私が、ラフティング事件に関与することになったのは、独立前に勤務していた野田総合法律事務所で、弁護士1年目にしてボスの野田謙二弁護士に一任いただけたからです。私が検察官志望と言っていたこともあり、ボスが「事故系は早川君だな」と任命してくださいました。
事務所としてラフティング事故を取り扱うのは初めてで、ボスからは「やるからにはこの分野の第一人者になれ。ついては、業界の第一人者に話を聞きに行け」と。そうしたアドバイスをくれる、素晴らしい指導者に巡り合えたことに今も感謝しきりです。
当時は、常時20~30件ほどの事務所案件に関与させていただいていました。ラフティングの事件は、その中の一件。「何でもやらせてください」「(気持ちは)雑巾がけからやります!」と、働きまくったアソシエイト時代でした。でもそれがよかったとつくづく思います。研修などで、人前で話す機会が多い私にとっては、経験値がすべて。自ら経験していない人間の話は、説得力も、視野の広がりもありませんから。
現在、事務所の弁護士は私一人です。前事務所のときに懇意にしてくださった上場企業・学校法人のお客さま、独立前の人脈によるつながりで得た医療法人からのご依頼もあって、「企業・団体7割、個人3割」、企業法務や顧問業務がアウトドアの事件の3倍以上あります。弁護士1名ながら幸いにも多くの立派なクライアントを得て、今はこの事務所を残したい、人を増やして後継者を育てたいという思いです。しかし、この無名の弁護士が率いる小さな“泥船”に乗ってくれる人材を探すのに難儀しています(笑)。
私の場合、「新規分野を開拓しよう!」と意気込んで、今の立場を得たわけではありません。ボスから与えられた事件に実直かつ全力であたり、加害者・被害者の立場を理解しようと努め、事件が終わったあとも正しいと思ったことをやり続ける――。結果として、それが弁護士としての底力になり、新規分野の開拓につながっただけのこと。つまり、何か特定の分野に特化してやりたい! 究めたい!という強いこだわりがなく、何でもやる!と自然体で仕事に臨んだことがよかったのではないかと思うのです。
私が弁護士1年目だった頃、当時の日弁連会長がこんな話をしてくれました。
「富士山がなぜ日本一高いか? それは裾野が広いから。裾野が日本一広いから、日本一高くそびえることができた。だから、与えられた仕事は何でもやりなさい」
それが自分自身の考えとも合っていたので、殺人と性犯罪の加害者弁護以外はなんでもやってきました。
弁護士の仕事は原則、泥臭いものです。その泥臭さを受け入れながら、最低10年、弁護士としてがむしゃらに目の前の事件、与えられた事件に取り組む。そうやって裾野を広げることで、自分なりに世の中の役に立てる分野や、得意なことなどが見えてくるのではないかと思います。
※取材に際しては撮影時のみマスクを外していただきました。