Vol.62
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水島 淳

HUMAN HISTORY

例えば「宇宙ビジネス」の法整備は始まったばかり。産業構造激変の時代、弁護士の仕事はこれからますます面白くなる

西村あさひ法律事務所
弁護士(パートナー)

水島 淳

「M&Aに携わる弁護士に」。大学3年で司法試験を突破

1981年生まれ、36歳の水島淳は、弁護士でありながらあえてビジネススクールの最難関、スタンフォード大学大学院の門を叩きMBAを取得した異色の経歴の持ち主だ。異国での学びを得て帰国すると、様々な分野のニュービジネスの立ち上げに貢献すべくチャレンジを開始する。「日本ではスティーブ・ジョブズは生まれない、というのは嘘」と断言する男の視野にあるのは、“ジョブズの卵たち”の孵化に欠かせない“社会インフラ”としての法的な事業エクセキューション支援だった。

生まれたのは兵庫の尼崎市で、幼い頃に宝塚市に引っ越し、高校までそこで過ごしました。小さな頃は典型的な“ごんた”。関西弁で“やんちゃ”のことです。恥ずかしながら、我儘で目立ちたがりで、近所の子としょっちゅう喧嘩しては親が謝りに行っていました。

父は、大阪で弁護士をしています。父も忙しく、平日顔を合わせるのは朝食の時ぐらいでしたが、よく言っていたのは「説得力を持て」「とにかく調べろ」、そして「幹事はお金を払ってでもやれ」。取りまとめ役をやると、必然的に多くの方々と連絡を取る機会ができ、自分の世界が広がります。おかげで様々な方の知見を得る機会に恵まれました。僕が弁護士になった背景に、そんな父の存在があるのは確かです。

母親にも感謝することしきりです。小学校の教師だったのですが、“インターナショナル”な人で、ボランティアで大使館の仕事をしたり、外国人大学生を寄宿させたり。僕自身も、中学の時にオーストラリアでのホームステイを経験しました。海外に対する免疫を授けてくれたのは、間違いなく母です。

水島 淳

ただ、この頃、地元の灘中学の受験に失敗、という挫折も味わっていた。中高は京都の洛南中学・高校まで片道2時間かけての通学に。その後、東京大学文科一類に現役合格を果たす。

田舎者の私は大学1年の前半、とりあえず東京生活をエンジョイすることに。でも、1年の冬には司法試験の勉強を始めました。朝7時から夜まで自習室に籠もり、その後カフェで23時頃までひたすら勉強する。日焼けした顔はみるみる“青白いウド”のようになり、友人から「どこか悪いんじゃないか?」と真顔で心配されたほど(笑)。

それほど司法試験に入れ込んだ理由には、ミーハーなところもありました。僕が大学に入った当時、産業界はM&Aブームで、組織がダイナミックに動く瞬間に携わる仕事ってカッコいいなと感じたんです。M&Aローヤーとしてそんな世界の最前線に身を置けたら――という思いに取りつかれました。で、一日中机にかじりつく生活を2年ほど継続。3年生の時、初めて受験した試験に合格できたのは、今考えてもいろんな幸運が重なったからとしかいいようがありません。

その後の卒業までの1年半は、それまでの“山籠もり生活”で失った時間を取り戻すために使いました(笑)。僕が籠もり切っていた間、友人たちは思い切り外の空気を吸って、勉強やインターン、起業、旅行など面白い経験を積んでいました。試験勉強中、自分の“レーダーチャート”が法律知識以外は伸びていないことにじりじりしていたので、試験終了後は、本当にいろいろなことをやりました。まずはバックパッッキングで世界を回りました。イベント運営会社など様々なバイトも。また、大学の恩師・中里実教授のご紹介でアメリカの大学を訪問し、海外で働く方々にお会いするなど、幅広い業界のお話を聞くことができました。

そんな時間を過ごすなか、戦略コンサルという職種を知り、コンサルティングファームでインターンもしました。組織の変革期を支援するという点で弁護士と共通すると感じ、また、仮説ドリブン思考など、最前線で活躍するコンサルタントの方々の思考回路に感銘を受け、多くを学び、弁護士かコンサルか、かなり真剣に悩みました。

弁護士が提供できる新たな価値の探求を目的に、米国留学へ

しかし、水島は、現在の西村あさひ法律事務所入所の道を選択する。「父の姿に触発されて弁護士を志した初心を大事にしよう」という思いに加え、例えば民法の損害賠償規定がなければどんな取引も成り立たない、そういう意味での“法の社会インフラ”としての機能に興味を覚えたのが、決め手になったという。

学生時代、日本を代表する国際弁護士でM&Aのエキスパートである草野耕一先生と出会えたことも僥倖でした。先生は、世間が時に弁護士を揶揄していうところの、「六法全書をこねくり回してダメ出しをする」といったイメージと真逆のタイプで、常に数学や経済学的なアプローチから法律を眺め、どう解釈、適用をすれば物事が公正かつ適正に進むか、という発想をお持ちの弁護士でした。心からこういう人の下で経験を積みたいと思ったのです。

入所すると、やりたかったM&Aローヤーをメインに、弁護士としての活動をスタートさせることができました。手がけたのは、国内とクロスボーダーのM&Aを半々くらいずつです。数千万円規模の事業譲渡もあれば、1兆円規模の経営統合といった案件にもかかわりました。学生時代に想像していたとおり、企業同士のダイナミックな営みをサポートする仕事は、とても意気に感じました。

大きなやりがいを感じられたのは、「できるのなら任せる」という事務所の自由な“社風”があったところも大きいです。入所2年目には、ある上場企業のM&A案件を交渉責任者として担当しました。交渉相手は別の大事務所のパートナーの先生でしたが、創業家の方などとも交渉して取引がまとまった時には、心底嬉しかったです。

ただし、やりがいが大きいぶん、胃が痛む日々でもありました。駆け出しの身で大きな取引の重要な部分を担当させていただくわけなので。遅くまで残って文献に当たり、類似事例を徹底的に調べ、契約書を諳んじられるレベルまで何度も何度も見返しました。

水島 淳
所内のカフェエリアでクライアントと電話打ち合わせをする水島氏。移動時間を有効活用するため、ハンズフリーイヤホン(Bluetooth対応)を常に携帯

ビジネス法務の最前線で活躍していた水島は、入所6年目の2011年、米国スタンフォード大学経営大学院に留学する。国際弁護士志望者が学ぶロースクールではなく、ビジネススクールである。事務所からも、当然のように「なぜ?」と問われるのだが、その答えはどのようなものだったのか。

理由は大きく2つあって、1つは数多くのM&A案件に取り組むうちに、弁護士として、まだまだほかにも提供できる付加価値があるのではないか、という茫漠とはしているけれど、確たる思いが芽生えたことです。そのため、新規サービス創出の方法論として、アントレプレナーシップを学び、実践したいと思ったのです。加えて、組織のマネジメントについて体系的に学びたい、とも。組織が動くという意味でM&Aは典型ですが、我々の業務としてもチームをうまく組成し機能させることがとても重要です。でも、私は人間的に未熟で短気で(笑)、人生経験もまったく足りない。スタンフォードに行けば、そんな自分の成長のヒントがあるはずだ、と考えたのです。

結果的には、期待以上というか、狙っていたものとは違う学びもたくさん得ることができました。例えば「マネジメントの要諦は、1対1のコミュニケーションにあり」という目から鱗の教えです。それは、リーダーシップといえば“1対多”で、みんなにビジョンを伝え、モチベーションを高め、組織力の最大化を図るもの、という自分の中でのマネジメントの基本概念を根底から覆すものでした。

いわれてみれば、マネジメントというのは、メンバー一人ひとりとの対話の積み重ねなんですね。本当に難しいのは、「みんな、一緒にやろうぜ」ではなく、一人ひとりと向き合った時の対話だと思います。あるクラスでは、経営の重要局面をロールプレイで学びます。例えば、教授が従業員、生徒が経営者役で解雇通知をロールプレイします。その際には、日頃絵に描いたような紳士である教授が顔を真っ赤にして“F”ワードを連発するんです(笑)。こういったリアルな1対1のコミュニケーションを重視した授業に「教科書には載っていないマネジメントの真髄」のようなものを感じました。

名誉学長で、ウェストパック銀行のCEOやシティ・グループの役員も務めたロバート・ジョス教授が繰り返した言葉も忘れられません。「マネジメントにおいて最も大事なのは、“インテグリティ”だ」。当たり前すぎる話ですが、大成功を収めた人物から聞くと、きれいごと抜きでその重要性が身に染みました。今、弁護士としての自分も、能力やほかの何より、業務への“誠実さ”が一番大事だと思っています。

〝やるべきこと〟を日本経済の成長貢献に定める

水島 淳

「世界で仕事をしている」では足りない。世界で認められ成果を残さなければ

スタンフォードは、シリコンバレーの心臓だ。留学は、“新しいサービスを生み出す方法論”を希求する水島にとって、実践の場でもあった。自らのビジネスアイデアを実現すべく、授業の合間に足繁く“シリコンバレー詣で”をして起業家や投資家に会い、同時に共に歩んでくれるチームメイトを探したのだったが……。

もう、フラレっぱなし。それはそうですよね、英語が不得手な日本人だし、弁護士だし、組む相手としては最悪でしょう(笑)。50人目くらいでようやくチームメイトに巡り合えたのですが、アイデアも未熟、チーム組成や開発もうまく進まず、結局シャットダウンせざるを得ませんでした。その“相方”は、卒業後グーグルに就職しました。

そんな切ない思いをしていたある日、友人の杉江理さんから誘われたのです。それが、革新的機能性とデザインを備えたパーソナルモビリティのスタートアップ、杉江さんがCEOを務めるWHILLのプロジェクトでした。

彼らの情熱やプロトタイプのカッコよさに感動し、どんどんのめり込み、そのままシリコンバレーで会社を設立しました。僕の役割は、事業パートナーとの交渉や資金調達などで、私のメンターでもあるVC投資家の伊佐山元さんにご指導いただきつつ奔走しました。結果、チームのみんなの頑張りと技術力、投資家の皆さんのご理解もあり、1年半で約15億円の資金を調達することができたのです。

スタンフォードの教え、自身のスタートアップがとん挫した悔しさ、WHILLでの活動……。すべてが貴重な経験で、自分の骨肉になっています。

14年に西村あさひに復帰すると、留学前の“新たな価値の提供”を実践すべく弁護士活動を再開。とはいえ、その時点でやることの中身が明確な像を結んでいたわけではなかった。財務的な観点も含めたアドバイスをアピールしたり、外国取引先へのプレゼン支援を売り込んだり。ただ、どれも正式案件になるにはほど遠く、なかなか「これだ」というものは見つからない。

トライ&エラーを1年くらい繰り返したでしょうか。そのうちにシリコンバレー時代の気づきと、目の前の現実が重なって見えるように。一言でいえば、日本経済のボトルネックは、“エクセキューション”の部分ではないか、ということです。アメリカのトップVCであるジョン・ドア氏も「アイデアは簡単だ、エクセキューションこそがすべてだ」と言っています。事業を新規に展開する時に、実現方法の選択肢を幅広く取り、バリューチェーンごとの関係者の立ち位置、権利配分をデザインし、その実現に向けた交渉戦略を立て、事業ゴールを完遂する――。そういったビジネスをかたちにするためのレシピの幅や戦略の多様性が増せば、経済はより強くなっていくのではないか。そうなればM&A、紛争など非連続的な手法も含めた選択肢の提案ができ、また、取引や交渉などのエクセキューションを積み重ねている弁護士が貢献できる部分が大きいのではないか、とも。

WHILL時代、日本の大企業の新規事業担当者、スタートアップや中小企業の経営者の方が、たくさん視察にいらっしゃいました。駆け出しで四苦八苦している僕たちに語れるようなことはほとんどなく、逆に教えてもらうことばかりでしたが、皆さんのお話をお伺いすると、どなたも一様に情熱と、素晴らしい技術や興味深い発想・アプローチをお持ちでした。そして、「日本にはビジョナリーがいない。スティーブ・ジョブズは生まれない」というのは嘘だ、と確信したのです。

同時に、視察に来られた多くの方々が知りたがっているのは、「どうやって日本人の若造がアメリカで資金調達してビジネスしているのか」という“How”の部分でした。これらを振り返るに、足りないのはビジョンではなく、エクセキューション、すなわち、ビジョンの“持っていき方”ではないかという仮説を持つようになったのです。

そして、それって弁護士の仕事とかぶる部分がとても大きいのではないかと感じたのです。我々弁護士は、日々、取引ストラクチャーの検討、契約による権利配分、交渉、紛争解決などの業務に携わっています。経営者さんが事業ゴールを明確にお持ちで、ただ、それをどうやってかたちにしていくかはこれから検討するという段階から関与して、例えば「M&Aではなく、従業員を承継し、知財を買うべきです」「別の取引を先行させ交渉力を増してから交渉に入りましょう」など、戦略的なアドバイスをする。そういった攻めのエクセキューション戦略の支援は、弁護士だからこそできる、かつ日本社会に貢献できる仕事ではないか――。そう考えるようになり、ようやく目指すべき道が見えてきたように感じました。

「宇宙ビジネス」の進展に向け、法整備をリードする

水島 淳

「エクセキューションをデザインする」。そう照準を定めると、顧客は、自然にスタートアップの経営者、ニュービジネスに進出する事業会社の経営陣がメインになった。ヘルスケア、IT、AI、ハードウエアと業種を超えて仕事の幅を広げる中で、縁があり手伝うことになったのが、宇宙ビジネスの会社だった。執務室に「スター・ウォーズ」のフィギュアを飾るほど“宇宙好き”の水島は、宇宙ビジネス法務の探求を進めていく。

人工衛星を乗せたロケットを打ち上げるとしますよね。軌道に乗った衛星を管理し、衛星が取得したデータを地上に送り、それを事業者に提供、事業者がそのデータを活用する、というフローのそれぞれに様々な業界の企業、領域の技術がかかわってきます。宇宙ビジネスのすそ野は非常に広い。近年は、地球外の天体での資源開発なども注目されています。ただ、肝心の法制度には、現実に追いついていないところも多くある。例えば、宇宙資源開発に関していえば、そもそもその適法性自体が法律上明確ではないのです。新規産業分野の発展の観点、また、個々の事業構築の観点いずれからも、そうしたルールづくりとの対話が必要なことはいうまでもないでしょう。

現在、国内でも宇宙活動法や衛星リモセン法が制定され、徐々に法整備が進んでいます。この分野に注力したこともあり、昨年からは、TMI総合法律事務所の新谷美保子先生とともに、政府の「宇宙ビジネスを支える環境整備に関する論点整理タスクフォース」の委員に就任。第一東京弁護士会でも宇宙法研究部会が立ち上がっています。

また、宇宙資源開発に関する国際的枠組の構築を目的に、オランダのライデン大学にて始まった「ハーグ宇宙資源ガバナンス・ワーキンググループ」では、同大学や国際的研究基金であるセキュア・ワールド・ファウンデーションとともに、当事務所の西村高等法務研究所が幹事メンバーを務めています。新しいビジネスが生まれる局面において、世界の動きのフォローアップだけでは不十分で、できる限り世界の動きをリードするポジションを確保することが重要だと思っています。

宇宙ビジネスが急成長を続けていくことは間違いないでしょう。弁護士のかかわり方としては、ルールメイキングが大事なエリアもあれば、権利配分の交渉がカギになるエリアもあります。また、いかにデータを知財化するか、紛争解決をどう設計するかといったテーマも。それは、宇宙以外の分野でも同じ。これまで弁護士業界全体として様々な分野の先生方が積み上げてこられた経験やノウハウが今後より必要とされ、かつ、これらを能動的に打ち出していくことで、我々の付加価値がさらに高まるのではないでしょうか。

はっきりしているのは、我々がゲートキーパーをやっているだけでは面白くない、ということ。黎明期にあるビジネスだからこそ、「目指す事業を達成する方法として提案できることは何か」という発想で、新天地に飛び立つ人たちを後押ししていければと思うのです。

法を表層で解釈するのではなく、とことん食い込んで理解し、何ができるのかを追求する。世界で仕事を、では満足せず、世界に認知される成果を目指す――。そんな水島の夢は、「日本に、世界に冠たる会社をたくさんつくり、それによって“ちょっと難しい雇用”をどんどん増やすこと」だという。

新しいビジネスを起こす意味を深く考えることがあるのですが、イノベーションが、人間がより“怠け者”になるためにあるのだとすると何だか悲しいですよね。新しいビジネスの存在意義は雇用の創出にあるのではないかと思っています。当然ですが、誰もやったことがないビジネスの仕事には、知恵も工夫も必要です。そうした“ちょっと難しい雇用”には、しかるべき対価が支払われ、結果、人も社会全体も豊かになっていく。また、年次や経験を問わず、いろいろな人に新しいチャンスが訪れるはずです。

個人的な思いにすぎませんが、そんな青写真を描きつつ、産業構造転換の一翼を担っていけたら最高だなと。そして、産業が高サイクルで転換していく社会では、弁護士にも、今までとは違う“知恵と工夫”が要求されることになるでしょう。どの権利が収益力のカギになるのか、その確保のためにはどうすべきか――。常にそうした新しい宿題が出続ける世界になっていくわけです。もし我々がその宿題に的確な答えを出せれば、社会が求めるニュービジネスの開花も産業構造の転換もより活発になるかもしれません。そういう意味で法と法律実務は、さらに重要な社会インフラとなると信じています。

若輩者の私ではありますが、日々の業務を通じて思うのは、こうしたインフラが動くことで世の中の様相が一変する時代が確実に到来している、ということ。弁護士の仕事が、今後ますます面白くなるのは間違いありません。僕自身、ワクワクしていますし、もっと社会に貢献できるよう、研鑚を積んでいかなければと思っています。

※本文中敬称略
※本取材および撮影は、西村あさひ法律事務所が入居する東京大手町の大手門タワーで行われた。