弁護士という職業を意識したのは高校生の時。直進で司法試験を目指す
インターネット上の誹謗中傷対策を専門とする清水陽平は、この分野の第一人者である。2000年代後半、まだSNSがそれほど普及していなかった頃に〝未知の世界〟に足を踏み入れ、自ら学び、経験を重ねることで専門性を高めてきた。Twitter(現X)やFacebookへの発信者情報開示請求を日本で初めて成功させ、また、多くのメディアにも登場していることから、その名は広く知られている。清水自身に「第一人者になる」という野心があったわけではない。面白いと感じること、好きなことを突き詰めてきた道のりが今日につながっている。気負いのない自然体こそが、清水の強みだ。
出身は岩手県一関市で、大学進学で上京するまで地元で過ごしました。子供の頃から体を動かすのが好きな運動少年だったんですよ。なかでも小学生から始めたスキーは得意で、今も続けている趣味の一つです。中学生時代はサッカー部に入っていましたが、途中から集団競技は自分に向いていないことがわかり、こちらは続かず。こうしたスポーツを通じて、私は基本的に一人で考えたり、行動したりするほうが性に合っていると自覚したように思います。
一関第一高等学校に進学してから精を出したのは、応援団の活動。もともとはバドミントンをやっていたのですが、仲のいい友達に誘われて始めたんです。バンカラな応援団なのでものすごく厳しくて、発声や手ぶりの練習は相当きついものでした。日々、筋トレをしているような感じ(笑)。でも、運動好きの私にはそれが苦じゃなかったし、学ランや法被を着て、団員が一体となって応援する感覚もいいものでした。バンカラスタイルで、けっこうみっちり活動したんですよ。
将来の職業について考えるようになったのは2年生になってから。それまで夢やイメージを持ったことは全然なくて、進路希望を出す段になって初めて意識したのですが、その時に頭に浮かんだのは、父と同じ職業である司法書士でした。具体的な仕事内容はわからなかったけれど、自営で悠々自適に過ごしている姿を見ていて、よさそうな職業だなと(笑)。
それで「司法書士になりたい」と父に話したら、「つまらんぞ」と予想外の答えが返ってきた。「法律にかかわる仕事をするならば、もっとやれることの多い弁護士はどうだ」と言うわけです。そして、高校生のうちから資格試験を意識するなら、文系で一番難しい司法試験を目指せとも。ここで初めて、弁護士という職業に目を向けたのです。ただ、身近に弁護士はいなかったし、当時はリーガルドラマなどもなかったから、あくまでも「法律のことをする人」くらいの認識だったんですけどね。私の場合は、憧れてというより、一番難しい試験だというのなら挑戦してみようという思いが〝入り口〟になったのです。
一貫して成績上位だった清水は、指定校推薦を受けて早稲田大学法学部に進学した。司法試験を目指すという決意は固く、上京してから羽を伸ばしたのは1年間だけ。「2年生になったら準備を始める」と決めていたそうで、実際、清水は司法試験予備校に通いながら、勤勉な大学生活を送っている。
「1年生のうちは遊ぶ」と親にも伝えて、好きにさせてもらいました。司法試験受験の準備を始めれば、アルバイトをする時間もなくなるだろうと思って居酒屋でバイトしたり、所属していたギターサークルの仲間と旅行に行ったり。初めての一人暮らしだったし、そこは気ままなものです。
で、計画していたとおり、2年生になってからは司法試験予備校に通い始め、勉強体制に入りました。私は大学の受験対策室のようなところには入らず、予備校メインで勉強したんです。憲法、民法、刑法といった講義は大学1年でもありましたが、予備校で一から講義を受けました。以降も大学の法律系の講義はあまり出ず、予備校にいる時間のほうがずっと長かったです。
勉強を始めて1年くらい経った頃だったか、出された択一の問題が全然わからなくて、しかも、分厚い問題集を見て「これを全部覚えなければいけないのか」と絶望的な気持ちになった覚えがあります。でも、自分で決めたことですからね、絶対に受かるんだという気持ちのほうが強かった。
司法試験に合格したのは大学を卒業した翌年、4回目の受験でした。「丙案」という受験回数が少ない者にゲタを履かせる制度の廃止が決まり、受け控えの必要がなくなったので、試験の場に慣れるためにダメ元で初受験したのが3年時。本当は卒業年の合格を目指していたのですが、叶わずで……。その年の論文試験では、終わった瞬間に「ギリギリ落ちたな」という感触があり、実際、結果の通知もそのとおりだったので、来年はいけるだろうと。ちょうどロースクールが始まる年でしたが、さらに2年も勉強したくなかったので(笑)、旧試験一本に絞って、予備校で働きながら準備しました。翌年に合格した時は、嬉しいというよりホッとした気分でしたね。
ネット問題は未知だったからこそ、自分で挑んでみたかった
法律事務所からコンサル会社に足場を移し、ネット問題と出合う
弁護士登録をしたのは07年。清水は都内の中堅法律事務所に入所し、弁護士キャリアをスタートさせた。当初抱いていた弁護士像は、一般民事や中小企業の法務を扱う、いわゆる〝マチベン〟。そして、「3年経験を積んだら独立しよう」と考えていた。
やはり、自営だった父の働き方に影響を受けていたのでしょう、独立志向は早くからありました。3年を区切りに独立するなら、中規模、小規模な法律事務所で多様な仕事をするほうがトレーニングになるだろうと。入所した法律事務所は、合同説明会の場で話を聞き、まさに「いろいろできそうだ」と感じて選んだ先でした。ですが、結果的に勤務したのは1年間で、その後、私は危機管理系のコンサルティング会社に職場を変えています。
修習同期から寄せられた話がきっかけでした。「コンサル会社が若い弁護士を雇いたいと、人材を探している」。私にそう声をかけてくれたのです。聞けば、業務の内容はリスクコンサルで、これは面白いかもしれないと思ったんです。それと、クライアント企業のトップ層の下で仕事をするというスタイルにも惹かれました。企業の意思決定はどのように成されるのか――それを実際に見ることができますから。法律事務所では法務案件にも携わっていましたが、トップと直接会ったり、話をしたりする機会はほとんどなかったので、きっと勉強になるだろうと考え、動くことにしました。
コンサル会社では、弁護士としてというより、コンサルタントとして業務にあたっていました。クライアントは上場企業ばかりでしたが、大企業が人や社会とかかわっていくうえでは、メディアとの関係が非常に重要になります。「どのタイミングでどのような情報を発信するか」を一緒に策定したり、あるいは何か問題が起きた時などは、プレスリリースや記者会見の原稿をつくったり、そういう仕事をしていました。
私がインターネット問題と出合ったのは09年、この会社にいた時です。ネットに悪評を書かれたクライアントから、何か対策をできないかと相談を受けたのが最初。今とは違って、こうした案件は法律問題として捉えられておらず、法的対処も知見なしという時代です。どうすればいいのか、上司に相談しても「前例がないからわからない」と言われ、逆に「弁護士なのだから考えてよ」と投げ返されまして(笑)。自分で調べ、考えて……結果的には、悪評に対して正しい情報発信をしていくことで対処しましたが、思えば、ここが始まりでした。
時を同じくして、清水は別のネット問題にもかかわっている。発端は勤務していた法律事務所で同僚だった弁護士から、「受任した2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の案件を一緒にやってくれないか」と打診されたこと。内容は悪質な書き込みの削除と情報開示を求めるもので、法的対処は未知の分野だったが、「だからこそやってみたかった」と清水は振り返る。
声をかけてくれた神田知宏弁護士はIT業界の出身で、パソコン入門書を中心とした著書も多い先生です。その関係で2ちゃんねるの案件を受けたらしいのですが、いかんせんネット問題の指南書もなければ、参考になるような前例もほとんどない時代でしたから、「よくわからない」と。それで、一緒に考えながらやってみようという話になったわけです。
当時は、2ちゃんねるのような匿名掲示板に書かれたことなど、「便所の落書きなんだから気にしなくていい」というのが共通認識だったんですよ。そんなものに法律を使って対処する必要があるのか――そういう雰囲気が色濃かった。でも、だからこそ発奮したというか、新しい世界に挑んでみようと思ったのです。
発信者開示請求については、プロバイダ責任制限法(25年に情報流通プラットフォーム対処法に名称変更)を使えるということで、神田先生が起案に取り組み、私は削除の検討を始めました。
いろいろと考えたなか、至ったのは、出版の差し止めと同じ考え方で構成すること。結果はうまくいったのですが、削除と開示の申し立ての過程では、非常に難しい場面もありました。この頃、2ちゃんねるの運営がシンガポールの会社に譲渡されていたので、その会社を相手に申し立てをしなければならなかったのです。「どうすればいいんだ?」に始まって、もう調べまくったという感じでしたね。
結果が得られるまで多少時間はかかったけれど、動いたり、調べたりしたことはノウハウとして残りました。そして私にとっては、この分野の仕事は苦にならない、むしろ、理屈が通れば認めてもらえるという点で面白いと認識できたこと、それが大きかったと思います。
考え抜いた解釈が認められた時、大きなやりがいを感じる
トップランナーとして数多くのネット問題を手がけ、研鑽を積む
同案件で情報開示と書き込み削除を成功させたことで、清水たちの存在は2ちゃんねるの利用者間で認知されるようになり、同様の相談が多く舞い込むようになった。この時期、清水はまだコンサル会社に勤めていたが、「これで何とかやっていけそうだ」と目算が立ったところで退職。10年、清水は2人の代表パートナーとともに「法律事務所アルシエン」を開設した。
もともと3年で独立しようと考えていたので計画どおりではあったのですが、今にすれば、ネット問題とはいいタイミングで出合ったように思います。
2ちゃんねるの利用者たちの間で、「この人たちに頼めば開示や削除ができるらしい」と話題になってからは、相談がたくさん来るようになって、こんなに需要があるのかと驚きました。でも、限られた世界ですしね、「開示される」「削除される」ことがわかったら、こういう案件や誹謗中傷は減っていくだろうと思っていたんですよ。だから、広がりを狙ってという話ではなく、むしろ逆。「じきになくなる仕事」だと捉えていたのが本当のところです。
そうしたら、スマホの本格的な普及とともにSNSが出てきて、ネットに関連した問題や誹謗中傷はもっとひどくなった。要は、掲示板からSNSに〝場が移った〟という話で、さらに増加し、社会問題化してきたわけです。TwitterやFacebookに関連した相談が来るようになり、それぞれ国内初の案件として手がけたのは10年ほど前でしょうか。手探りだったけれど、新しいプラットフォームでも開示や削除のロジックは2ちゃんねると大きく変わらないので、この時は培ってきたノウハウを生かすことができました。
ただ、発信者情報開示請求は瞬発力が必要な大変な仕事です。ことに、プロバイダ責任制限法が改正される前に問題となったのは条文の解釈。法律が想定していたのは、投稿した時の情報がIPアドレスでそのまま残る掲示板のようなもので、新しく出てきたSNSは想定外だったんです。
SNSにはログイン時の記録は残るけれど、書き込んだ時の記録は残りません。そうなると、条文にある「当該権利の侵害に係る情報」が存在しないということで、プロバイダ側は「開示の要件を満たさない」と反論するわけです。ログイン時の情報は開示対象外であると。でも、それだとSNSで中傷されたら泣き寝入りするしかないことになり、絶対におかしい。そこで、「こう解釈されるべきだ」という理論を複数ぶつけて、裁判所に開示を認めてもらう戦略を取ったのです。最終的には高裁で、肯定例と否定例が生まれ、認める方向での法改正につながった。こういう時はやっぱり嬉しいし、やりがいを感じますよね。
「弁護士になった時はこういう仕事をするとは思っていなかった」が、時代の要請を受け、清水は多くの案件を手がけることで知見を広げてきた。ネット問題の複雑化、深刻化は今なお進んでおり、個人・法人問わず、その相談数や種類は増え続けている。現在、清水が受任する案件は、年間で150件を超えるという。
ネット問題を手がけるようになって15年ほど。相談やこうした問題を手がける弁護士がここまで増えて一般化するとは……まったく想像していませんでした。取扱案件もネット中傷の削除、発信者情報開示請求をはじめ、損害賠償請求、刑事告訴、ネット炎上やストーカー対応など様々です。
加えて、この仕事に対するイメージもずいぶん変わってきたように思います。始めた当時は、ネットは低俗なものというイメージがすごくあったんですよ。だから同業から「専門は何か」と聞かれた際に、ネット問題だと返すと、「そんな案件やっているの?」と一段低く見られることもありました。分野の認知が確立された現在では、さすがにそうしたイメージはなくなりましたが。私自身、過程でテレビや新聞などのメディアからコメントを求められて発信したり、問題対応のマニュアルなどを出したりしてきましたが、そうした活動が一役買っているとすれば嬉しい話ですね。
基本的に、ネット上でできることは中傷の削除と相手の特定です。以前に比べると、最近は「相手を特定したい」というケースが増えているように思います。特定したうえで、何らかの責任追求をしたいと。特定後は損害賠償請求や、刑事告訴をするわけですが、損害賠償については慰謝料の相場が安いので、被害に遭った方が正当な額を獲得できる仕組みづくりが必要だと考えているところです。また、刑事告訴は本来、相手が特定されていなくても可能ですが、警察がSNS事業者を捜査するのは難しく、実務上はまず特定を済ませてから行う必要があります。
新領域への対応を理論的に考え、検討していくのは面白い
興味・関心の赴くままに。大切にしているのは、「自分らしく仕事すること」
総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」が発足したのは20年。清水はこのタイミングで有識者の一人として構成員に任命され、プロバイダ責任制限法(当時)の改正に関与した。改正の背景には相談件数の著しい増加があり、また、同時期に耳目を集めた〝リアリティ番組〟に出演していた女子プロレスラーが誹謗中傷を苦に自死した事件があるとされている。
もともと「情報ネットワーク法学会」という学会に参加していて、プロバイダがログイン時点での情報開示請求に対応していない問題点などを発表していたので、総務省からお声がかかったのだと思います。
22年10月に施行されたプロバイダ責任制限法の改正時に、それまでなかった「発信者情報開示命令事件」という類型ができたんですよ。それまで、サイト運営者には仮処分、プロバイダには通常の訴訟という方法を用いる必要がありましたが、改正によって基本的にこの新たな類型の裁判で手続きが取れることになりました。よく「一度の手続きで特定できる」などと言われますが、それは誇大広告です(笑)。ただ、以前よりも特定までの時間は短縮されており、まだ不十分な点はいろいろあるにせよ、いい流れだと思っています。
今後、改善が必要な点は、ログ(通信記録)の保存期間の問題です。開示請求というのは、基本的には通信記録をたどっていく手続きなのですが、多くの事業者のログ保存期間は3カ月程度です。人気SNSのほとんどは海外事業者が運営しており、ログの調査に数カ月かかることもあって、3カ月で追うのは厳しい。ログが1年保存されていれば、特定できるケースはかなり増えると思います。
ログは通信の秘密にも関連するため、国はこれまで「早く消せ」というスタンスだったのですが、最近は方向転換したようで、6カ月くらいは保存されてもいいんじゃないかという案が出てきています。といっても、法律で保存義務を定められるようなものではないので、最終的には事業者側がどう考えて対応してくれるか、という問題です。強制はできないにせよ、国からの指導などを期待したいですね。
現在の関心事というと、広く言えばAI関連ですかね。最近、情報ネットワーク法学会のほうでもよく話題になるのですが、声をどのように保護するか。例えば、AIが合成する音声がある声優さんにそっくりで、権利侵害だと感じた時に、その声優さんは訴えることができるのか――といった話です。「音声権」といった権利が認められるにしても、どういう場合に侵害になるのか。感覚で「似ている」ということで侵害を認めると、ものまね芸人がやっていることはどうなの?となるわけで、その線引きが難しい。AIの普及によって、今後こういう新領域が出てくるでしょうし、そこへの対応を理論的に考え、検討していくのは面白いものです。弁護士の新しい活躍の場が、また出てくるかもしれませんね。
設立から15年経ったアルシエンは、弁護士、事務スタッフ合わせて30名を超える陣容となった。清水がそうであるように、それぞれの分野で高い専門性を持つ弁護士が所属しており、それが強みになっている。いたずらに規模の拡大を求めず、「自分らしく仕事すること」を大切にする事務所方針は、清水自身が重んじる価値観でもある。
先述のAI関連で話をすると、この先、弁護士業務はAIに取って代わられるという見方がありますよね。実際、単純作業や定型業務はAIが代替するようになり、私も契約書チェックなどで利用する時がありますが、十分ではないにしても、なかなか的確に問題を指摘してくれたりします。AI法律相談も同様で、一般論としての回答ならば精度も悪くない。ただ、案件は個別違うわけで、こまかい話になってくると、解釈などについてはクリエイティビティが求められるので代替が利きません。弁護士業務は、そうした創造的な仕事に移行していくのだと思います。
そこでカギを握るのは専門性。ある特定の分野において経験を積み、研鑽を重ねること。そのためにはまず、自分の好きな分野を見つけることが重要です。単純な話、苦になる、ストレスを感じるような仕事は続きませんからね。それは人それぞれで、うちの事務所でも、私とは違って「ネット関係はストレスを感じる」という弁護士がいるし、逆に、私が苦に感じるような分野を好む弁護士もいます。例えば学校関係の案件だと、時に教育委員会や親御さんが感情的な攻撃を向けてくることがあるから、私にはストレスになるけれど、そこに情熱を向けられる人もいるわけです。
「好きこそものの上手なれ」ですよ。好きな仕事で積み重ねた経験や知識は、自然と専門性となって現れ、それが呼び水となって仕事は自然に集まってきます。そして、自分の属するコミュニティのなかで、何かの分野で頭一つ抜けていれば、「あの先生を紹介しよう」と思ってもらえるようになる。その積み重ねが、「自分ならではの仕事」につながるのだと思います。
※本文中敬称略

