弁護士の肖像:2014年5月号 Vol.39

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

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LM法律事務所
 弁護士
 瀬戸英雄

刑法に興味を持ったことが、弁護士を目指すきっかけに

腕利きの倒産弁護士として、今、真っ先に名の挙がる人物――瀬戸英雄。事業再生・倒産法に通暁し、こと2000年以降は、第一ホテル、マイカル、耐震偽装のヒューザー、商工ローンのSFCGなどといった大型案件の更生・破産管財人を歴任。確かな手腕を発揮してきた。周知のとおり、事業会社としては史上最大の規模となったJALの会社更生事件においても、瀬戸は管財人統括として死力を尽くし、再上場まで2年8カ月という最短期間で、再建への道筋をつけた。信条は、「なるべく多くの人たちに喜んでもらえる結果を出すこと」。それを可能にしているのは、瀬戸の卓越したバランス感覚である。常に大局に立ち、既成概念や手法にとらわれることなく、一つ一つの案件をていねいに〝仕上げてきた〞。「困った時の瀬戸頼み」。その広い度量に、圧倒的な信頼が寄せられている。 祖父が伊豆のみかんを集荷して、戦中、満州に送ることを業としていた関係で、私は熱海で生まれました。ただ瀬戸家は代々小田原で、商人の家系です。父は国鉄に勤めましたが、肋膜炎で体を壊し、その後は青果店をやったり、食堂をやっていたり。家には若い衆もいて、大人に囲まれて生活していました。育ったのは小田原で、学校から戻ればランドセルを放り投げて野球に行く毎日。どこにでもいるような、田舎の悪ガキでしたね。 私は、ごく普通に会社勤めをしたいと思っていたんです。というのも、商売に忙しい親は、学校の授業参観というものに来たことがなくて、いわゆるサラリーマン家庭が羨ましかったんです。地元では名門とされる小田原高校に通っていたので、ちょっと名のある大学の経済学部にでも進んで、会社勤めしたいと思っていました。ですが、少しもの心がつくと自分の適性がわかってくるでしょ。元来、決まったパターンを繰り返すことが苦手な自分には、「どうも向いてねえなぁ」と(笑)。性分からすると自由な職業に就いたほうがいいと、いろいろ考えたのですが、書や絵、文筆に特別な才能があるわけじゃないし……金をかけず、努力をすればなれるもの、それが弁護士だったというわけです。 伏線はありました。高校3年の頃から、冤罪事件に対して興味を持ち始めたのです。戦後、多くの冤罪裁判に関与した正木ひろし弁護士の本を読んだり、首なし事件を描いた映画『首』を観たりしてね、刑事法に強く関心を持つようになりました。それと、当時、検察事務官を務めていた親戚がいて、その人が「日本で一番難関なのが司法試験。東大に入るより難しい」って言うもんだから、「面白い」。なら、それを目標にしてやろうと決めたんです。 モダンジャズや映画、そして小説に夢中で、それまで青春を謳歌していた瀬戸だったが、弁護士になると決めてからは、「人並みに勉強を始めた」。そして、法政大学法学部に進学したが、時代は全共闘真っ盛り。在学中、大学はバリケードストライキとロックアウトの繰り返しで、講義をまともに受けたことはほとんどないそうだ。専門課程に入ってからも学内に勉強場はなく、喫茶店など、外でゼミ学習をしていた。 弁護士になりたいという思いはありつつも、政治と青春に翻弄されて、実は何も勉強していない状態でしたが、奨学金をもらえそうなので、とりあえず大学院に行ったんです。院で学んだのは刑法。吉川経夫先生の指導を受けました。みんな知らないけれど、私は〝刑法学徒〞だったんですよ(笑)。始めるとのめり込むタイプだから、司法試験の勉強は棚上げにして、間接正犯をテーマにした修士論文に夢中になっていました。とはいえ、学者に向いているわけじゃないから、私の様子を見かねた先輩、労働法の金子征史教授が「お前、本当に弁護士になりたいのなら、独立した友人の法律事務所を紹介するから、そこで働きながら司法試験の勉強をしろ」と。〝書生〞として入った田口穣法律事務所は、設立されたばかりでまだヒマだったんです。私の仕事は、和文タイプによる書類の作成と来客へのお茶出し、あとは先生とヘボ碁を打ちながら酒の相手をする。この3つ。空いている時間を使って、受験勉強させてもらいました。基本は独学で、真法会の答案練習会へ行ったくらい。今のようにマニュアル化された受験本なんてなかった時代です。これは後日談ですが、私は司法修習生になってから、勉強スタイルをもとに短答式試験向けの六法を考えた。条文ごとに過去問を択一式で張りつけたもので、それが下森定先生の監修で自由国民社から出版された『択一式受験六法』。原案をつくったのは私で、今も定評ある本として版を重ねていますが、私に印税は入ってこない(笑)。

弁護士生活スタート。倒産事件を中心に、猛烈に働く

1976年、4回目のチャレンジで司法試験に合格。時を同じくして、瀬戸は一冊の本に出合う。「再建の神様」と呼ばれた早川種三氏の『会社再建の記―わが「助っ人」人生に悔いなし』である。弁護士になって何をするのか――それがまだ漠然としていた瀬戸に、同書は一つの道を示した。「会社更生の管財人というものは、すごい」。修習生になった頃には、瀬戸は倒産事件を扱いたいと考えるようになっていた。 会社が潰れるのには必ず原因がある。それは人だと。再建は、テクニカルな部分より、かかわる人たちが会社や事業を大切に思うかどうかにかかっている。という、その本の主旨に、とても感銘を受けたのです。だから修習生時代は、会社更生とか会計学、心理学など、およそ〝法律好き〞からは縁遠い講習を選択していました。 ただ、当時は倒産専門の弁護士なんて一握りの存在ですし、元来呑気な私は、「いずれ、何とかなるだろう」と、事務所探しには全然熱心じゃなかった。そんな私を採用してくれたのが、小田原高校の先輩で、のちに第一東京弁護士会会長になられた山崎源三先生です。市井の一般的な事案を扱う事務所で、倒産事件や刑事事件とは縁が薄かったのですが、私の志向を知る山崎先生は、機会があれば環境をつくってくださった。小さな案件ですけど、化粧品会社の私的整理や、顧問先だった電気メーカーによる破産申立など、主任的にやらせてくれたのです。弁護士になってすぐに、こういう仕事を経験できたことは貴重でした。 記憶に残っているのは、入所して3年経った頃に扱った個人破産。大手広告代理店の部長職にあった人が、膨らんだ消費者金融からの借り入れに頭を抱え、相談に来たのです。私はすべての金利計算をし、本人を連れ消費者金融に一軒一軒直談判。何とか債権カットに至ったものの、ほかの借金も多額にあり、結局、破産申立をすることになってしまった。過払い問題や自己破産など、まだない時代です。実は本事件が、東京地裁民事第20部の個人破産マニュアルの原型になっているんです。私が作成した申立書の書式が、「破産管財の手引」として残っています。 イソ弁として4年間在籍したのち、瀬戸は修習生同期2名と共に「西尾・瀬戸・栃木法律事務所」を開く。この頃は、基本スキルを身につけたら巣立つのが当たり前の感覚だったから、独立は自然な成り行きであった。しかし、新米事務所に仕事は少なく、「のんびりやるか」ムード。「金のかからないヘボ碁をよく打っていた」と、瀬戸は笑いながら開業当初を振り返る。 事務所を構えた年のお盆に、舞い込んできた事件がありました。ある会社の本社ビルが、暴力団員に占拠されたんですけど、その理由は、わずか50万円の債権で仮差押えをかけられたというひどい一件で。もとは、ある程度の負債額を抱えた法人の破産申立なので、普通ならば、私のような駆け出しに話はこないのですが、お盆中でほかの先生方がつかまらない(笑)。緊急性があったし、ヒマ潰しで事務所にいた私に巡ってきたわけです。書記官と封印執行に出向き、警察にも協力してもらいながら暴力団を追い出したんです。ここからです。民事第20部の案件が常にある状態になったのは。 振り返れば、先述の個人破産をちゃんとやったことがベースにあったのでしょう。その後の案件も最短で仕事してきたし、あまり〝現場〞に出ない管財人が多いと思うのですが、その頃の私は債権者や取引先などとの直接交渉もいとわず、全部自分でやってきた。そんな姿勢と責任の担い方が、信頼につながったんじゃないかと思うんです。どんなに小さな事件でも一所懸命きちんとやれば、それを見ていてくれる人は必ず存在するということです。 次のステップとして、新たに光和総合法律事務所を開いたのが90年。バブル崩壊と相まって事件件数や規模も大きくなり、猛烈に仕事していたある日……私は急きょ入院することになってしまった。46歳の時でした。黄疸が出て病院に行ったら、急性肝炎の診断。死に至る劇症肝炎になる可能性もあると脅かされて、結局、3カ月間入院です。退院してからもリハビリが続いたので、約半年は仕事ができなかった。人間、体が弱ると精神は先鋭化してくるというか、「死ぬかもしれない」と思ったら人生観は変わるものです。それまで体力には自信があって、倒産事件をやり、刑事事件もやり、さらには監獄法改正問題や一弁の業務対策委員会の委員長もやりと、仕事の幅を広げすぎていた。で、夜な夜な仲間と盛り場を徘徊してたんですから(笑)。病気はつらかったけれど、背負いこんできたものすべてを整理するいい機会になったし、一旦休憩できた貴重な時間でした。それから、自分が得意とする仕事中心の生活にスカッと変わったんです。 思えばこれが、今の私のスタートラインでした。(以下略) 続きをご覧になりたい方は、バックナンバーをお取り寄せ下さい。すでに在庫がない号もありますので、予めご了承下さい。

■プロフィール

  • LM法律事務所
  • 弁護士
  • 瀬戸英雄
  • 1948年1月1日 静岡県熱海市生まれ
  • 1966年3月 神奈川県立小田原高校卒業
  • 1974年3月 法政大学大学院社会科学研究科修了
  • 1976年11月 司法試験合格
  • 1979年3月 司法修習修了
  • 1979年4月 弁護士登録(第一東京弁護士会・31期)
  • 山崎源三法律事務所入所
  • 1984年4月 西尾・瀬戸・栃木法律事務所 共同設立
  • 1990年2月 光和総合法律事務所 共同設立
  • 2006年2月 LM法律事務所 設立
  • 2009年10月 株式会社企業再生支援機構 委員長就任(~2013年3月)