1998年7月、「社民党・福島みずほ参議院議員」が誕生。立候補の直接の動機は、土井たか子氏に誘われたことだ。
「1989年以降、参議院の法制局で法案を作る作業に加わったり、議員会館でロビー活動を行ったり。1990年代の初めには土井さんの選挙応援にも行ったので、以前から土井さんとの面識がありました。ある日、土井さんが『これから国会には有事立法がさみだれのように出てくる。そんな国会で一緒に頑張ってほしい』と。私自身、有事立法の成立には反対でしたから、悩んだ末に立候補しました」
立候補の決意を両親に報告したときの逸話がある。
「『今度、社民党から立候補しようと思ってる』と母に電話をかけたら、『あなた、お金かかるんじゃないの?』と一言(笑)。尋ねられたのはそれだけで、社民党から立候補することについて『なぜ?』という問いかけは一切ありませんでした。弁護士の活動も議員としての活動も根本的に支持してくれ、私のすることに驚かない両親でした」
両親は党員ではなかったものの、社会党支持者だったという。福島氏が社民党に所属し、国会で「憲法9条改正反対」や「有事立法反対」を強く主張するのは平和や人権に関する意識の高さからであり、それは少なからず両親に影響されたもの。
「私の祖父母はアメリカ移民で、祖父の弟はアメリカの日系人強制収容所に入れられたこともあると聞きました。また、私の父は特攻隊の生き残りです。終戦記念日になると仲間を思ってか、父が涙ぐむのを幼いときに何度も見た記憶がありました。母からは、友達や友達のお兄さんが戦争で亡くなったことをしばしば聞かされましたし、両親とも戦争をいとう気持ちや平和への渇望を強烈に持っていたことは間違いありません。そうした両親の影響に加え、長崎の原爆記念館に行ったことで核兵器の恐ろしさも体感しましたから、戦争はいやだ! 戦争反対! は、“私の根幹そのもの”となっているのです」
参議院議員となった福島氏は、弁護士時代と変わらず精力的だった。
「DV防止法※9や児童虐待防止法の改正は、弁護士時代からの流れ。いくつかの専門分野を持って、個別のケースを深掘りする弁護士と異なり、議員になると、環境問題、財政、医療、ODAなど、広範なテーマに携われる面白さが出てきました」
「環境・人権・女性・平和」を掲げる社民党で、名古屋刑務所の受刑者への暴行事件、有事法制反対とイラク戦争反対などの平和問題などにも、取り組む日々が始まった。
そして社民党の広報委員長や幹事長を務めた後、2003年11月に党首に就任。昨年9月に誕生した鳩山内閣では、内閣府特命担当大臣を拝命※10。弁護士時代にNGO活動などで取り組んでいた興味関心の高いテーマをそのまま国会に持ち込み、大臣として手掛けられる形だ。
「男女共同参画については、まさに“男女平等の部分”が担当ですし、民法改正については千葉法務大臣とタッグを組んで取り組んでいるところです※11。私の原点、あるいは核となる部分に重なる問題も多く、まさに集大成のような仕事に携わっています。その分、成果を出すことが期待されて、プレッシャーですが」
内閣府特命担当大臣は、あらゆるテーマにおいて「横ぐし」が刺せる。
「今、自殺対策を含めて10以上の共生政策のテーマを担当しています。内閣府は、横断的にほかの役所にモノが言える利点があります。例えば、共生政策の1テーマである『障害者施策』。内閣に『障がい者制度改革推進本部』を設置し、障害者権利条約の批准に向けて、障害者基本法の改正などを目指しています。障害者差別禁止法を成立させるにあたっては、厚生労働省はもとより、国土交通省、文部科学省など、さまざまな省庁の大臣が改革推進本部のメンバーです。これは今夏までに中間とりまとめをしますから、そこでなんとかいったんの成果を出したいと思っています」