92年に開催された地球サミット(環境と開発に関する国際会議)への参加がきっかけとなり、次に浅岡は気候問題にかかわっていくことになる。サミットの開催地、ブラジルでの経験で環境破壊の現状に危機感を覚え、地球温暖化防止のために市民の立場から提案、発信、行動する認定NPO法人気候ネットワークも設立した。現在も弁護士活動との二足のわらじで理事長を務めているが、「実は、少し後悔していることがあるのです」と言う。それは何か?
水俣病患者たちが地球サミットに参加した主な理由は、水俣病の解決を日本政府に迫るためでした。水俣病患者たちが放置されてきたのは日本の端っこ、熊本の端っこで起きた事件だったから。これが東京や大阪で起こっていれば、違っていたかもしれません。72年、スウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開かれ、その場で胎児性水俣病患者さんが惨状を訴えました。それから20年経ったにもかかわらず訴訟が続いている。水俣病の問題を全国的な関心事にするために東京や関西などで訴訟を起こし、さらにこれを世界の視点から国に解決を迫ろうとしたものです。
またその頃、アマゾン川はゴールドラッシュにわいていて、水銀を使った砂金採りの影響が懸念されていました。金の精錬のために水銀を蒸発させて川に垂れ流していたんですね。水俣の経験が役立つのではないかと、医師の原田正純先生と現地へ。リオ会議が始まる前に1カ月ほどアマゾン地域やブラジル各地に滞在し、現地の研究者との交流もでき、環境と生態系の関係を真剣に考える機会となりました。そして、気候変動問題と向き合うことになるのです。
公害の問題は、ローカルといえばローカルです。例えば水銀で汚染された水俣の海も、対策を講じ、10年、20年と経過すると、それなりに改善していきます。でも、地球温暖化の問題は、一旦その影響が顕在化し、地球規模で深刻な事態になると、もう取り返しがつかない。世界の科学者たちは気候変動の問題の危機的なタイミングが迫っていることがわかっているため、警鐘を鳴らしているのです。水俣病問題はすでに大勢の人々がかかわっている。アマゾン水銀汚染への支援で私の役目は終わったと思えてきたため、気候変動の問題にシフトし、注力していくことを決めたのです。
現在では、世界の平均気温は産業革命前から約1.2℃上昇しています。世界の累積排出量の増加が大気中のCO2濃度や気温の上昇とほぼ比例しており、科学者たちは今後の温度上昇とその影響をかなりの精度で予測して私たちに示せるようになりました。グテーレス国連事務総長はこの夏、“地球沸騰”の時代に入ったと宣言しました。「猛暑や豪雨、干ばつなどが激化する。被害を最小化するために、世界でCO2排出を削減し、ゼロにしていく」ことが不可欠で、そのための交渉が続いています。
政治交渉が続けられる一方で、危険な気候変動は人の生命や健康、生活基盤にかかわる人権問題との認識が、世界で広まってきました。22年の国連総会では「清浄で健康的かつ持続可能な環境を普遍的な人権とする決議」が採択されています。
これまでは難しかった因果関係の証明も、アトリビューション・サイエンスの進展によって、今年の世界的猛暑は温暖化がなければ起こりえないことが証明されるようになりましたが、それだけ気候危機が迫っていることでもあります。そこで、排出削減に「努力します」といった政治合意でなく、「やらなくてはいけない」国の法的義務であることを、裁判所の判決で明らかにすることが世界の大きな流れになっています。
例えば、オランダのNGOと市民が2013年、政府に20年のCO2削減目標を1990年比で20%から25%に引き上げるように求めた民事訴訟で、オランダ政府は、自国の排出量は世界の0.5%に過ぎないとか、政治の問題などと主張しましたが、すべて排斥され、オランダ最高裁は19年に、25%削減を命じたハーグ地裁・高裁の判決を支持。この判決を受けて、アイルランドの最高裁やフランスの国務院(行政裁判所)でも削減計画の見直しや対策の強化を命じる判決が出されています。欧米諸国や南米、パキスタンなど途上国でも“気候訴訟”が提起され、国の責任を認め、事業者に削減を命じる判決も出ています。企業のグリーンウオッシングも近時の標的です。
気候変動は世界共通の新しい法的問題で、どの国の司法も不慣れですが、気候危機回避のために世界で司法の役割が問われているのです。原因も影響も基本的に同じですし、訴訟の焦点や証拠となる科学的根拠も共通する、世界同時進行のテーマです。
15年に約200カ国が参加したパリ協定が採択され、21年には地球の平均気温の上昇を1.5℃に抑えるためのグラスゴー合意の採択にも至りました。しかし、日本はパリ協定後に1000万kwもの石炭火力の発電所を新設して、世界中から批判を受けています。日本の司法も、地球温暖化は人権問題であるという認識にはほど遠いのです。日本だけが世界の流れの外にいる……。
そこで、気候ネットワークが気候訴訟を支え、私も訴訟弁護士としてかかわることとしました。しかし、神戸製鋼などの石炭火力発電所の行政訴訟では、住民の原告適格さえ認められませんでした。途上国も含め「世界で日本ほどひどい司法制度の国はないね」と同情されています。民事訴訟でも裁判所は削減の必要性を認めていません。
四半世紀、仕事としてのマチ弁業を続け、その後、NGO活動にかかわってきました。マチ弁業務は私には適職で楽しく、生活基盤でもありました。しかし、事の重大性に照らすと、気候変動問題に専念し、もっと早くから気候訴訟にも挑戦していれば、NGOの影響力をもう少し高められたかもしれないとの後悔があります。世界は気候危機の回避をビジネスチャンスともとらえ、数百年に一度の経済社会の大転換のまっただなか。欧米ではNGOが弁護士を雇用し、公益訴訟に専念できています。
若い弁護士に伝えることがあるとしたら、苦難の時代かもしれないけれど、一方で苦難の時代は創造的可能性に満ちあふれた時代でもあること。その価値に気づき、挑戦してほしいこと。そして私も、日本でも海外のように若手弁護士が仕事として気候変動問題にかかわれる時代に向けて、人生最後の挑戦をしたいと思っています。
※本文中敬称略