Vol.21
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秋山 幹男

HUMAN HISTORY

自分を必要とする人の力になることができる。たった一人でも、訴訟や立法運動を通じて問題を提起し、社会の在り方を変えることができる。それが弁護士の魅力だ

秋山幹男法律事務所
弁護士

秋山 幹男

2010年9月21日の朝日新聞、朝刊一面に「検事、押収資料改ざんか」の見出しが躍った。いわゆる「郵便不正事件」において大阪地検特捜部が証拠として押収したフロッピーディスクデータに改ざんの疑いありと、同紙が明らかにしたものだ。その後のいきさつは、周知のとおり。法曹界はむろん、日本社会を揺るがす大スクープ記事となった。21日午前1時、自宅の書斎でこの最終稿を見つめていたのが秋山幹男氏。朝日新聞社の顧問弁護士である。それまでに編集局と、事実の確認、表現の是非、どこまで書くべきかなどについてやり取りを重ねていた。

「重要な調査報道などの場合は、記事について事前に相談を受けることがあります。弁護士が過度に慎重になってもいけませんが、事実の真実性について心証を得られるか、神経を使います」(秋山氏)

このように顧問先の相談を受けるだけでなく、一般民事事件や刑事事件、表現の自由・知る権利に関する事件、人身被害に関する集団訴訟などにも数多く携わってきた秋山氏。そうした案件・訴訟が緊密に絡み合い、秋山氏の「弁護士人生という太い綱」は、編まれている。

部活にのめり込んだ高校時代と東大進学

秋山氏は静岡県静岡市の出身。

「小さいころは、自転車を乗り回し、駿府城の土手を滑り降り、ドッジボールなどをして遊んでばかりの毎日でした。小学5年で軟式野球部に入部、サードを守りました。われながら華麗な球さばきでしたよ。整備された内野グラウンドの土の感触が忘れられません」

やがて静岡市内の中学を経て県内の進学校・静岡高等学校に入学、ハーモニカバンド部に所属した。

「ハーモニカ、アコーディオン、弦楽器、管楽器などでクラシックを演奏する部でした。私は1年生でバスアコーディオンを、2年生からは指揮を担当。文化祭でヨハン・シュトラウスの『ウィーンの森の物語』などを指揮しました。当時、指揮の勉強をするために『指揮法教程』(齋藤秀雄著)という本を葵文庫(市立図書館)で見つけて参考にしましたが、それが小澤征爾はじめ日本の指揮者なら、みんな読んでいるスゴイ本だと知ったのは、つい最近です(笑)」

高2のとき、部活の顧問が「外交官になりたい」という氏の夢を聞き、東大法学部への進学を勧めてくれた。秋山氏は部活に専念しながらも、東大文Ⅰに現役で合格。同級生の久保田康史氏※1の誘いで三鷹寮へ入寮し、寮歌を歌い、青春をさまよったという。そして法学部進学後は、法律相談所※2の活動を行った。

「法学部の授業が始まると周囲につられ、私も法律の勉強に没入しました。法律相談所で市民の相談を受け、事例に則して法律問題を考えたことや、仲間と勉強会で議論したことが役に立ちました。在学中に司法試験に合格できたのは、そのおかげもあったと思います」

「念のため」と、公務員試験も受験。自治省(現 総務省)に内定したときは、少し進路を迷ったという。しかし、「人のために具体的に何かをしたい」という思いは高まっていた。しかも「若いうちから“自分の力”でそれをやれるのは弁護士」と考えた。そこで、弁護士の道を選んだ。

司法研修所に入ると、課外活動も熱心に行った。公害問題を研究するため、町工場の近隣を訪ね、話を聞いて歩いたこともある。

「当時はベトナム反戦運動や大学紛争、市民運動、労働運動が盛んな激動期。1日に何百人も逮捕者があり、市民運動に関わるさまざまな問題もあったものの、そうした事件をやる弁護士は多くいませんでした。ならば私たちがやろうじゃないかという声が仲間内にあふれました。私は幹事となり、そうした事件を自由にやらせてくれそうな事務所をリストアップし、皆を連れて事務所見学に行きました。自由に活動できるよう給料は安い方がいいという考えでした」

薬害訴訟、予防接種訴訟など個別事件で弁護士の素地を作る

そして秋山氏は、「飯田内田儀同法律事務所※3」へ入所した。

「弁護士になったばかりのころはデモの逮捕者などの接見もたくさん行いました。事務所には出稼ぎ労働者の労災事件※4などやりがいのある事件がいくつもありましたが、事務所外の先輩や同輩弁護士とも多くの事件を共にしました。3人のボスの方針で、事務所の枠にとらわれず自由に仕事をさせてもらえたことは、ありがたいことでした」

事務所や事務所外のつながりから、人身被害に関する三つの集団訴訟に関与した。一つ目が日本初の薬害集団訴訟、サリドマイド訴訟。入所1年目のことだった。

「内田と儀同が、弁護団※5に私を引き入れてくれました。私が加わった翌年から証人尋問が次々に行われ、結審を目前に東京地裁で画期的な内容の和解が成立しました※6。新米弁護士の私はさして役に立たず、割り当てられた被告申請の統計学者の反対尋問もうまくいかず、じくじたる思いでした。しかしこの訴訟に関与したことが、他の訴訟や情報公開制度への取り組みなど、後の私の人生に大きな影響を与えました」

二つ目は、クロム禍労災訴訟※7。弁護士になって5年目、久保田康史氏の誘いで、原告弁護団に加わることになった。

「彼の事務所が引き受けたのですが、医学的な因果関係が主たる争点になるため、サリドマイド裁判を終えたばかりの私に声が掛かったようです。私は弁護団の医学班のキャップとして、労働科学研究所の佐野辰雄博士のもとに通い詰め、アメリカの疫学者を訪ね、毎月のように北里図書館※8で新しい文献がないかと探したものです」

三つ目は、予防接種被害東京訴訟※9。サリドマイド弁護団の一員だった山川洋一郎氏が、誘ってくれた。

「一審の東京地裁は、憲法29条3項を類推適用して国の損失補償責任を認め、62家族全員を勝訴させました。二審の東京高裁は、損失補償責任を否定しましたが、厚生大臣(当時)の過失を肯定し、国の国家賠償責任を認めました。1家族のみ除斥期間経過で敗訴しましたが、最高裁は『除斥期間による権利の消滅を認めるのは正義と公平に反する』として高裁判決を破棄、差し戻し審で他の被害者と同等の和解が成立。最終解決までには26年もの歳月を要しましたが、裁判所と当事者が被害者全員を救済すべく知恵を絞ったこの裁判を、私は『司法のドラマ』と名づけました」

サリドマイド訴訟では和解によって損害賠償だけでなく「全被害者の恒久的な救済」を目的とした財団が設立された。予防接種被害訴訟では訴訟に勝ったことに起因し、予防接種法の救済制度のさらなる改善が図られた。

「いずれも原告はもちろん、全被害者に恩恵をもたらした訴訟だった」と秋山氏。

氏は、こうした集団訴訟に関わったことで立証活動や法律構成の難しさを切り開く経験を重ねた。

個別事件に動機を得て立法へと活動を拡大

秋山 幹男

こうした人権訴訟に関与した経験から、情報公開の重要性を痛感した。

「サリドマイド訴訟はまさに情報の非開示によって生じた事件の典型。薬の製造許可の審議過程や副作用に関するデータが国民に積極的に公開されていれば、薬害の発生は最小限に抑えられていたと思われます。クロム禍事件も予防接種事件も、しかり※10。『情報公開は民主主義の基礎であり、国民の知る権利は情報公開制度によって具体的に保障されなくてはいけない』と。そこで私は社団法人自由人権協会の中に情報公開法の立法運動に取り組むための小委員会を立ち上げました。これが知る権利に関する活動の原点です」

1979年、秋山氏は自由人権協会の情報公開小委員会担当者として情報公開法要綱案をまとめ、ほとんど初となる立法案の提案を行った。要綱案は反響を呼び、これをきっかけに「情報公開法を求める市民運動」が結成された。

「自由人権協会や消費者団体などにジャーナリストや研究者らが加わり、81年には『情報公開権利宣言』『情報公開8原則』を発表。憲法起草委員会のような雰囲気で議論を交わし、集会案内の宛名書きを皆でしました。そして、私たちは『人の命や健康に関わることについての情報は絶対公開だ』というスローガンを提起。地方自治体の情報公開条例はそれを受け入れて、企業の不利益になる情報であっても、人の命や健康を保護するのに必要な情報は不開示にできないという条項を入れました。これは先駆であるアメリカの情報自由法にもない、日本の情報公開制度独自のものです」

やがて秋山氏は政府の行政改革委員会の専門委員(情報公開部会)に任命され、行政機関情報公開法要綱案の作成に取り掛かる。いよいよ国の情報公開制度の確立に向けて動き出すことになった。「人の命や健康を保護するために必要な情報は不開示にできない」という条項も、すんなり国の情報公開法に取り入れられた。

国の行政情報公開法が制定・施行されて後、氏は内閣府の情報公開審査会の委員に任命され、不開示処分に対する不服申し立ての審査を担当することになった。

「妊婦に止血剤として使用された血液製剤フィブリノゲンがC型肝炎ウイルスに汚染され、多数の被害が生じていることが明るみに出て、それを使用した可能性のある医療機関名の開示請求が厚生労働大臣になされましたが、判断は不開示。私たちは開示すべきであると答申し、大臣はこれを受けて医療機関名を開示し、公表しました。自由人権協会の立法案や情報公開法を求める市民運動の情報公開8原則で私たちが提起した条項が、行政改革委員会の情報公開部会でも認められ、私自身が国の審査会でその条項を適用する結果となったことに、深い感慨を覚えました」

秋山氏の活動の場はそれにとどまらず、ほぼ並行する形で、1990年以降十数年間、法制審議会の部会や最高裁民事規則制定委員会で民事訴訟法・人事訴訟法とその規則の改正作業にも携わった。法制審議会の当初の部会長は東大の民事訴訟法の講義で多大な刺激を受けた三ケ月章名誉教授だった。「弁護士会の立場で意見をずいぶん述べたが、かわいがっていただいた」と秋山氏。

「法制審議会民事訴訟法部会の幹事・委員として民事訴訟法の改正作業に加わっていたさなか、行政改革委員会の情報公開部会の委員も務めました。思いがけず民事訴訟法部会で、行政改革委員会の情報公開制度の検討結果を参考にして公務文書の文書提出命令制度の再検討が行われることになり、私が行政改革委員会の『情報公開法要綱案とその考え方』について説明、立法予定の情報公開法の内容と考え方との整合性を考慮しつつ、公務文書の文書提出命令制度の在り方の議論が進められていきました※11。偶然、両方の委員を務めていた私のところで、民事訴訟法の公務文書の文書提出命令制度と行政情報公開制度がクロスしました。

秋山 幹男

表現の自由、報道の自由が弁護士としての主要なテーマに

秋山 幹男

弁護士は一生職人。勤勉であることが大切。「労を惜しむな。必ず何かが見つかる」

秋山氏の表現の自由との出会いは弁護士1年目にして始まっていた。マクリーン事件※12がそれだ。ここに、若いころの奮闘を伝える逸話がある。

「この事件は弁護士になって4カ月目のとき、同期の弘中(惇一郎氏)と一緒に引き受けました。ベトナム反戦活動や出入国管理法改悪反対の表現行為が政治活動に該当するとして、米国人英語教師のマクリーン氏が在留期間更新を不許可にされた事件です。収容令書や退去強制令書が発布された段階でその執行停止を申立てるのが通常でしたが、マクリーン氏は更新を不許可にされたに過ぎない段階でした。国家公務員試験を受けるため行政法の単位は取っていましたが、大学の授業では行政事件訴訟法25条など素通りでした。そんな私と弘中は“知らぬ強み”で、25条を読み『行政処分の効力停止ができるじゃん』とうなずき合い、申立てを行いました。東京地裁で裁判長から『その申立てに利益はあるのか』と、返答に窮する質問を投げかけられました。そこで私は最高裁の図書館に潜り込み、法務省の通達類に片っ端から目を通しました。その中に、地方の入国管理事務所長の質問に対する法務省入国管理局長の回答を見つけたのです。『在留更新を申請したが、決定がないうちに従来の在留期間が経過してしまったケースについて、不法残留として違反調査手続を開始しなければならないか』との質問に対し、『不許可の決定がなされるまでは不法残留として扱わない』と回答が記載されていました。『これだ!』と思いました。それを疎明資料として提出したところ、東京地裁は、不法残留者として扱われないという点において在留期間更新不許可処分の効力を停止する利益があるとして、不許可処分効力停止の決定をしてくれました。決定はすぐに判例時報に掲載されました。多分同期で、“判例時報一番乗り”でした。このときは『若さと行動力しかない20代の弁護士でも、がむしゃらに取り組めば日本国法務大臣の処分を停止させられるのだ!』と感激しました」

秋山 幹男

本訴の処分取消訴訟は東京地裁で勝訴したが、東京高裁、最高裁大法廷で敗訴。不許可処分から8年後、秋山氏は、退去強制となったマクリーン氏を乗せたパンナム機が成田の滑走路から飛び立つのを、弘中氏と見送った。

頭だけでなく体も使って解決の糸口を探し出すという秋山氏のスタイルは、こうした体験を踏まえてその後の難事件での“図書館通い”などへと引き継がれていったようだ。

弁護士人生中期以降は、「愛のコリーダ事件」、「朝日新聞富士見産婦人科病院事件報道訴訟」、「日刊新愛媛取材拒否処分取消請求訴訟」「テレビ朝日所沢ダイオキシン報道訴訟」「法廷メモ訴訟」など「表現の自由」「報道・出版の自由」に関わる案件が増えていった。

「朝日新聞社、テレビ朝日、岩波書店の顧問弁護士となり、出版報道の自由に関わる名誉毀損(きそん)・プライバシー・肖像権あるいは著作権の事件に関与するようになり、現在はそれがかなりの割合を占めています。いまだ最高裁係属中ですが、『沖縄集団自決訴訟』は、近年私が関与した中では最も重い事件です。これは大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』(岩波書店)などについて、日本軍の元隊長やその遺族が集団自決は隊長の命令によるというのは事実に反するとして訴えた訴訟です。私たちは座間味島などに渡り、60年以上前の集団自決の生き残りの人たちから新たな重要な証言をいくつも聞き取るなど、立証に全力を注ぎました。大阪地裁は原告の請求を棄却し、大阪高裁も『長い間語り継がれてきた公共性の高い言論について、それが違法となるのは真実でないことが明白であり、しかも現に重大な被害が生じている場合に限定すべき』という画期的な判断で、控訴を棄却しました」

秋山 幹男

知と技と志を後進に伝え、つなぐ

秋山 幹男

秋山氏は多くの一般民事事件で依頼者の期待に応える傍ら、人身被害訴訟で成果を挙げ、各個別事件に動機付けを得て、情報公開法の制定や民訴法改正作業へと活動の場を広げ、表現の自由や報道・出版の自由に関わる訴訟でも活躍していった。そうした多くの経験を後進に伝えるべく、修習生に向けて「尋問技術」を講義※13、筑波大学法科大学院では「民事訴訟実務の基礎」や「情報法(マスメディア関係訴訟)」で教壇に立った。実際、個別事件での成果・立法活動・教育といったこれらの仕事を、これだけこなした人物はまれである。

「確かに、弁護士になったらやれるといいなと漠然と夢見ていた事件にたくさん巡り合い、思う存分仕事をすることができました。素晴らしい先輩や同僚、そして良い事件に恵まれ、弁護士になって本当に幸せでした。筑波大学法科大学院の仕事は、40年近い弁護士生活を総括する良い機会にもなると思い引き受け、私が扱った事件も素材にして講義をしました。あらためてこれまでを振り返ってみて感じるのは、『弁護士のやりがいと存在意義は、深刻な被害や問題を抱える人々の力になれること』です。また、訴訟や立法運動を通じて問題を提起し、ささやかでも世の中の在り方を変えられるのが、弁護士という仕事です。しかも『たった一人でも、弁護士1年生でも』それができるのが弁護士の魅力です。『依頼者から直接委任を受けて、どんなものでも良いから自分の責任と力で人のために事件をやってみる』、若い方々には、ぜひそれを伝えたい。そのためには、事務所だけにこもらず、広く外にも目を向けて、自ら問題を探し出すくらいの気概を持っていただきたい。そうして若いうちに自ら主体的に何かを成し遂げたという経験は、必ずや糧となり、弁護士としての進む道をおのずと示してくれるのではないかと思います」

※1/東京弁護士会、霞ヶ関総合法律事務所。

※2/東京大学法律相談所。法学部の学生が市民の法律相談を無料で受ける。五月祭では模擬裁判を上演する。1947年設立。

※3/飯田孝朗氏、内田剛弘氏、儀同保氏(いずれも12期)。

※4/出稼ぎ労働者の労災事件。自動車部品工場でのイソシアネート中毒死事件(※)は、秋山氏が儀同保弁護士と共に心血を注いだ事件。全身に発疹や水泡が出ても会社は放置、一緒に働いていた弟は救急車の後を泣いて車で追いかけた。一審で勝訴し確定。※東京地裁1983年11月10日判決・判例時報1100号96ページ参照。

※5/サリドマイド訴訟弁護団。常任弁護団は、西田公一氏(弁護団長)、山田伸男氏、吉川精一氏、山川洋一郎氏、曽田多賀氏、更田義彦氏、それに秋山氏。

※6/自由人権協会が弁護団を編成し、全面支援。1965年、国と製薬会社を被告として東京地裁に損害賠償請求の訴えを提起。1974年、原告団と国および会社との間で、判決前に和解成立。以降、別に提訴されていた他の地裁でも順次和解が成立。被害者恒久救済のための財団「いしずえ」が設立された。『サリドマイド裁判 第1~第4編』(サリドマイド訴訟弁護団ほか編)などに詳しい。

※7/クロム酸塩製造工場(日本化学工業)で働く労働者に肺がんその他のがん、じん肺、鼻中隔穿孔などが発生した事件。東京地裁1981年9月28日判決・判例時報1017号1ページ参照。一審で一部勝訴。控訴期間内に和解が成立し敗訴者も救済。

※8/現在の慶応義塾大学信濃町メディアセンター(北里記念医学図書館)

※9/東京地裁1984年4月10日判決・判例時報1118号28ページ。東京高裁1992年12月18日判決・判例時報1445号3ページ。最高裁1998年6月12日判決・民集52巻4号1087ページ参照。『予防接種被害の救済ー国家賠償と損失補償ー』『日本裁判資料全集1 東京予防接種禍訴訟 上・下』(共に信山社)に詳しい。

※10/サリドマイド事件:1961年にドイツのW・レンツ博士がサリドマイド(睡眠剤)の催奇性を指摘。西欧諸国では即時回収を決定した。レンツ警告後も国内では製薬会社が販売を継続。会社および厚生省(当時)は、危険性に関する情報を国民に公表せず、被害が拡大した。クロム禍事件:クロム酸塩の肺がんなどの危険性は海外では戦前戦中から指摘され、対策が図られていた。一方、日本では昭和50年代以降に事実が一般に公表された。それまで企業や国は労働者に情報を知らせず十分な対策も講じなかった。予防接種事件:接種方法(年齢・量など)や接種体制(禁忌・予診など)の改善、定期強制接種の廃止(種痘)など被害防止対策は、予防接種事故が新聞で騒がれ、被害者が問題提起するまで放置された。「いずれも行政情報の秘匿により国民が被害を受け、行政もまた自らの行政について重大な誤りを犯す結果となった。これは公害、薬害、災害、環境破壊などに関する事件をはじめ、行政に関わりのある多くの事件に共通してみられることだ」と秋山氏。『自由と正義』(1981年2月号の特集 情報公開「弁護士と情報公開」)に詳しい。

※11/「文書提出命令の拡大は、法制審議会の民事訴訟法部会における大きな課題。原則、文書提出義務があるとすることに、経済界などの反発はあったがなんとか改正にこぎつけた。しかしその過程で国の公務文書だけは省庁からの抵抗が強く、一般義務化されなかった。それが法律案として国会に提出され、日弁連はじめ各所から批判を浴びた。『公務文書についての文書提出命令制度については折から情報公開法の検討を行革委員会でやっているのだから、そちらと照らし合わせながらやり直せ』ということになった。当時、私はその両方で委員を務めていた」(秋山氏)

※12/在留期間更新効力停止申立て事件:東京地裁1970年9月14日決定・判例時報605号24ページ参照。在留期間更新不許可取消請求事件:東京地裁1973年3月27日判決・判例時報702号46ページ、東京高裁1975年9月25日判決・判例時報792号11ページ、最高裁大法廷1978年10月4日判決・民集32巻7号1223ページ参照。

※13/尋問技術の講義:第二東京弁護士会の修習生の合同講義。司法研修所のセミナー、日弁連法務研究財団の研修、日弁連のサテライト研修でも同様の講義を行う。「尋問で失敗を重ねた経験に基づき自分なりに習得した尋問の準備の仕方や尋問の原則を話しています」と秋山氏。

PROFILE

秋山 幹男

秋山幹男法律事務所
弁護士

あきやま・みきお

第二東京弁護士会(1970年登録)22期

1946年2月 静岡県富士宮市生まれ
1958年3月/静岡市立安東小学校卒業
1961年3月/静岡市立東中学校卒業
1964年/静岡県立静岡高等学校卒業、東京大学教養学部文科Ⅰ類入学
1967年9月/司法試験合格
1968年3月/東京大学法学部卒業
1970年4月/司法修習修了、弁護士登録(第二東京弁護士会)、飯田内田儀同法律事務所入所
1980年4月/霞ヶ関総合法律事務所設立
1993年1月/更田秋山河野法律事務所設立
1994年5月/秋山幹男法律事務所設立(現在に至る)
2005年4月/筑波大学法科大学院教授(2009年3月退職)

公職その他
法制審議会民事訴訟法部会幹事・委員、最高裁判所民事規則制定諮問委員会幹事・委員、最高裁判所人事訴訟規則制定諮問委員会委員、行政改革委員会専門委員(情報公開部会)、特殊法人情報公開検討委員会委員、内閣府情報公開・個人情報保護審査会委員、町田市情報公開・個人情報保護審査会委員、「二十一世紀日本の構想」懇談会分科会メンバー(小渕首相の私的懇談会)、日本赤十字社血液安全対策委員会顧問、日本銀行金融研究所アーカイブ諮問委員会委員、日弁連民事裁判に関する委員会委員、日弁連家事法制委員会委員、マスコミ倫理懇談会・メディアと法研究会アドバイザー、社団法人自由人権協会事務局長・代表理事などを歴任

担当した主な事件
■人身被害関係訴訟など/サリドマイド訴訟、クロム禍労災訴訟、予防接種禍東京訴訟、日航機墜落事故集団補償交渉事件、自賠法政府の保障事業による保障金請求訴訟、出稼ぎ労働者イソシアネート中毒死労災訴訟、大型トラック死角事故損害賠償請求訴訟、輸血によるGVHD損害賠償請求訴訟、予防接種による被害不認定処分取消請求訴訟 ■環境保護関係訴訟/浜名湖汚水処理場建設差止仮処分事件、池子米軍住宅建設仮設調整池設置工事続行禁止請求訴訟、禁煙車設置請求訴訟 ■出入国管理関係訴訟/マクリーン訴訟、都立高校生退去強制令書執行停止申立て事件、イタリア紙記者再入国許可取消処分効力停止申立て事件  ■知る権利・情報公開関係訴訟/法廷メモ訴訟(レペタ訴訟)、栃木県知事交際費情報公開訴訟 ■出版・報道の自由関係訴訟/日刊新愛媛取材拒否処分取消請求訴訟、愛のコリーダ刑事事件、朝日新聞色盲まやかし療法報道訴訟、朝日新聞中曽根元首相側近名義株取引報道訴訟、朝日新聞富士見産婦人科病院事件報道訴訟、テレビ朝日女子アナウンサー名誉毀損・肖像権侵害訴訟、テレビ朝日所沢ダイオキシン報道訴訟、天声人語週刊新潮記事名誉毀損訴訟、南京戦「百人斬り競争」報道訴訟、沖縄集団自決「沖縄ノート」等訴訟 ■その他/著作権関係訴訟(「コルチャック先生」事件など)、行政訴訟(摂津市保育所設置費国庫負担金請求訴訟など)、一般民事訴訟(不動産、相続、リースなど)、刑事事件

顧問先
朝日新聞社、朝日新聞出版、テレビ朝日、岩波書店、日本赤十字社、ヨネックス、日本対がん協会ほか(法人格略)

著書・論文
『予防接種被害の救済』編著・信山社(2007年)、『MEMOがとれない-最高裁に挑んだ男たち』共著・有斐閣(1991年)、『コンメンタール民事訴訟法(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ)』共著・日本評論社(2002年~)ほか、民事訴訟法、労災訴訟・労働法、行政訴訟・行政法、知る権利・情報公開などに関連する論文、雑誌・書籍での執筆も多数。

秋山幹男法律事務所
〒105-0001
東京都港区虎ノ門5-3-20 仙石山アネックス308
電話 03-3431-3973

秋山 幹男

※掲載記事の内容は取材当時(2011年5月号 Vol.21)のものです。