子供の頃から胸にあったのは、「悔いのない人生」を送ること
子供の頃から強かった向上心。キーワードは「人の3倍努力する」
大学在学中に公認会計士試験に合格した北村導人は、順当に、監査法人でキャリアをスタートさせた。自らステージを変えたのは、その5年後。業務を通じて「法的知見の必要性」を感じるようになった北村は、司法試験にチャレンジし、弁護士となった。28歳からはダブルライセンスを持つ〝二刀流〟プレイヤーとして、企業法務の分野で活躍。ことに、税務・会計が交錯する領域においては、先進的な取り組みを重ねてきた。現在は、新興勢力であるPwC弁護士法人を率いながら、組織づくりや人材育成にも力を注ぐ。北村のキャリアは挑戦の連続だ。それを成しているのは、「クライアントや社会の役に立ちたい」という強く純粋な思いと、飽くなき向上心である。
故郷は栃木県の南端にある藤岡町(現栃木市)で、とても自然が豊かなところ。のどかな環境で、自分の思うままに過ごしてきました。父は学校教師、母は保育士と両親とも教育に従事していましたが、勉強はもちろん何かをやれと言うことはまったくなかったんですよ。「自由にさせる」教育方針は、今となっては感謝ですね。何事も自分の考えや価値観で選択し、動くという道を歩むことができましたから。
勉学も運動も好きで、学校時代は一貫して文武両道に励んできました。入り口となったのは、小学校高学年の頃に、学校の先生から勉強の楽しさや努力の大切さを教わったこと。それからは成績が面白いように上がって、「努力すれば結果はついてくる」ことを実感しました。そして運動のほうは、サッカーと野球。ことに中学の野球部は厳しくて、まさに水も飲ませてもらえない〝昭和の部活〟でしたが(笑)、3年間続けたことで体力が培われ、身体、精神ともに強い忍耐力がついたのは確かです。
進学した栃木高校は、県内有数の進学校ということもあり、勉強に集中できる環境でした。高校でもそれなりに成績はよかったのですが、ある時、英語の先生から「人の3倍努力せよ」と言われまして。世の中には天才的な人や本当に優秀な人はたくさんいる。そのなかで肩を並べる、あるいは突き抜けていくには、人と同じことをしていてはダメだというわけです。私にはその言葉が胸に刺さりました。それで徹底的に勉強するようになり、文系で学年トップの成績を維持することができた。やはり結果は伴う――「人の3倍努力する」は、その後もずっと人生の軸になっています。
私は子供時分から「何で人間は生きているんだろう」と考えるようなところがありまして……。山本有三の小説『路傍の石』を読んだ時、「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、うまれてきたかいがないじゃないか」という言葉にとても感化されたのです。それもあって、先生たちから教えられたことが響いたのでしょう。自分をどこまで成長させられるか、社会に向けて何ができるのか。とにかく悔いのない人生を送ろうと、早くから考えていたように思います。
「将来、何になるか」。高校で職業案内の本を見ていた時、北村の興味を引いたのは公認会計士だった。「企業の財務諸表を監査する業務」「企業経営に直結する助言を提供する業務」。いずれも社会的に重要な仕事だと感じ、魅力的に映ったという。漠然とながらも、「大学に入ったらその勉強をしよう」と考えていた北村は、結果的に慶應義塾大学商学部に進路を取る。
公認会計士という職業に惹かれつつも、当時はまだ確定的ではなく、大学選びについては東大に絞っていたんですよ。ただ、東大がダメだったら浪人確定になるから、私大1校だけでも受験しておこうと。それならと選んだのが、会計士試験合格者を多く出している慶應の商学部でした。実際のところ、東大は不合格。受験日前に発熱して思うように力を出せずで……挫折にはなったけれど、わからないものですよね。慶應に行ったことが今日につながっているのだから、結果オーライだと思います。
何よりよかったのは、山田和弘君という親友に出会えたこと。田舎から上京すると環境は一変し、私は慶應の雰囲気にあまり馴染めなかったのですが、なぜか山田とは最初から気が合いました。そして一番の共通点は、二人とも会計士になりたいと考えていたことです。彼は早くから目標を立て、1年の冬から受験勉強を始めると決めていました。もう始めるのか……少しは大学生らしいことをしたくて、いろんなアルバイトを始めていた私には早く感じましたが、影響を受けて一緒に動くことにしました。
1年の冬からはダブルスクール生活です。大学の授業を受けつつ、予備校でも授業を受け、自習する。移動や食事の時間も含めて、山田とはずーっと一緒(笑)。二人とも「1回で合格する」気持ちが強く、短期決戦で臨みました。受験科目をどう勉強するか、時間配分をどうするかを相談し合ったり、互いの得意分野を教え合ったり。まさに切磋琢磨という感じでしたね。
新たな知識を習得する楽しさがある一方で、勉強量の多さはなかなか過酷でしたが、結果、二人とも大学3年の時に一発合格を果たすことができました。嬉しかったし、やっぱり努力は裏切らないと信じられた瞬間でもありました。ちなみに、合格祝いは回転寿司。普段は立ち食い蕎麦ばかりだったから、すごく贅沢したつもりだったんですけど、20皿も食べられなくて、二人して笑った覚えがあります(笑)。
司法試験は一つの挑戦。次なるステップに向けた自己投資だと考えた
監査法人を経て司法試験にチャレンジ。新たなキャリアの扉を開く
1992年、当時の最年少として公認会計士第二次試験に合格した北村は、時をおかずに大手監査法人(旧アーサー・アンダーセン)に入所。「早く業務を経験したい」という思いから卒業を待たず、大学生と社会人、二足のわらじを履く生活をスタートさせた。
大学の授業と調整しながら週数日働くという勤務形態でしたが、早くから実践的な仕事に就かせてもらいました。仕事は面白かったですね。会計士試験で勉強した簿記や原価計算、監査論などは、あくまでも机上で得た知識。それが現場でどう生きるのか、ピンときていなかったのですが、実務を経験すると、「こういう場面で生きるんだ」という手応えがありました。それに実務は、新しいことをどんどんやっていくから、座学とは異なる知見や技術の習得もできる。先輩や年上の同期から「まだ大学生だろう」なんてからかわれながらも、たくさんのことを教えてもらって、日々自分の成長を感じられる新人時代でした。
私のなかにモヤモヤする感覚が出てきたのは20代半ば頃。監査業務も何巡かして、難しい案件も経験するようになった時期です。監査先の会社関係者とは会計に関するコミュニケーションが中心になりますが、当然のごとく税務や法律の話も出てくるんですね。そこは切り離せない問題で、取引を検討している時には法律、会計、税務が総合的にかかわってきます。そうした場面において、私は法律のことはよくわからないから、有益なアドバイスを提供することができない。モヤモヤはそこにあって、ずっと自分のなかで引っかかっていたのです。法律を理解しなければ――そう思って民法などの勉強を少しずつ始めてみると、やはり学ぶ楽しさがあり、法律への関心がますます膨らんでいきました。
同僚が司法試験の勉強を始めたという話を聞いたのは、ちょうどそんな頃。考えたこともなかったけれど、「なるほど。そういう道もあるのか」と。もともと私は、20代の間はいろんなことにチャレンジして、次のステップへの基盤をしっかり築きたいと考えていたから、司法試験は一つの挑戦、自己投資になると思ったのです。当時25歳。専門家としてもっと知見を広めるために、そしてスキルを磨くために、時間とコストを自分に投資しようと決めました。
最難関の司法試験である。受験勉強と業務との両立は難しいと考えた北村は、監査法人を退所し、準備に専念することにした。ただし、当時の蓄えからすると、無職で勉強に集中できるのは1回の受験のみ。「絶対に1回で受かる」と自分を追い込んだ。そのプレッシャーと綿密な準備、計画が奏功し、北村は目標どおり一発合格を果たす。
1回で合格できなければ、その後はアルバイトしながら2年、3年……とすごく中途半端になると思ったんです。だから1回で決めようと。択一、論文、口述試験をすべて一発で合格するための計画やスケジュールを綿密に立てて臨みました。目標から逆算して今何をやっておくべきか、今後何をどのタイミングでやるべきか。こうした逆算法の思考は会計士試験を受験する際に身につけたもので、現在の仕事にも役立っています。
毎日朝から晩まで、受験予備校の自習室にこもって勉強です。1年程度の短期間ですべての受験科目の法律を理解・習得するのは想像以上に大変でしたが、目標どおりに合格できたのは本当に嬉しかった。くだんの「人の3倍努力する」を念頭に、計画を確実に実行したことが結果に結びついたのだと思います。
会計士時代の知見を生かしながら弁護士活動をする。特に会計と法律が交錯する分野を中心に専門性を磨きたい。その志向に変わりはありませんでした。比較的大手の法律事務所で経験を積むのがいいと考え、いくつか出向いたなか、一番印象的で、私のキャリアに理解を示してくださったのがあさひ法律事務所(当時)の江尻隆先生でした。この頃、先生も税務を含めた総合的サービスに関心を持っていらして、私の意向と一致していましたし、お人柄にも惹かれて入所したという経緯です。
まずは企業法務弁護士として様々な案件を経験し、力をつけることを優先しました。「若い頃は多様な業務を経験して土台をつくり、その上に専門性の柱を立てていくといい」。江尻先生からそうアドバイスを受けてのことです。実際、かなり幅広く業務を経験しました。M&Aは何十件も担当し、組織再編や増減資などの会社関連取引、金融に関しても様々な契約を取り扱いました。また、IT企業や証券会社に出向してインハウス業務を経験し、よりビジネスに近い企業法務を学べたのもよかったです。
大型の会社関係紛争にも関与しました。メガバンクの統合に関する仮処分対応なんですけど、短期間のうちにチーム全員で動いた案件。この時は会計の知識を生かせる場面があって、かつ、いい結果を残せたという意味で印象に残っています。
専門分野にしたいと考えていた税務領域については、案件が来たら「ぜひ」と手を挙げていましたが、20年以上前の話ですからね、ことに税務訴訟の件数って少なかったんですよ。なので、税務アドバイスや税務調査対応が中心でしたが、とにかく税務領域での経験値を積もうと努めてきました。当時は周りに税務をやる人がいなかったので、自分で情報を集めたり、勉強したりしながら。ただそこは、私にはベースがあるので、入りやすい世界ではありましたね。
アメリカ留学とオランダの法律事務所への出向。経験は大きな財産に
北村が留学したのは2005年。弁護士になってまる5年が経った頃だ。自ら希望したもので、「事務所が快く出してくれました」。国際税務を中心に勉強して専門分野につなげるのを目的に、1年目はジョージタウン大学ローセンターで、2年目はニューヨーク大学ロースクールで学んだ。
ロースクール2つというのは、ちょっと珍しいかもしれません。ジョージタウンでは全体的なことを学んだのですが、過程でもっと国際税務に特化した勉強をしたいと思うようになり、ニューヨークのほうにアプライしたんです。タックスローではアメリカトップの評価を得ているだけあって、非常に有益な学びを得ることができました。
授業が実践的で、とにかく面白いんですよ。よく覚えているのはクロスボーダーのタックスプランニングの授業。お題として3カ国の企業がかかわる仮想事例が与えられるのですが、その際、一組の学生3人それぞれの出身国に当てはめてタックスプランを考えていくんです。各国異なる税法や租税条約などを勘案しながら作成するので、当然、出来上がりは全然違うものになる。そして、最後は現地のタックスファームがレビューするという実に実践的な授業でした。学んだことは後に生きていますし、ここで議論を交わした世界中のクラスメイトとの絆は大きな財産となりました。
オランダの大手国際法律事務所から出向の話をいただいたのは留学が終わる頃。ヨーロッパは初めてでしたし、興味もあって動くことにしました。ここで働くようになって一番驚いたのは、日本の弁護士との働き方の違いです。オランダのトップファームでありながら、午後6時か7時には電気が消えて、ほとんどの弁護士は帰宅して家族と過ごす。休暇も夏場は1カ月ほど取るのが通例で、「それで回っている」のが不思議なくらいでした。オランダの社会全体にとっては、それが当たり前ということなんでしょうね。でも、そういう環境のおかげで、家族との時間を大切にすることができた。それまで家族と接する時間って本当に少なかったのですが、日々、子供たちを学校に送ったり、月に1回はヨーロッパの国々へ旅行に出かけたり。そうやって家族と過ごした濃密な時間は、私にとって一生の思い出です。
08年に帰国した時には、事務所は統合により「西村あさひ」として日本最大級の国際総合法律事務所になっていた。規模や時代の変化に伴って税務案件は増大、北村は「ひたすら仕事した」という。税務アドバイスや意見書の作成、税務調査案件、税務争訟案件など、精力的に仕事経験を重ね、税務という専門分野を掘り下げていく。
オランダ時代の経験から、「もう元の生活には戻るまい」と思っていたのに、日本に帰ったらすさまじい日々で(笑)。どんどん増える案件に加え、所内の税務勉強会に参加したり、ニュースレターを発行したり、あるいは外部の税務関連のセミナーも積極的に引き受けてきました。事務所内外に対して自分をアピールすることも必要だと考えていましたし、すべての経験は知見の蓄積になるものです。
こうした経験や具体的な案件を通じて、私は税務の面白さを一層感じるようになりました。それは、法律家としてのスキルを高度な次元で求められる分野だとわかったから。租税法という法律は法文自体がとても複雑で、読み解くのが難しいんです。クロスボーダー案件になると、租税条約も関連してきますし、それらをどう解釈するか、適用するか――難解なぶん、そこは法律家としての能力の発揮しどころになります。そして、実際に書面を作成するには、ロジックの構築力や文章表現力が要求され、さらに争訟になれば、事案ごとに応じた戦略性も必要になってくる。つまり、フルラインナップの能力が求められる分野で、エキサイティングなんですよ。私はそこに魅了されたのだと思います。
一方で、私は課題意識も持つようになっていました。日本の税務は、プランニングや調査の段階では税理士法人がサポートし、我々弁護士の出番は争訟段階になってからというケースが多いんですね。そうすると、争訟を進めていくうえでは、それまでの対応内容が足かせになってしっかりとしたディフェンスができなかったりする。そもそも更正処分がなされて争うとなると、時間面でも費用面でもクライアントには大きな負担がかかるわけです。もっと前段階で食い止めるために、税務を専門とする法律家が上流から関与する必要性がある――課題意識はそこにあり、私のやりたいことでもありました。大きな視点で言えば、日本の税務プラクティスを変えていかなければならないということです。
様々な要素が絡む課題に向き合うには、我々のスタンスを変えていく必要がある
さらなる進化を求めて新たな舞台へ。今なお続く挑戦の日々
「日本の税務プラクティスを変えていきたい」。その思いを強くしていた北村は、16年、PwC弁護士法人に転職し、また一つ新たなキャリアの扉を開いた。設立されて間もないタイミングで、北村が入所した時は弁護士4名という小所帯。実質、立ち上げから参画した格好だ。
もともとPwC税理士法人とは税務案件や研究会などで付き合いがあったのですが、ある機会で私の課題感や思いを伝えたところ、意気投合したんです。税務プラクティスの高度化を図るには、税理士とタックスローヤーの密接な協働が不可欠だという私の投げかけに、「確かにそうだ」と。一般的には職域の棲み分けを問題視する傾向があるなか、協働によって提供するサービスに付加価値を付けられる、Win-Winの関係になれることを早くに理解してくださった。これは大きかったですね。加えて、新しい事務所をつくり上げていくことの楽しみや期待感もあり、転職を決めたのです。
想定どおり、税務領域のビジネスは税理士法人との協働がうまく機能して拡大し、また、PwCの様々な専門家との連携によってコーポレートやM&A、金融などの案件も増えていきました。ただ、ずっと右肩上がりとはいかず、組織上の問題が顕在化したのは3年経った頃でしょうか。業務の拡大に伴ってメンバーも増えたのですが、それぞれバックグラウンドが異なるから、仕事の仕方やクライアントに対する考え方などに違いがある。そうした違いがズレとなって、所内に不協和音が生まれたのは、ある意味当然のことだったと思います。
私が代表になった年、最初に着手したのがビジョンの策定と、それに基づく経営への移行です。我々はどういう法律事務所をつくっていきたいのか。そもそも弁護士として、人として何を成し遂げたいのか。そこから始め、皆で1年をかけて徹底的に議論を重ねました。外部のコンサルタントから角度の広い膨大な〝問い〟を受け、我々は一つひとつを真剣に考える。そして、出てきた各人の思いをぶつけ合い、議論し、共通項を見いだしていくという作業です。
結局のところ、パートナー全員が自ら生み出した共通項は「クライアントの課題解決に全力を尽くし、ひいては社会に貢献したい」というごく根本的なところに収斂し、ビジョンを言語化しました。自分たちで絞り出したビジョンですから、誰にとっても腹落ちする〝軸〟を確立できたと思っています。
ビジョンを成し遂げるために、北村は大きく3つの指針を挙げている。「法務課題のみならず企業・個人の課題に正面から向き合う」「PwCの国内外の様々なプロフェッショナルとの連携を生かし、課題解決に全力を尽くす」、そして「個人の成長を常に意識し、新たなリーガルサービス、能力の開発・開拓を追求する」というものだ。
これからの時代、企業が抱える課題は目まぐるしく変わっていくでしょう。様々な要素が複合的に絡む課題に向き合うには、我々自身のスタンスを変えていく必要があります。法務の視点だけでなく、税務、会計、ビジネスなど多角的な視点で分析し、解決への道筋をつけられる能力が必要だということです。端的に言えば、「弁護士はこういう仕事をする人」という固定観念を取り払うこと。我々がプロフェッショナルとして提供できるサービスは、実は固定観念や枠の外にも多様にあるのです。
そして、昨今は新しい分野が次々と出てきていますよね。情報・AI、人権・環境などのサステナビリティ、先端医療などのヘルスケア、地政学、あるいは宇宙、防衛とか。世の中のトピックス、企業や個人が課題に感じていることに広くアンテナを張って、自分の関心事を見つけたら、その領域を勉強して、枠にとらわれずに多様な専門家と協働しながら知見や経験を重ねていく。そうすれば、若手でも「第一人者」の道が開けるはずです。
私自身でいえば、ここ数年サステナビリティの領域に関心を持ち、サービスや能力の開発に努めてきました。ビジネスと人権の問題は、企業が永続的な経営を行っていくうえで本当に重要な課題ですし、人権保護というのは弁護士の使命でもあるので、この分野を探求してみたかったのです。税務中心でやってきて、全然違う世界ではあったけれど、勉強や実務を含めて、相当な時間を〝自分の開発〟に充てたことで、今では人権関連領域をリードする一人として見ていただけるようになりました。こういうことの積み重ねだと思うんです。新しい課題を見つけてビジネスにしていく。全員がビジョンを軸にして全力を尽くす。リーガル・コンサルタントの集団として活動をしっかりと重ね、続けていけば、それが社会貢献につながると考えています。組織も私も、まだまだ発展途上。「社会に向けて何ができるのか」―― 子供の頃から胸にあった自分への問いを忘れずに、走り続けたいと思います。

