Vol.10
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矢田 次男

HUMAN HISTORY

少年時代に抱えた「心の闇」が、人の弱さを知る検事、そして人の痛みを知る弁護士にしてくれた

のぞみ総合法律事務所
弁護士

矢田 次男

元・地検特捜部検事から転身を図った弁護士

元・地検特捜部検事・矢田次男氏。いわゆる「ヤメ検」は、検察庁との折り合いが悪くなるケースも少なくない。「古巣に対して恩をあだで返すのか」という批判を受けることもある。しかし矢田氏の場合は、違った。例えば検察や警察がある事件で非難されると、マスメディアを通じて説明ができない彼らに代わり、スポークスマン的な役割を果たしたことも、ずいぶんあったからだ。「テレビ番組や新聞などで、検察や警察の悩みのような部分を代弁したこともありました」と矢田氏。元・地検特捜部検事ゆえに、「事件の筋読み、展開予測、それに応じた弁護方針を立てること」にたけ、辣(らつ)腕弁護士と呼ばれる矢田次男氏の足跡をたどる。

政治家へのステップとして弁護士を目指した高校時代

三重県菰野町。鈴鹿山系東山麓(ろく)の自然に恵まれた土地で、矢田氏は生まれた。決して平凡とはいえない「ドラマチックな人生を歩んでいると思いますよ」と、矢田氏。

「恥ずかしい話をみんなしてしまいましょう。私の子ども時代は社会全体が貧しい時代ではありましたが、その中でも私の家は特に貧乏でした。しかもおやじは酒ぐせが悪く、従順なおふくろに対して、カッとなるとつい手をあげ、怒鳴ったり、物を投げつけたり。夜中、おふくろの背中におぶわれて逃げた記憶が何度もあります。その音や声はいいようのない恐怖でした」

矢田氏は四人兄弟の末っ子。姉二人と兄がいる。おとなしい兄に比べると「血の気が多かった」という矢田少年は、父に対してやがて殺意とまではいかないまでも、それに近い気持ちすら抱くようになった。

「中学生のころは『このおやじがいなくなれば、家族は安心して暮らせる』、そう考えていました。恐怖心が心の中で渦巻く子ども時代でした。高校へ入学したころから、自分自身や環境を次第に冷静に見つめられるようになり、家庭崩壊という最悪の事態は避けられました。しかし、『なんでウチだけこんな目にあうんだ』と、世の中全体に対するいいようのない不満もありました。そうした中、高校三年生のとき、『政治家になろう』と決意。自らの置かれた環境を冷静に分析できるようになって、『こんな世界(家)を飛び出して劇的に自分の人生を変えたい』『親父がああなのも貧乏だからだろう。政治家になって貧乏をなくしたい』と子どもながらに考えたわけです。じゃあ政治家になるには、どんな職業から始めたらたどり着けるのか? 社会的地位やお金も必要なんじゃないか、自分でもそれができそうな職業は何だろう。それで自分なりに考えてたどり着いた職業が弁護士でした」

恐怖心という「暗い思い」にとらわれてはいたが、決して内にこもるタイプではなかったようだ。中学三年生から高校にかけては、ショペンハーウエルの哲学書やウパニシャッドなどの書物を読みふけり、田舎で議論に付き合ってくれる人はいないことから、地元の宗教団体支部へ「真理とは何か。神は存在するのか」といった議論をふっかけにいくという、ユニークな少年だった。

「ちょっと読みかじったことを、人に自慢げに話すような子ども(笑)。昔から議論好きだったんですね」

弁護士から検察官へと変わった目標

将来の目標を高校生で見つけた矢田氏は、中央大学法学部に合格した。

「しかし、そんなおやじが金を持っているわけもありません。叔父に頼み込んで、金を出してもらって入学しました。目標ははっきりしていたので、奨学金とアルバイトで生計をたてながら、司法試験の勉強は大学一年生から始めました。ところが当時は、学生運動が盛んだった時期。私もそんな環境に影響されて、学生時代は右に振れたり左に振れたり。アルバイト先で組合活動のようなことをしたり、右翼団体のような学生組織に入ってみたり。そんな時期を経て、司法修習生になったころには、世の中は自分が思い描いてきたようなもんじゃないと分かってきまして。つまり、弁護士になっても社会的地位を背景に何でもできるわけではない、それほど金持ちになれるわけではない、そもそも政治家に必要な金は額が違う、とか。そんな折、司法研修所の検察教官から『検事はいいぞ』と、特捜部検事の世界の話を聞きました。お恥ずかしいことに、私自身の心の中に権力志向的な部分があって、政治家になりたい夢は持っていたものの、簡単になれるわけじゃないと分かったら、逆に『検事になって、(悪い)政治家を捕まえるのもいいか』となったわけです(笑)」

権力犯罪に立ち向かう特捜部を目指した検察時代

矢田 次男

そうして、検察官の道へ進んだ矢田氏。1976年、東京地方検察庁検事任官。当初から「特捜検事になりたい」という思いがあった。

「東京から仙台や千葉へ転勤になったときも、いずれ贈収賄などの権力犯罪の捜査に、この経験を役立てようという意識がありました。例えば『一対一の密室犯罪』という意味では同じともいえる覚せい剤譲渡事件の捜査なら、覚せい剤を誰から入手したか、上流(出元)に向かって追いかけていく突き上げ捜査を行う。また、ソープランドの売春防止法違反事件を担当すれば、店と地域担当警察官との癒着はないかと調べる。日々の捜査で“特捜的な網”を張り、私なりに頑張ったつもりでした」

特捜部へ配属となるには、東京地検にいる必要がある。しかし、次に命じられたのは釧路への転勤だった。

「仙台・千葉と、誰よりも活躍してきたつもりでいたのに、なぜ釧路なんだと、正直くさりました。人間、能力評価については、他人には厳しく、自分には甘いものですからね。しかし、そのすぐ2年後には東京地検に配属。組織の人事とは自分の思い通りに運ばない、己のもくろみを超えた論理があるのだなと感じました。組織・企業の人事も学んだ、いい検事時代を過ごしました」

しかし、東京地検に入っても、特捜部に入ることは容易ではない。

「まずは直属の上司に認められるよう日々の行動・捜査で、実力と熱意をアピールするしかない。私が特捜へ行けたのは、たまたま。刑事部にいたとき、元警察官による連続強盗殺人事件があり(※1)、重要被疑者の取り調べに抜てきされました。そのとき特捜からきた応援が、松尾邦弘さん(2004~06年、検事総長)と熊崎勝彦さん(元・地検特捜部長)。この先輩二人に『頑張ってるな』と評価してもらえたのがきっかけだったのかなと思います」

そして1985年に特捜部へ配属。検事になって9年目のことだった。

「東京地検特捜部時代、印象に残った事件は『投資ジャーナル事件(※2)』。それと『リッカー粉飾決算事件』。これは初めて内偵捜査をしました。当時は借方貸方といった簿記会計の知識が不十分で、おまけに会計処理はコンピューター会社が行っていまして。ガサ(捜索)令状を取るためにコンピューター会社の担当者を聴取することになったのですが、この人の話すことが日本語とは思えないほど理解できず、本当に参りました。このままきちんとした調書が取れなければガサが遅れる、私自身も特捜から追い出されるかもしれないと焦りました。しかし、ずるずると時間が経過するうち、追い出されるのも覚悟のうえで、勇気を出して副部長に相談に行ったのです。すると副部長は『簿記会計の知識は不十分、コンピューターもよく分からんお前だからやらせてるんだ。分からないやつが取り調べるから、素人にも理解できる調書ができるんじゃないか。まさかお前、格好つけて取り調べやってんじゃないだろうな』と。知らないことは必死に調べて、相手に聞けと。それでハッと気付きまして。猛勉強し、取り調べのときは、相手に対して『おれはまったく分かってない検事なんだ。おれに分かりやすいよう説明しなかったら、これから毎日、いつまででも取り調べをやるしかない!』と。自ら、何も分からない検事だと“自白”して、やっとなんとかなったという思い出があります」

その後、大阪地検特捜部で「砂利船汚職事件(※3)」「豊田商事事件」などを担当。さらに東京地検に戻り、「リクルート事件」を担当した。

「砂利船のときは主任検事。大阪地検では『タクシー汚職事件(※4)』以来の、国会議員の起訴。豊田商事事件では、永野一男会長の下の社長の取り調べを担当。リクルート事件では江副会長の秘書室長などを取り調べた。振り返ると、いつも大きな事件にかかわっていたと思う」

矢田氏が特捜部で重用されたのは、取り調べがうまかったからというもっぱらの評判だ。では、なぜ取り調べで次々と、成果を挙げられたのか。

「取り調べは相手の心に入り込むことが大切。私自身、ボロボロな人生を歩み、それをもって相手に自分をぶつけていくからよかったんでしょうか。貧乏で心の闇に苦しんでという、底辺から立ち上がってきたことが根底にあるからかもしれませんね。なんだか、かつて同僚だった田中森一さんと似ているな…」

検事と弁護士の「感覚の違い」に気付く

「検事の楽しさは『団体戦の楽しさ』。その中で、『個人戦』も味わえる。野球やサッカーと同じですよ。ところが特捜部の仕事をひととおりやるうち、今度はまた生来の血の気の多さから別の欲が出てきたわけです」

それには、あるきっかけがあった。40歳を過ぎたころ、のどにポリープが見つかり、医師から「良性か悪性かは検査をしなくては分からない」といわれたのだ。

「それを聞いて、おれの人生、検事だけでいいのかと考えた。ほかにやっておくべきことはなかったかと。それで、もしもポリープが悪性だったら検事を続け、良性だったら、昔の夢だった政治家を念頭に置き、弁護士として再出発してみよう、そう考えた。検査をしてみたら、結果は良性。それで『検事を辞めよう。弁護士になろう』と」

上司からは強く引きとめられたが、「弁護士として、社会貢献させてください!」と頼み込んで辞めた。

「ある上司に、『矢田君、金に目がくらんで変な事件やるんじゃないよ。法律家として恥ずかしくない仕事をしろよ』といわれました。その助言もあって、当初から自分が納得できる事件しか受けませんでした」

検事から弁護士となって、あらためて気付いたことがある。

「それは保釈についての考え方。検事のときは『証拠隠滅の恐れがあるから、こいつは外には出せない』と、保釈には反対することを当たり前のようにしていた。しかし自分が弁護人の立場になったら、『脱税や背任の被疑者も普通の会社社長。基本的には立派な人物で、保釈されても証拠隠滅なんてする人物じゃないし、今さらやりようもない。なぜ保釈が認められないのか』とね。例えば銀行の頭取が倒産しそうな企業に追い貸しする。これさえ貸せば立ち直るという場面で、追い貸しが背任に当たるのかどうか。どっちとも取れるわけですよ、この手の事件は。しかし頭取本人が背任だと思っておりませんでしたといえば、それを否認の証しとして絶対に保釈を認めない…これはおかしいじゃないかと、弁護人になってから思いましたよね。同じ事実、事件を前にしても、検事と弁護士ではこうも感覚が違っていたんだということが、よく分かりました」

また、ヤメ検だからこそ、ほかの弁護士とは違う弁護の考え方もある。

「起訴されてから弁護が始まると考える弁護士もいるが、それはおかしい。刑事事件においては、起訴前の対策が大事。検挙前・逮捕前に弁護のエネルギーを集中するべきです」

親身な刑事弁護でクライアントと信頼関係ができ、やがて民事も任されたり、顧問依頼されたりというケースは多いという。

矢田 次男

「ドラマチックに人生を変えたい」そう願って政治家を目指した時代もありました

被疑者と共有できる経験を持つことが強み

矢田氏が弁護士になってから、心に残っている事件を尋ねた。

「一つは橋梁(りょう)談合事件(※5)。橋梁談合をした社員たちは、やりたくてやったのではない。いうなれば、長年続いたその業界の持つ仕組み、汚れ仕事に、知らぬうちに組み込まれた人たち。彼らは事実を認めているのに再逮捕までされましたが、その理由を捜査当局に問えば、著名な事件だからという答え。検事の感覚では逮捕・勾留・再逮捕は、当たり前のように出てくる言葉。ところが弁護士をやると、目の前の被疑者の生々しい部分にも直面する。やりたくもない談合をやらされて、逮捕・起訴され、家族も大変な思いを背負う。一度そうなると、会社に戻る場所はなく、仕事も失う。これは胸が痛みます。さきほどの保釈同様、たった1枚の逮捕状や勾留状で、被疑者の生活、自由が奪われる。それが非常にショックでした。弁護士をやってみて、当たり前だけれど、司法に携わっていることが、いかに重大なことかを痛感した事件です」

この事件を含め、「組織に属する人間の弱さ」「現場の人間の弱さ」に、共感することは多い。

「実際にコンプラ違反・談合・贈収賄をしてしまうのは地方の現場。暴力団から脅されたとか、役人から要求された、あるいは会社からノルマ達成を厳命されたなど、一社員にはあらがえない理由がそれぞれにあります。そんな人間の弱い面に、アツくなってしまう。私もかつて検察という組織に属した人間。組織に属するがゆえに味わうつらさ、苦しさ、組織の論理は、よく分かる。だから、彼らの役に立ちたい、助けたいとアツくなるんです。この種の案件は、企業側から依頼されることがほとんどでしたが、コンフリクト問題に悩むことがあっても、とても企業の都合だけで現場の個人を適当に扱うことなんて、できませんでした」

また、弁護士になってすぐのころ、福岡で中学生が酒乱の父親を絞殺する事件があった。すぐに「中学生に弁護人はついているか。もしもついていなければ無報酬でやるから」と福岡地検に電話を入れたこともある。

「かつて、私も同じような境遇にあったことから、その中学生の気持ちが分かる。DV(ドメスティックバイオレンス)の被害者は身内のことだから、恥ずかしくて人に相談なんてできないんですよ。私だって、すでに両親が亡くなり、この年齢になったから言えるんです。だから、『なんで早く相談しなかったんだ、黙っていたことが理解できない』なんて、ばかなこと言っちゃだめなんです!」

困りごとの種類は人によって違うが、困ったことに陥った人の痛みを共有できるのが、矢田氏の強みだ。

弁護士として、後進の育成を続けたい

矢田 次男

「最近特に多いのは、マスコミ対策を含めた企業の危機管理や、それに関連した調査委員会の仕事です。大きな刑事事件と名誉毀損事件の両方をやっていると、おのずとそこに行き着きました。昔に比べると弁護士の仕事は、複雑で多様化しています。それは検事も同じこと。だから、いわゆる“弁護士タイプ”や“検事タイプ”といった分け方や、“交渉力がないから弁護士には向かない”といった見方はナンセンス。熱い情熱を持っていればオールラウンドプレーヤーである必要はなく、それぞれ自分の特徴を生かして活躍できる、さまざまな場面や分野がある。それとお恥ずかしい話ですが、謙遜(けんそん)ではなく本音で、私は“お勉強”という意味ではあまり頭がいい方ではありません。しかし、そうであるがゆえに、すべての問題についてそれがどういう問題であるのかを、時間をかけてでもしっかりと平易に理解しようとする癖がついています。そうやって理解していますと、素人にも分かりやすい説明ができる。それがクライアントには、評判がいいようです。頭が悪いことは、よくないことばかりではないですよ(笑)。…思うに、困った人や弱っている人を手助けしたいのは人間の本能であり、喜び。弁護士は、そんな人間の本能的な喜びを享受できる、いい仕事です。事務所に入ってくる若い弁護士たちも、そのやりがいや喜びが味わえるよう、彼らにできるだけいいチャンス、いい仕事を残していってやりたいと思います」

※1/1984年「山中湖畔連続殺人事件」。元警察官が、不動産業者らと共謀し、山中湖に住む事業家ら二人を殺害し金品を強奪。元警察官ほか一名は死刑確定。一名は無期懲役。松尾・元検事総長が元警察官を、熊崎・元特捜部長と、矢田氏が不動産業者らの取り調べを担当。

※2/1985年、証券関連雑誌を発行する「投資ジャーナル社」による株式の不正売買事件。会長・中江滋樹の事件後聴取により、同社への便宜を図るため大物政治家や高級官僚らに対して株の利益を渡したことが判明。矢田氏は、中江の取り調べを担当。

※3/1988年、参議院議員が、砂利船の転用に関する質問で業界に有利な答弁を引き出し、全国砂利石材転用船組合連合会から謝礼として7000万円を受け取った事件。

※4/1965年に政府が提案した液化天然ガスへの新規課税に関する法案審議において、大阪タクシー協会長や協会理事が衆議院運輸委員らに献金、法案修正を働きかけていた疑惑が生じた。その疑惑の対象が、当時の運輸委員2名(1967年受託収賄罪で両名を逮捕)。

※5/2005年に発覚した鋼鉄製橋梁建設の公共工事の受注に絡み、橋梁メーカーが談合を行っていたとされる独禁法違反容疑の事件。