弁護士の肖像:2015年7月号 Vol.46

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

弁護士の肖像

アンダーソン・毛利・友常法律事務所 パートナー 弁護士 城山康文

独立してできる仕事を。 大学生になってから 意識した「弁護士」

5大法律事務所の一角を占めるアンダーソン・毛利・友常法律事務所(以下、アンダーソン)は、今春、ビンガム・坂井・三村・相澤法律事務所(外国法共同事業)の主力弁護士との経営統合を果たし、規模において日本で2番目となった。所属弁護士数約360名、ほかの有資格者や職員などを合わせると800名近くになる大所帯だ。城山康文は現在、ここで経営執行を担うアドミニストレーションを担当している。専門は、特許紛争を中心とする知的財産分野。1998年、アンダーソンに入所した時には専門家不在だった知財領域を自ら立ち上げ、「特許弁護士として胸を張れるように」と、実直に研鑽を重ねてきた。「自分のキャリアは自分で決める」。環境に甘んじず、大組織が有する様々な資源を活用することで力を蓄えてきた城山の働き方は、ひとつ、弁護士の新たなキャリア形成のありようを呈している。


生まれは兵庫県ですが、3歳の時、父の転勤で移住してからは東京です。私はわりに〝自分の世界〞にいるのが好きで、本を読んだりテレビを観たり、インドア派だったんです。本は、ミステリーものからドストエフスキー、三島由紀夫なども含めて、硬軟あれこれ。とにかく活字が好きで、なかでもストーリー性豊かなものに惹かれていました。あとは、釣り。中学生の頃にはルアーフィッシングにはまり、ブラックバスを狙って、友達と芦ノ湖あたりに出かけるのが一大イベントでね、すごく楽しかったのを覚えています。 勉強は、「普通にできた」ほうですが、本気を出すようになったのは中3になった頃。高校受験を意識してのことです。実は、3つ上の兄とは中・高・大学、全部一緒なんですけど、弟としては、どこか負けたくない気持ちがあったのでしょう。兄が筑波大附属駒場高校に、その後は東大・文Ⅰに入ったので、何となく同じでいくかと(笑)。 幼い頃は「プロ野球の選手になる」とか言ってたようですが、これといった職業イメージは何もなくて。いわんや、親類縁者に法曹関係者はいなかったので、弁護士という職業は程遠かった。思い返せば、私はテレビ番組の『必殺仕事人』がお気に入りだったんですね。アウトローだけど人知れず悪をたたく、あの正義感がたまらなくカッコよく思えた。多少の相関はあるかもしれないけど、まぁそれはこじつけで(笑)、自分が弁護士になるとはまったくイメージしていませんでした。


その弁護士を職業として意識するようになったのは、東京大学に進学してからだ。バブル経済がピークを迎えた時代。「大学生は学校に行かなくてもいい」ムードに加え、いずれの進路として、官僚になったり大企業に就職したりすることが、さほど魅力的に映らなかった頃だ。「独立してできる仕事」。城山は、そう考えるようになった。


世間で羽振りがいいと目についたのは、土地持ちの自営業者だったり、自分で事業を起こしている人が多かったんですよ。この先、組織に組み込まれるのは楽しそうじゃないなと。手に職をつけ、いずれは独立したいという気持ちが出てきたのです。その時に意識したのが弁護士で、大学2年になったあたりから司法試験を目指すようになりました。周囲の仲間たちが同様に目指していたのも、環境的にはよかった。 ただ私は、子どもの頃から一人で勉強したほうが集中できるタイプなんですね。授業を聞いていると、いつのまにか空想が始まってしまい、頭が飛んでいっちゃう(笑)。集中力がないのか、自分のペースで本を読んでいるほうが勉強になるんです。だから司法試験に向けても、答練に少し出るぐらいで、基本は単独で臨みました。 でもさすがに、後々格好悪そうだと思い、論文試験合格後に入ったのが、商法の江頭憲治郎教授のゼミ。当時は、無体財産権法の中山信弘教授のゼミが大人気だったんですけど、成績が悪いと落とされるという話だったので敬遠し、江頭先生のところへ。でもその後、先生は会社法の分厚い教科書を著され、商法の大家になられたので、私としては、先取りした気分なんですよ(笑)

実務修習を機に知った 知財の世界。 面白さに魅了される

東大法学部の〝留年1年生〞だった91年、司法試験に合格。一足先に合格し、名古屋で実務修習を受けていた同級生の勧めに従い、城山は、地縁がないながら名古屋での修習を第一志望とした。この時に配属となったのが、同地でほぼ唯一、特許訴訟を専門としていた富岡健一弁護士の事務所。これが縁の始まり。城山は、知財の領域とその仕事の面白さに触れたのである。

富岡先生はかつて、トヨタ対マツダのロータリーエンジンに関する特許訴訟に立たれた方です。旧制の高等専門学校を卒業された経歴から、豊かな技術のバックグラウンドをお持ちで、先生と出会ったことが、特許の分野に踏み込むきっかけとなりました。 修習で実際の案件をやらせてもらって、私はつくづく「仕事は面白いものだ」と思ったんです。勉強だけだと、自分の成績が上がるというインセンティブしかないけれど、仕事って「ちゃんとやるかやらないか」「いいアイデアを思いつくかどうか」が、依頼者の利害や人生に直結する。きちんとやれば、必ずレスポンスも返ってくる。机上とは違って、生身の案件は本当に面白いと、強く感じたのです。加えて、富岡先生もおだて上手で「城山君、君は筋がいいね」なんて言うものだから、それまで意識していなかった特許の世界に、すっかり惹かれてしまいました。 とはいえ「将来は特許で食っていこう」と決めるまでには至らず、楽しい修習生活を送っていたんですね。で、気がついたら実務修習も終わりに近づいていて、東京に戻るにあたって「就職を決めないとまずい」と。でも、東京に頼れる先もなく、結局、富岡先生に紹介をお願いしたんです。そして、快くつないでくださった先が湯浅法律特許事務所(当時)で、その後の道を決定づけることになりました。ちなみに、私のように修習が終わる段になって面接に訪れる人はいなかったらしく、事務所側は「今頃何してるの?」という感じではあったんですが(笑)、運よく入れてもらえたという話です。

湯浅法律特許事務所でスタートを切った城山は、有能な先輩弁護士に恵まれ、確かな〝基礎体力〞をつけていった。なかでも、特許の仕事で直接的な指導を受けた大場正成、近藤惠嗣両弁護士については「私の恩人」だと、その名を挙げる。「若手が多くて賑やかだったし、パートナーの先生方も個性豊かで、とても楽しい環境だった」。

入所して最初にアサインされたのが、バイオジェン社を代理して、インターフェロンに関するバイオ特許の侵害訴訟を提起する案件。右も左もわからないなか、仕掛りの訴状ドラフトを完成させて提出するところから始めたのを覚えています。これが、弁護士になって初めて起こした書面。それから、超硬合金の特許についての三菱マテリアル事件とか、焼却溶融炉に関する特許権を有していた反社会的勢力と戦った日本鋼管(当時)の事件とか、面白い特許事件をいくつも経験させてもらいました。大場先生も近藤先生も、大きな方針を示したあとは仕事を任せてくれるスタイルで、答弁書や準備書面の作成からその英訳、依頼者とのやり取りなどをすべて手がけられたことは、ものすごく勉強になりましたね。 そしてもう一人、お世話になったのが金融関係に強い平川純子先生。ちょうど債権の流動化が始まった時代で、先生の指導下、私も、富士銀行(当時)の売掛債権流動化の仕事によくかかわりました。様々な取引関係者が存在するなか、契約書を多数作成する仕事は、パズルを組み立てるような感覚で、これも面白かった。この債権流動化と特許の仕事が、およそ半々だったでしょうか。どの案件も中身が濃く、さらに、依頼者や仕事に対してあるべき姿勢を早くに学べたことはラッキーでしたね。 特許の仕事において、その本質を探り、議論の大きなストーリーを組み立てていくことの重要性、これも学んだことです。「発明の中身は特許明細書にわかるように書いてある」のは建前で、実際は難しい。関連書籍を読んだり、エンジニアに聞いたりしながら、自分で調べていく。そして紐解けば、そこにはちゃんとストーリーがあるんですよ。昔あった技術がどう発展してきたか。しかし、そこに問題や不便が生じ、それらを解決した当該の発明とは……という具合に、ストーリーを〝盛って〞でも組み立てていくのが特許弁護士の仕事。その過程で「なるほど。こういう仕組みだったのか」とわかるのが、最高に知的好奇心を満たしてくれる。私の性に合っているんだと思いますね。(以下略)
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■プロフィール

  • アンダーソン・毛利・友常法律事務所
  • パートナー 弁護士
  • 城山康文
  • 1968年9月30日兵庫県西宮市生まれ
    1987年3月筑波大学附属駒場高等学校卒業
    1991年10月司法試験合格
    1992年4月東京大学法学部卒業
    1994年4月司法修習修了
  • 弁護士登録
  • (第一東京弁護士会・46期)
  • 湯浅法律特許事務所入所
  • (現ユアサハラ法律特許事務所)
  • 1997年2月北京語言文化大学にて中国語研修
    1998年5月米国University of California,
  • Davis(LL.M.)修了
  • 8月アンダーソン・毛利・友常
  • 法律事務所入所
  • 2000年5月大野・城山法律事務所開所
    2001年5月アンダーソン・毛利・友常
  • 法律事務所に復帰
  • 2003年1月パートナーに就任
    2013年1月アドミニストレーション・パートナーに就任
  • 家族構成=妻、娘1人
  • ■主な教授歴・委員など
  • 東京大学法科大学院客員准教授(知的財産法)、工業所有権審議会臨時委員(弁理士試験委員)、東京大学法科大学院非常勤講師(コンピューター法)
    ほか多数