海渡氏は、監獄における人権問題にも積極的に取り組んでいる。2006年、刑事被収容者処遇法の成立により、約100年ぶりに監獄法の全面改正が実現。海渡氏は日弁連の刑事拘禁制度改革実現本部の一員として、またNPO法人・監獄人権センターの事務局長として、この改革実現に貢献した。
「僕が弁護士になりたてのころ、拘禁二法案(刑事施設法案、留置施設法案)が出てきたために、弁護士会が大反対運動を展開していました。1984年、海外(北欧など)の刑務所視察に行ったことが、僕にとっての契機。海外の刑務所の人道的なあり方を見たとき、日本のように規則で締め上げ、暴力と脅迫で押さえ込むようなやり方はおかしいのではないだろうかと強く感じたのです」
このテーマにどっぷりと取り組むきっかけとなったのが、子ども面会訴訟である。
「当時は、親族であっても、受刑者が14歳未満の子どもと面会することは禁止されていました。東京拘置所で、めい(養い親の孫)と面会したいと思ったある被告人が、原告となって訴訟を起こした。一審・二審は勝利。これに対して国は、『地裁・高裁の判決は監獄法施行規則の解釈に誤りがある。仮に違法であっても東京拘置所の所長に過失はない』と最高裁へ上告。最高裁で、口頭弁論が開かれるということになりました。最高裁で口頭弁論が開かれるということはつまり、高裁判決が破棄されることを意味します。敗訴を覚悟する一方、こんな恥ずかしい監獄法施行規則を温存するような判決を出したら、僕はその判決を持ってジュネーブへ行き、国連の人権委員会を通して世界に訴えますと、ケンカを売るような弁論をしました。そこで、最高裁はどういう判決を出したか※8。判決主文は予想どおり、地裁・高裁の判決を棄却し、原告請求を棄却したもの。法務省の役人は、それを聞いて勝ったと大喜びです。気落ちして書記官室に判決文をもらいに行った僕を、『ここですぐ、この判決文を読みなさい』と書記官が呼び止めた。そこには、『この監獄法施行規則は無効である。しかし規則が無効であることは東京拘置所の所長では分からなかったので、過失がなく、損害賠償も棄却なのだ』と書いてあったのです。『規則が無効』だと書いてあったことに、僕はオーッとなりました。『こりゃすごい! 記者会見だ』と。この判決は大きな反響を呼びました。何よりもうれしかったのは、判決をもらった翌日から拘置所や刑務所の面会室に打ち付けられていた『14歳未満との面会は禁止されています』という木札が取りはずされ、被拘禁者と幼年者の接見が許されるようになったことです」さらに海渡氏は、こうした訴訟への取り組みをきっかけとして、NPO法人・監獄人権センター※9を結成する。
「2002年の名古屋刑務所事件の発覚、2003年の行刑改革会議、2005年新受刑者処遇法の設立、2006年新刑事被収容者処遇法の成立と、めまぐるしい日々を送りました。新受刑者処遇法により革手錠は廃止、保護房内はビデオ監視されるようになりました。受刑者の面会と手紙の範囲は親族だけから友人にも拡大、刑事施設視察委員会も活動しています。僕自身、八王子医療刑務所の視察委員会の委員長も務めています。監獄内の人権においては、未解決の問題も多々ありますが、僕のライフワークの一つとして取り組んでいきたい」
海渡氏は、原発問題、監獄内の人権問題、盗聴法・共謀罪の問題など、市民と共に闘って、世の中に「ムーブメント」を起こすような活動も多い。そうした、市民と共に闘う中での、弁護士の役割とは何かを尋ねた。
「僕はこう思っています。例えば市民運動に弁護士がかかわるということは、『法律制度のここを変えれば今の状態がもっと良く変えられるのではないか?』、そんな着眼点やアイデアを引き出してくる能力が加わるということ。これは弁護士でなければできないと思うんですよ。市民の人たちが日々感じている疑問点を法律制度の上に翻訳し、政策提言していくような活動を、確かにたくさんやってきましたね」
誰もが見過ごしていたこと、しかし誰かが声を上げねばならないことに目を向けて、私たちに問題を提起し、社会に提言し続けるのが、海渡氏だ。
「娘がね、僕の取り組みについて『お父さんはいつもマイノリティー』と褒めてくれるんですよ(笑)。国家権力の不条理や、スジに合わないことがどんどん勝手に突き進んで少数者が顧みられない状態は許せないという思想信条を持っているんです。それにこれまで手掛けてきた案件は、僕一人ではなく、共にたたかってくれた多くの同僚弁護士たちがいてこそ成し遂げられたことだと感じています」
そして近年、特に刑務所改革の問題にかかわって以降、「自分自身が少しずつ変わってきているな」と感じるという。
「名古屋刑務所事件をきっかけに、わーっと闘ってさまざまな制度を改革させたわけですが、その『改革された制度をハンドリングしていくのは僕ら自身だ』と痛感します。特に刑務所問題には弁護士会としてかかわっているので、法務省とのパートナーシップをつくっていかなくてはならない。単純に『不条理と闘うぞ!』というのではなく、不条理を条理のあるものにし、休まず少しずつ良くしていく。日本の法制度におけるメカニズムの、どこをどう変えなくてはいけないか、それを考えられる弁護士になりたいし、そういうメカニズムをつくっていくのが僕らの仕事だという風に、僕自身の考え方も変わってきているように思います」