日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。
※掲載記事の内容は取材当時のものです。
弁護士の肖像
1981年生まれ、36歳の水島淳は、弁護士でありながらあえてビジネススクールの最難関、スタンフォード大学大学院の門を叩きMBAを取得した異色の経歴の持ち主だ。異国での学びを得て帰国すると、様々な分野のニュービジネスの立ち上げに貢献すべくチャレンジを開始する。「日本ではスティーブ・ジョブズは生まれない、というのは嘘」と断言する男の視野にあるのは、〝ジョブズの卵たち〞の孵化に欠かせない〝社会インフラ〞としての法的な事業エクセキューション支援だった。
生まれたのは兵庫の尼崎市で、幼い頃に宝塚市に引っ越し、高校までそこで過ごしました。小さな頃は典型的な〝ごんた〞。関西弁で〝やんちゃ〞のことです。恥ずかしながら、我儘で目立ちたがりで、近所の子としょっちゅう喧嘩しては親が謝りに行っていました。
父は、大阪で弁護士をしています。父も忙しく、平日顔を合わせるのは朝食の時ぐらいでしたが、よく言っていたのは「説得力を持て」「とにかく調べろ」、そして「幹事はお金を払ってでもやれ」。
取りまとめ役をやると、必然的に多くの方々と連絡を取る機会ができ、自分の世界が広がります。おかげで様々な方の知見を得る機会に恵まれました。僕が弁護士になった背景に、そんな父の存在があるのは確かです。 母親にも感謝することしきりです。小学校の教師だったのですが、〝インターナショナル〞な人で、ボランティアで大使館の仕事をしたり…(以下略)
しかし、水島は、現在の西村あさひ法律事務所入所の道を選択する。「父の姿に触発されて弁護士を志した初心を大事にしよう」という思いに加え、例えば民法の損害賠償規定がなければどんな取引も成り立たない、そういう意味での〝法の社会インフラ〞としての機能に興味を覚えたのが、決め手になったという。
学生時代、日本を代表する国際弁護士でM&Aのエキスパートである草野耕一先生と出会えたことも僥倖でした。先生は、世間が時に弁護士を揶揄していうところの、「六法全書をこねくり回してダメ出しをする」といったイメージと真逆のタイプで、常に数学や経済学的なアプローチから法律を眺め、どう解釈、適用をすれば物事が公正かつ適正に進むか、という発想をお持ちの弁護士でした。心からこういう人の下で経験を積みたいと思ったのです。
入所すると、やりたかったM&Aローヤーをメインに、弁護士としての活動をスタートさせることができました。手がけたのは、国内とクロスボーダーのM&Aを半々くらいずつです。数千万円規模の事業譲渡もあれば、1兆円規模の経営統合といった案件にもかかわりました。学生時代に想像していたとおり、企業同士のダイナミックな営みをサポートする仕事は、とても意気に感じました。
大きなやりがいを感じられたのは、「できるのなら任せる」という事務所の自由な〝社風〞があったところも大きいです。入所2年目には、ある上場企業のM&A案件を交渉責任者として担当しました。交渉相手は別の大事務所のパートナーの先生でしたが、創業家の方などとも交渉して取引がまとまった時には、心底嬉しかったです。
ただし、やりがいが大きいぶん、胃が痛む日々でもありました。…(以下略)
1981年 | 4月 | 14日 | 兵庫県尼崎市生まれ |
2002年 | 10月 | 司法試験合格 | |
2004年 | 3月 | 東京大学法学部卒業 | |
2005年 | 8月 | 司法修習修了 弁護士登録(第一東京弁護士会・58期) 現在の西村あさひ法律事務所入所 | |
2013年 | 5月 | スタンフォード大学 ビジネススクール修了(MBA) | |
2013年 | 8月 | WHILL, Inc.設立メンバー/ビジネスディレクター | |
2014年 | 8月 | 西村あさひ法律事務所復職 | |
2016年 | 1月 | 西村あさひ法律事務所 パートナー | |
2016年 | 8月 | 一般社団法人SPACETIDE 創業者 兼 理事 |
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