してくれて、本当に助かった」という言葉をいただく時もあります。正直に言えば、心が折れそうになることもたくさんありますが、あえて空気を読まない(振りをして)発言をするのが私のスタイルです。

弁護士 市毛 由美子
写真右の新穂均パートナー弁護士(35期)は、のぞみ総合法律事務所への参画を勧めてくれた恩人。写真左の小川恵司パートナー弁護士(46期)は、2023年4月、第二東京弁護士会会長に就任

社外取締役としての信念とスタイルを大切に、前線に立ち続ける

社外取締役・社外監査役の仕事は、紹介や指名が大半である。オファーが途切れず続いてきたのは、市毛の仕事ぶりが高く評価され、信頼を得ているからだ。前述のような大切にしているスタイルに加え、市毛は前線に立つ女性ビジネスローヤーとして、意識的に取り組んでいることがある。企業内でのダイバーシティの推進だ。

ご指名いただく背景には、女性だから期待されていることがあるはず。特にダイバーシティ推進には積極的にかかわりたいと思っています。お願いして、それぞれの会社で度々実行しているのは、女性管理職との「女子会」です。仕事のスイッチをオフにして本音を聞き出すと、いろいろ見えてくる課題があります。それを取締役会で問題提起し、議論のきっかけをつくり、前進する。女性自身のモチベーションが希薄な組織もありますが、「あなたの自己実現だけでなく、女性の活躍が組織を変え、社会を変え、そして未来を変えていく」――そういったメッセージを伝えることで、使命感を持っていただき、モチベーションアップにつながることもあります。女性だけに限らず、若い世代の経営への参画を促すなど、多様性を取り込み、生かすといった提案をしていくことも、期待されている役割だと認識しています。

コーポレートガバナンスや多様性のアピールなどを背景として、社外取締役に弁護士を求める企業は増加傾向にある。ただ、市毛は「覚悟が必要」だと言う。業種が違えば、会社の特性もそれぞれに違う。独立した視点から監督するには、経営を理解し、度重なる勉強を伴う広い見識が求められるからだ。そして、その期待に応えるためには、相当の時間を割かなければならない。「社外役員は弁護士業務ではない」と言い切る市毛の言葉は印象的である。

モニタリングを行うには、様々な経営課題についての基本知識が必須です。資本コストを意識した事業ポートフォリオの組み換え、長期的な成長戦略に即した人的資本投資・無形資産投資、DX、カーボンニュートラルをはじめとしたEGSの論点など、最新の動向を常に勉強しておかなくてはなりません。プロの経営者のレベルには到底およびませんが、取締役会での議論に相応するレベルまで知識を深めるのはかなりの時間を要します。私自身は、企業法務領域との親和性もあって好きな分野ですが、弁護士業務とは別の仕事だと割り切っています。執行側には必ず顧問弁護士がいて、法律問題についてはきちんと意見を出していますから、それをダブルチェックすることなどは、ガバナンスの観点からは大きな意味がないと思います。やはり、求められているのはモニタリング=監督です。

会社の10年後、20年後、持続的な成長を考えていくためには、世の中の動きにアンテナを張り巡らせる必要もあります。近年ならば、パンデミック、経済安全保障、急激な気候変動など、ビジネスリスクとして喫緊に迫っている社会問題が頻繁に取締役会で議論されています。時間が足りなくて不勉強なテーマも多々ありますが、「これでは役に立たない」と言われないよう、できる限りの時間を割いて勉強し、準備する。社会人1年生に立ち戻った気持ちで、自分をブラッシュアップし続けることが大事だと思っています。

私は、変わったもの、珍しいものに惹かれ、そういったものに出合うと、自然とワクワクしてしまう性分なんですね。何かしらの岐路に立った時、人と違う道を選んできたからこそ、自分の居場所を見つけられたと思っています。自分を信じて、与えられた役割に懸命に応えてきたことが“次”へとつながっていきました。もちろん、素晴らしい人々との巡り会いや時代との合致という幸運もありましたが。

今は多様性の時代ですから、解は一つとは限りません。特に若い人には、固定観念にとらわれることなく、自分の価値観を信じて人生を楽しんでほしいと思います。今後も意識したいのは、常識外と思われがちな少数意見、マイノリティの声に耳を傾けること。そこに隠れている大事な何かを探り出すことができれば、さらに新しい居場所が見つかると思うのです。

※本文中敬称略
※取材に際しては撮影時のみマスクを外していただきました。