Vol.16
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櫻井 光政

HUMAN HISTORY

「人のために、社会のために働くことを喜びと感じ、それを誇りにできる弁護士」でありたい。その思いをつなぎ、次世代の弁護士のあり方を考えられるリーダーたちを育成する

桜丘法律事務所
弁護士

櫻井 光政

あらゆる個人が平等に法的サービスを受けるために

若手弁護士を育成して、任期付きで弁護士過疎地などに派遣し、任期終了後は事務所に受け入れるという「日本型公設弁護人事務所構想※1」を提唱し、そのための事務所を自ら開設したのが櫻井光政弁護士。櫻井氏の動きを追いかけるようにその後、日弁連が「ひまわり基金法律事務所」を、国が「日本司法支援センター(法テラス)」を開設。以来、桜丘事務所で研修期間を経た10人以上の若手弁護士が、赴任先で刑事・民事そのほかあらゆる相談を引き受ける八面六臂(ろっぴ)の活躍。日弁連の過疎地対策担当セクションや関連委員会でのオピニオンリーダーとなった弁護士もいる。

櫻井氏は「素地のある弁護士」を得て、育てた人材はどんどん適所へ配置する。それはあたかも『西遊記』の孫悟空が、己が身から作った「同じ力を持った分身たち」を四方八方に飛ばすようなもの。自分の力を何倍にも拡大し、「法的な要請を満たす/人権を守る」という活動を全国に広げている。しかも櫻井氏の発案や言動が日弁連を動かし、二弁を動かし、東弁や一弁を刺激する※2。「教育者であると同時に戦略家」、それが櫻井氏の特徴であろうか。

「例えば過疎地に弁護士が足りないからといって、私が行ったら私だけで終わってしまいます。聖書の言葉を借りれば『一粒の麦もし死なずば※3』といったところでしょうか。自分の思いや行動した結果が、百倍に実ることを望んでいるのです」

「被疑者国選制度の必要性、弁護士過疎地問題、弁護の質の向上」における問題点と解決策を導き出し、どんな状況下にあろうと「あらゆる個人が平等に法的サービスを受けられること」、「法に守られる権利を享受できること」の重要性を説き続ける櫻井氏。同氏の歩みを振り返る。

高校2年のとき弁護士を志す

小学校のころは、友達とケンカをすれば「鼻血を出すまで我慢。絶対に泣かない負けん気の強い子ども」だった。

「私の両親は若くして結婚したからか、とにかく貧乏で夫婦ゲンカが絶えませんでした。六畳一間で4人暮らし(両親と弟)。夜中に父の号令で起き上がり、みんなで『それっ』と南京虫をつぶすような生活です。しつけが厳しく体罰もある家庭だったせいか、私はケンカの強い極めて乱暴な子どもだったようです。小中学校では勉強しなくてもそこそこ成績が良かったので、『教師も手を焼くガキ大将』といったところでしょうか(笑)。そんな家庭、そんな子どもではありましたが、『人のためになること、人の役に立つことをしろ』という教えは、小さいころからたたき込まれました」と櫻井氏。氏が、弁護士を志したのは高校2年のとき。文化祭で先輩たちが行った模擬裁判を見たのがきっかけだった。

「公害病や公害訴訟の問題をテーマにした先輩たちが、新潟水俣病か富山イタイイタイ病の弁護団に話を伺いに行き、事件の記録を借りてきて模擬裁判に挑戦しました。当時は四大公害訴訟の原告が勝利していた時期。その模擬裁判でも、『弁護士たちが正義を実現する様子』がわかりやすい形で示されました。また、アメリカで消費者運動を起こしたラルフ・ネーダー氏の活躍がテレビで紹介されていたのもそのころ。こうした体験から『弁護士は社会に影響を与える、未来性のある仕事。かっこいい!』と素直に思いました」

同じころ『誤まった裁判─八つの刑事事件』※4という本を読んで冤罪について学び、刑事裁判に興味を持った。「こんな間違ったことは何とかしなくては」と義憤にかられ、正義を全うできる弁護士になろうと心に誓った櫻井氏。司法試験を受けるべく、中央大学法学部へ進学した。

「当時、政治の世界では田中内閣が小選挙区制を導入しようとしていました。いわば一党独裁を招く事態に対して、とても大きな反対運動が起きました。多様な民意を反映させるのに小選挙区制は適しません。入学当初は司法試験に早く受かるため脇目もふらず勉強だけしようと思っていましたが、『それではいけないのでは』と思い、素朴な問題意識や正義感、潔癖感に突き動かされてデモに参加。それをきっかけに三菱樹脂事件※5の『高野さんを守る会』に入り、支援活動をしました。ですから、あまり大学の講義に熱心に出席した学生ではなかったですね(笑)」

大学4年の3月に、西肇氏※6に誘われて10人ほどの勉強会を作り、本格的に司法試験の勉強を始めた。

「勉強癖がついておらず、当初は机の前に1日6時間も座っているのが精いっぱい。一時は受からないのではと気持ちがなえたこともありました。受験期にお世話になったのは伊藤茂昭先生※7。勉強会メンバーの答案を添削してもらうなど、助けていただきました」

大学卒業の翌々年、司法試験に合格。修習生時代は青年法律家協会の事務局次長なども経験した。

「弁護士になるという思いが、ぶれたことはありません。そもそも私は、裁判官や検察官には向かない。思いついてやりたいと思ったことは、自分の責任で遂行したいし、失敗したとき誰かに累が及ぶのも嫌なタチです。誰かの命を受けてその通りに動くのも性に合わないと思いました。いまだにそうなので、組織というものを守らねばならない裁判官・検察官よりは、やはり弁護士が合っていたと思います」

刑事弁護人としての出発

櫻井 光政

「刑事弁護に携わりたい」という思いもまた、変わることはなかった。「そもそも弁護士になった動機の一つが、冤罪を扱った本を読んだこと。それで刑事弁護への興味がわいた。刑事弁護の場合、私が相手にするのは大きな権力を持った組織だから、攻撃するのに遠慮がいらない。気を使わずに戦うのが性に合う」と笑う。

櫻井氏が司法研修所卒業後に入所したのは、高橋孝信法律事務所。

「『やりたいことを自由にやらせてくれる事務所』を探し、高橋先生と出会いました。先生は誰の前でも、弁護士になりたての私を『弁護士という職能である以上は対等だ』と遇してくださいました。そのころはいわゆる『第二次サラ金禍※8』で、消費者金融とのトラブルで困っている人が増えてきた時期でしたから、『私の出番』とばかりに、その仕事をやらせてもらったものです」

携わった刑事事件は数限りないが、弁護士登録をして最初に受任した刑事事件は忘れられないという。山梨県で起きた、幼児誘拐殺人事件の国選弁護であった。一審は死刑判決。その控訴審からの弁護を行うことになったが、結論からいえば一審の死刑判決は控訴審で無期懲役となった。これは極めてまれなことだった。

「忘れられない理由は、この事件から学んだことがとても多かったから。一つは依頼人との関係というものについて考えさせられ、自分なりの答えを得たこと。死刑を宣告されて獄中にいる人間と、外にいる弁護士とが、簡単に対等につきあえて、率直に意見交換できるなどと思ってはいけないという、依頼人との関係の厳しさのようなものを学びました。また単身で弁護活動をしていたある日、『救援連絡センター』がサポートを申し出てくださいました※9。このとき中心的な役割を果たされたのが、安田好弘先生です。安田先生の法廷での戦い方はハデでもなければ向こう見ずでもない。丁寧で真摯(しんし)な姿勢で言うべきことはきちんと言う。そうした『刑事弁護のスタイル』を安田先生から教わりました」

当時、櫻井氏の刑事訴訟における戦い方は「条文を一番の頼り」としていたという。条文をいかに解釈するかは、「実務」に負うところが大きい。それから「当時の弁護士は、起訴前活動をあまり活発に行っていなかったと思う」と櫻井氏は言う。勾留理由開示の請求や勾留に対する準抗告の申し立てをすることは、珍しがられた時代だった。しかし「冤罪を防ぐ」「適正手続きを守らせる」「適正な量刑の実現」という刑事弁護人の使命を全うすべく、市井の事件・実務一つ一つと真摯かつ懸命に向き合い、結果を積み上げていった。

日本型公設弁護人事務所の始動

やがて独立して事務所を構えた櫻井氏は、1996年、日弁連刑事弁護センターの事務局次長に着任。当時は「被疑者国選が実現できるか」の議論がさかんに行われていた。日弁連が被疑者国選実現のために克服すべき困難な課題の一つに「弁護士過疎の地域の問題」があった。被疑者国選は被告人国選と違い、弁護士が出向くまでの時間に余裕がない。「逮捕された。さぁ行ってくれ」と言われ、何百キロも離れた弁護士過疎の地域まで、すぐに弁護士が出向くことは現実的に難しかった。

「当時、弁護士ゼロおよびゼロワン地域は70~80ありました。誰かが意識的に出掛けなければ、過疎の問題は解決できません。しかし、そうした地域に誰が行くのか。自分に置き換えてみても、今抱えている事件を他人に任せられるとは思えず、また、これまで開拓してきた顧客を手放す決心をつけるのも難しいと思いました。中堅どころの弁護士は皆、私と似たような状況だろう。となれば、まだまだ身軽な新人弁護士はどうか。しかしいきなり新人を派遣するのは本人にとってもリスクが大きすぎる。『中堅弁護士が新人弁護士を雇って教育する。経済的な面倒は見る。決められた任期を終えたら戻ってくる事務所があるようにする』。選択肢はこれしかないと思いました」

櫻井氏がイメージした「日本型公設弁護人事務所」第1号は北海道の「紋別ひまわり基金法律事務所」。赴任したのは、松本三加弁護士である。手を挙げた「人財」、つまり意欲と覚悟がある若手弁護士を1年掛けて教育した後、弁護士過疎地へ赴任させる。経済面の不安は日弁連が担保するとして、この「囲い込みと教育」が一番の課題だった。

「松本弁護士が紋別に赴任したころになってやっと、日弁連も『人の問題』が大事だと気付きました。ハコを作っても赴任を希望するポテンシャルの高い弁護士が集まらなくては、この計画は立ちゆかないと。そこで彼女を招いて、シンポジウムを開きました。松本弁護士の活躍がマスコミで紹介された後だったので、100人ほどの修習生が集まりました。彼女の講演を聴いた修習生から、日弁連に『とても興味がある。どこに行けば養成してくれるのか』という問い合わせが多数寄せられました」

櫻井氏が提唱し、「ひまわり基金法律事務所」として日弁連が設置した事務所の数は、10年で累計100となった。任期終了後に東京に戻る弁護士ばかりでなく、次の赴任地へ行く弁護士もいれば、開業して地元に根付いた弁護士もいる。

「うちの事務所の目標は、とにかく良い人材を育てようということ。特別変わったことをしているわけではなく、基本はOJTです。私や神山啓史弁護士※10や先輩弁護士たちの考え方や弁護スタイルを、実務を通して自分たちなりに学び取ってもらうことを願い、教育する毎日です。赴任先に行けば、判断を下すのは彼ら自身。たった1年で所長になることを求められるわけですから、厳しい指導にならざるを得ません」

そうして、桜丘法律事務所の「洗礼」を受けて巣立った新人弁護士は、これまでに14人(脚注参照)。それぞれの赴任地はすべて、櫻井氏が決めている。

「赴任地から戻るか継続するかは、本人に決めてもらいます。しかし“ひまわり”で行くか“法テラス”で行くかは、私が決めます。運営主体がどこであろうと、利用者にとってはどうでもいいことですから。日弁連の委員会や法テラスの会議に出席して情報を収集し、その地域が弁護士を求めている事情や切実さをかんがみて、適切な弁護士を配置できるよう命を下すわけです。例えば、この地域はクレ・サラ問題が多いと思えば、その分野に強い弁護士を派遣するというふうに。彼らにとってはハードルが高く大変なことですが『それでも行きたい』と思って集まってくれる。何のために過疎地に行きたいか、弁護士として目指すものは何かといった、『公的使命感』をしっかり持っている弁護士ばかりです」

司法制度改革の渦中に身を置く

被疑者国選の問題意識に端を発した「日本型公設弁護人事務所」の役割は、当然それだけにとどまらなかった。地方過疎地での弁護士ニーズが刑事・民事問わずいかに多様であったかは、メディアで取り上げられた松本三加弁護士らの東奔西走ぶりを見れば明らかだ。櫻井氏自身もこの10年余り、実に慌ただしかったという。自身の弁護士業務はもちろん、人材育成、加えて司法制度改革審議会より意見書が提出されて以降、日弁連で非常勤の嘱託委員として本格的に、被疑者国選の問題や裁判員制度実現のためのバックアップをしなくてはならなくなったからだ。

「特に公的弁護の運営主体をどこにするかは問題でした。被疑者国選が実現する見通しが立ってきたとき、起訴前の活動について、裁判所でなく中立的な組織にそれを委ねるため、どんな組織を作らねばならないかなど、法務省の参事官と議論を重ねました。そうして、現在の日本司法支援センター設立業務にも関与し、精力を費やしました」

櫻井氏は、まさに司法制度改革の激動期のど真ん中に身を置いていた。

「どんな業務に携わっても、忘れてならないのは『利用者の視点』。つまり、利用者にとって求められる弁護士はどんな弁護士であり、どんな働き方ができるかに、常に考えを巡らせるということです。ともすると、弁護士会の議論ではその観点が抜けがち。あの激動期ですから、弁護士も自分たちの既得権益をどう守るか、収入を落とさないためにどうすべきか、という方にばかり頭がいってしまう恐れもありました。ですから私は『利用者にとって利用しやすいものを作ることにより、業界自体も繁栄していくのだ』という信念を持って突き進みました」

自分なりの弁護士像をイメージしてほしい

櫻井 光政

私心なく、困っている人のために働くことを喜びにでき、「こんな弁護士でありたい」という芯を持っている人と共に働きたい

櫻井 光政

昨年には裁判員制度もスタートした。そもそも日本型公設弁護人事務所は、刑事事件に強い弁護士を育成し、その弁護士を弁護士過疎地へ送り込んで「司法の空白を埋める」「どんな個人に対しても自由と平等を」というコンセプトで始まったもの。「刑事事件に強い弁護士」を育ててきた櫻井氏は、裁判員制度を「弁護人の力量が端的に反映される場」と見ている。しかも「桜丘法律事務所を巣立った弁護士は裁判員裁判に実際強い」と確信を持って語る。

「今年の入所希望は30人ほどで、うち2名を採用しました。私が採用してきたのは『私心がない』『困っている人のために働くことに喜びを感じられる』『公的使命感をきっちり持っている』といった弁護士たち。素地を持った弁護士を選び抜き、きちんと育てて送り出す。それが今後も私のなすべきことだと思います」

逸材を選ぶには「母数」も重要だ。

「私は弁護士増員に賛成です。反対意見を持つ者が『人数が増えると食えない弁護士が出てくるから(増員すべきでない)』といった議論を持ち出すこと自体がおかしい。『食えない弁護士』とは、本当の貧乏を知る私からすれば、笑止千万。毎日の食事に事欠くとか、病気になっても医者にかかれないといった絶対的貧困でなければ、人は何とかして生きていくものです。それに、収入が欲しくて弁護士になる人ばかりではないはずです」

「人のために働くことを喜びと感じ、それを誇りにできる弁護士でありたい」と、まい進してきた櫻井氏。「弁護士が、食っていけないから人権活動はできないなどと言おうものなら一喝だ」とたたみかけた。弁護士になろうという高い志を持っていた者が、「食える食えない」に固執すること自体がナンセンスということだろう。

では、これから弁護士を目指す人や若手弁護士たちは、何を指針にすれば、確かな先が見えるのだろうか。

「どんな弁護士になりたいかというイメージを持っていただきたい。それは将来、変わるものであっていいし、実務を経験することできっと変わっていくものです。しかし今の時点で自分がなりたい弁護士像を明確に持ち、こんなことで人の役に立ちたいという思いがあり、それを伝える力を持つ人なら、求める場所は必ずあります。『法律事務所ならどこでもいい』、『大きな事務所にいられたらいい』ではなく、誰のために何を成すか、それを考えながら日々勉強してほしい。それが、若い皆さんへの私からのメッセージです」

※1/「日本型」を付けた意味は、櫻井氏によれば「アメリカには公設弁護人事務所(パブリックディフェンダーオフィス)という刑事弁護だけを行う国営の事務所がある。日本では国ではなく日弁連が主導したこと、および民事弁護もすることから、誤解を招かないため、あえて日本型と付けた」という。桜丘法律事務所>公設弁護人事務所 参照
http://www.sakuragaoka.gr.jp/kosetsu/

※2/日弁連や各弁護士会が設立した「公設事務所(過疎地型・都市型)」の第1号はそれぞれ次のとおり。
「石見ひまわり基金法律事務所(現:浜田ひまわり基金法律事務所)」島根県浜田市2000年設立(日弁連 ★ひまわり)、「東京フロンティア基金法律事務所」東京都新宿区2001年設立(第二東京弁護士会 ★フロンティア)、「東京パブリック法律事務所」東京都豊島区2002年設立(東京弁護士会 ★パブリック)、「渋谷シビック法律事務所」東京都渋谷区2003年設立(第一東京弁護士会 ★シビック)、「日本司法支援センター」東京都千代田区2006年設立(国・行政 ★法テラス)
※各★印は、弁護士会ごとの呼び名

※3/ヨハネ伝12章「一粒の麦もし地に落ちて死なずばただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」というキリストの言葉。『一粒の麦もし死なずば』といえば、そこから表題をとったアンドレ・ジードの自伝的著作を指すことが多い。

※4/『誤まった裁判─八つの刑事事件』(上田誠吉、後藤昌次郎 著。岩波新書)。本誌10ページ参照。

※5/三菱樹脂事件は、1963年に東北大学法学部を卒業した高野達男氏が、在学中にいわゆる「60年安保闘争」に参加したとして、内定先である三菱樹脂株式会社から本採用拒否を受けた事件。

※6/西肇氏(株式会社法学館 代表取締役)。

※7/伊藤茂昭氏(32期)/中央大学法学部卒。シティユーワ法律事務所パートナー弁護士。

※8/第二次サラ金禍、あるいは第二次サラ金パニック(1982~1983年ぐらい)。高金利、過剰融資、さらに暴力的取り立てにより、自殺者が急増するなど社会問題となった。

※9/単身で死刑囚の弁護を行っていた櫻井氏に、「救援連絡センター」からサポートの申し出があった。櫻井氏は国選弁護人をいったん解任された後、安田弁護士らと共に、無償の私選弁護人として、この事件に再度携わることになった。

※10/第二東京弁護士会所属。「刑事弁護の神山」は有名。櫻井氏とは諸橋事件(殺人死体遺棄事件)の再審弁護団で共に活躍するなどして互いの理解が深い間柄。日弁連 裁判員対応室 嘱託、日弁連 裁判員本部 事務局次長、第二東京弁護士会 裁判員裁判推進センター 委員、龍谷大学法科大学院 客員教授などを務める。

櫻井氏の志をつなぐ地方赴任弁護士たち

現在までに桜丘法律事務所所属で、地方へ赴任した弁護士の一覧(2010年5月現在、赴任中含む)。

※【ひ】─ひまわり基金法律事務所、【ほ】─法テラス(日本司法支援センター)

(52期)松本三加氏/【ひ】北海道・紋別→【ひ】福島県・相馬
(54期)亀井真紀氏/【ひ】北海道・紋別
(55期)佐藤倫子氏/【ひ】岩手県・花巻
(55期)田岡直博氏/【ひ】岩手県・宮古
(56期)大窪和久氏/【ひ】北海道・紋別→【ひ】鹿児島県・奄美
(57期)冨田さとこ氏/【ほ】新潟県・佐渡島→【ほ】沖縄県・沖縄
(57期)本多雅氏/【ほ】愛知県・三河
(58期)菊地環氏/【ひ】石川県・輪島
(58期)新谷泰真氏/【ひ】岩手県・宮古
(59期)高木良平氏/【ほ】長崎県・長崎
(旧60期)石丸文佳氏/【ほ】長崎県・五島
(新60期)師子角允彬氏/【ほ】長崎県・佐世保
(旧61期)虫本良和氏/【ほ】千葉県・千葉
(新61期)小口幸人氏/【ひ】岩手県・宮古