Vol.98
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HUMAN HISTORY

「人の心」に寄り添い「法の心」に照らして、あるべき解決を導き出す。そこにこそ弁護士の真価がある

湊総合法律事務所 所長 
弁護士

湊 信明

親や学校の教育から学んだのは、“やり遂げる”ことの大切さと喜び

親の教えと学校教育で心身が鍛え抜かれる。早くに形成された価値観

湊信明が率いる「湊総合法律事務所」が取り扱う分野は実に多彩だ。中規模ながら、主力とする企業法務では200社を超える顧問先を有し、様々な業種の中小企業、学校や病院などに対して”全方位”的な法的支援を行う。特徴的なのは、ステークホルダーの人権や心情に寄り添いながら、関係する誰にとっても進化につながる解決を目指す姿勢だ。湊が掲げる「愛ある進化を創り出す」という理念は、重ねてきた弁護士人生において導き出した一つの解である。

ICU(国際基督教大学)で助教授を務めていた父の仕事の関係で、私が生まれた時、家族は学内に居住していました。辺りはまだ鬱蒼とした森でね、実に牧歌的な雰囲気。遊び場には困らなかったし、ICUは牧場も持っていたから、牛にエサをあげたり、乳搾りをしたり……。幼い頃から活発で、みんなで遊ぶのが大好きでした。その性分はずっと変わっていません。学校に上がり、社会に出てからも、同窓会などその時々において、何かをする時は率先して企画を考え、取りまとめをする。「みんなで楽しく」がとにかく好きなんですよ。

同様に変わらないのが、どんなことでも最後までやり遂げるという姿勢。これは親の教育方針によるもので、勉強も運動も「とことん真剣にやれ」と厳しく教えこまれたのです。「人ができることはお前にもできる。絶対にあきらめるな」と。ことにスポーツが得意だった父からは、水泳やスキーを徹底的に指導されました。こうした教えの影響は大きく、「あきらめない」「やり遂げる」は、私の〝芯〟になっています。

小・中学校は東京学芸大学附属小金井で過ごし、素晴らしい先生方や仲間に恵まれました。千葉県勝浦の海で行う伝統的な水泳鍛練が有名で、小学校高学年ともなると1㎞、3㎞の遠泳行事があるんですよ。なかには泳ぎが苦手な子もいるから、みんなで励まし合い、助け合いながら完泳を目指すのですが、クラス全員で泳ぎきった時の喜びはもう最高。忘れられないいい思い出です。だから仲間の絆が強く、今も多くの交流が続いています。

それまでとても明るかった日常が一転したのは、中学2年生の時。父が頭を強打した事故で死んでしまったのです。事故からわずか5日後に。医師だった叔父は、医療事故の疑いが非常に濃いと見ていましたが、当時は訴える術もなく、本当に悔しい思いをしました。解剖後、父が遺体として戻ってきた時は、悲しみというより、絶望感があまりに強かった。

その翌年だったか、山崎豊子原作のテレビドラマ『白い巨塔』を見て、初めて弁護士という存在を意識したのです。医療事故で主を亡くした遺族に寄り添い、大学病院を相手に戦う――その弁護士の姿は衝撃的でした。ペン一本で打ちひしがれた人を支えることのできる仕事だと知って、弁護士になりたいと思うようになりました。これが、私の原点中の原点です。

父親を亡くした喪失感から高校受験はままならなかったが、結果的に進学した巣鴨高等学校は、湊曰く「素晴らしかった」。同校が掲げる「硬教育」の下で、一層心身が鍛えられたという。文武の鍛練のための学校行事や教育プログラムを通じて得たものは大きく、今に生きている。

いわゆるスパルタ教育ですよ。当時謳われていたゆとり教育に真っ向から反対していて、校長が「我が校には〝ゆとり〟という鳥は飛びません!」と言っていたのをよく覚えています(笑)。全教科必修主義や全校有段者主義を掲げ、例えば、柔・剣道の段位取得は必須。また、伝統的な行事として、夜間に行う大菩薩峠越え強歩大会なんかもあって、それは厳しい。でも、仲間たちと励まし合ってやり遂げると、確かな達成感と結束力が生まれる。前述の遠泳がそうであったように、学び得たものは大きかったですね。現在も委員会などでチームワークをつくる際のベースになっています。父は早くに死んでしまったけれど、私は学校時代を通じて心身を鍛えられたわけで、ありがたいと思っているんですよ。

その後の進学先は中央大学法学部。さぁ司法試験目指して猛勉強……となればよかったのですが、実際のところ、そんな志望は〝どこ吹く風〟状態。大学は自由だし、スパルタからの解放感と相まって遊びまくっていました。子供時分からの友人と周辺大学の学生に声をかけてアウトドアサークルを創設したのですが、その活動が楽しくて。サステナブルなキャンプのやり方に取り組んだり、奥多摩にある廃屋を借り上げて炭焼きをやったり、お茶づくりをしたり。大学2年の時には、アメリカに2カ月ほどバックパック旅行にも出かけたし、勉強なんてやっている場合じゃない忙しさでした(笑)。

法学部の学生として唯一ちゃんと活動したのは、奈良俊夫先生が自主的に主催していた刑法ゼミ。ここからは多くの司法試験合格者が出ていますが、真剣な議論や互いの切磋琢磨を通じて多くを学ぶことができました。サークル活動ばかりやっていた私にとっては、「弁護士になる」という初志に立ち返らせてくれた場でもあります。4年の時はゼミ長も務めたんですけど、ただ結局のところ、ほかにやることがたくさんあって、司法試験の勉強はしないまま卒業を迎えてしまいました。

湊総合法律事務所は、JR有楽町駅目の前の有楽町電気ビルヂング北館にオフィスを構える。2026年7月現在、所属弁護士10名、パラリーガルなど事務スタッフ4名の陣容。所員の仲のよさが伝わってくる撮影時間だった

歳月をかけ、32歳の時に司法試験に合格。多くの縁を得て、猛烈に働く

「司法試験の勉強は大学を出てからやればいい」。そう考えて卒業した湊は、ここから予備校「LEC」に通い、受験生活に入る。それでも、しばらくは本腰が入りきらず、合格するまでに10年を要した。ただ、この間に行っていた様々なアルバイトを通じて得た経験、知り合った人々との縁は大きな財産になったという。

LECでは、当時教鞭を執っていた伊藤真先生の講義を受けながら学びました。司法試験の勉強をまったくしていなかっただけに、先生の講義では、憲法の理念が胸に染み渡り、「こっちの世界に戻ってきてよかった」と強く思ったものです。

それでも、しばらくは遊びグセが抜けずで……。バイトをして、ちょっと勉強したつもりになって、夕方になるとみんなと飲みに行くというパターン。そんな調子だから、短答式試験も論文試験もなかなか受からなかった。さすがに「合格しなければ」と本気のスイッチが入ったのは、結婚して、30歳を過ぎたあたりから。当時、建設途上だった和光の司法研修所を妻と訪れて、「来年はここに来るぞ」と気合を入れました。

結局のところ、知識が足りないから合格できないと思い込み、不安になって知識を入れることに集中していたのです。本当はそうではなく、問題の本質を見抜いて法の趣旨から筋をとおして論を展開しなければいけない。そのことに気がつくまで時間がかかってしまった。あとは心の問題。「合格できる」という心をつくり上げるために走ったり泳いだりして体を鍛え、自己啓発書や宗教書まで読みまくりました。そうしたら、「自分に今あるものを出し切れば合格できる」と思えるようになった。やっと合格した時、妻が涙を流して喜んでくれたことが、何より嬉しかったですね。

この受験時代に社会経験を積み、いろんな人たちと出会えたことは財産になりました。スイミングスクールのコーチや家庭教師など、様々なバイトをするなかで知り合った方々やその紹介から、今も多くの仕事をいただいています。ありがたいですよね。この頃の様々なご縁が仕事のベースになっているのは確かで、もし1年、2年で司法試験に合格していたら、今の自分はなかったと思います。負け惜しみじゃないですよ(笑)、本当に。

弁護士の本分は、将来的かつ本質的な解決を目指すこと

司法試験に合格したのは1995年。司法修習を経て、湊は「中嶋正起綜合法律事務所」に入所し、弁護士キャリアをスタートさせる。そして、同事務所で2年間修業した後、2000年に「アクト法律事務所」にパートナーとして参画。いずれの事務所でも民事、刑事、家事事件、企業法務など幅広い業務分野を取り扱い、礎を築いた。「弁護士としてどうあるべきか」。そのスタンスが明確に定まった時期でもある。

自分一人で何でも受けていく、そのほうが早く力がつくと思っていたので、大手法律事務所にはまったく興味がありませんでした。最初の事務所は、当時70代だった中嶋先生が一人でドーンと構えていたところで、長い弁護士キャリアがすごいなと。そういう先生に教わりたかったし、専門分野を限定することなく、幅広い業務を最初から最後まで担いたいと考えて入所しました。実際、あらゆる事案を担当し、しっかりした修業ができたと思っています。

そして、一番の学びになったのは、中嶋先生の信条「フェアであれ」です。例えば協議離婚の際など、弁護士によっては、相手方が把握していない夫婦の共有財産があっても知らなかったことにする人もいるようですが、中嶋先生はとことんフェア。たとえそれで解任されることがあっても、公正を期す。そうした姿勢から学ぶことは多かったですね。

前述したように、受験時代をはじめとする知人関係から多くの依頼があったものだから、当初から仕事は土日も含めてフル回転状態でした。勤務弁護士をしながら自分に来た依頼を全部受けるのは「さすがに厳しい」と思い始めた頃のこと。アクト法律事務所から声をかけてもらったのです。修習時代に私が配属された事務所なんですけど、その時お世話になった先生方のお一人、岩井重一先生が「机が一つ空いたから、うちに来ないか」と。それで、パートナーとして加えていただくことになったのです。

湊氏が手にしているのは、海谷利宏弁護士にお願いして書いていただいた色紙。「濁流に棹さして清節を持す」(権力や世俗の波に抗って自らの高潔さを保つ)。弁護士としての生き方の基本としている

ここでも私は、大きな学びを得ました。岩井先生は深い人徳を備えられ、弁護士会からも裁判所からも厚い信頼を寄せられている方です。誰に対しても、それが対立する相手であっても、常に温かいまなざしを向けられる。事件に対しては何より理解に努め、「そうか、そうか」と言っているうちに解決してしまうという感じです。対立する相手をもしっかり受け止め、叩きのめすようなことはいっさいしない。その包容力には感服させられました。弁護士って、代理人として戦って相手をやっつけるというイメージがあったけれど、そうじゃないんだと。それでは将来的かつ本質的な解決にはならないことを教えていただきました。

父を亡くした一件で、私は「憎きは病院、医者」だと思っていたから、もともとはガンガン戦う気持ちでいたのですが、後に、それは違う、相手のことも理解しなければと気づけたのは、岩井先生と一緒に仕事をさせていただいたからです。思えば、私は弁護士人生を歩み始めた時から素晴らしい先生方に恵まれたわけで、非常に幸運だったと思っています。

40歳の時に事務所を旗揚げ。学びや経験を生かし、多彩な活動に力を尽くす

「湊総合法律事務所」を開設したのは03年、ちょうど40歳の時だ。受任件数がさらに増加し、年齢的にも区切りのタイミングを迎えたところで、「自分でも事務所を経営したいと思うようになった」。聞けば、事務所開設の折には優に100を超える祝い花が届いたという。湊が何より人との縁を大切にしてきたことの証だ。

ありがたいことにご縁のあった方々からご依頼いただき、開業から半年経った頃には勤務弁護士に入ってもらって、以降どんどん増えていきました。そのなかで、一つ業務拡大の起爆剤になった事件があります。事務所を開業してすぐ、まだ一人でやっていた頃に関与した土地建物の売買をめぐる事件です。

司法修習時代に実務修習でお世話になった方からのご紹介でした。福祉事業を始めようとしていた経営者が、ある宗教法人から10億円以上を出して土地建物を購入したと。ところが、宗教法人の代表役員はすでに変更になっていたから、その売買契約は無効だと主張され、大混乱に陥っているというのです。実はこれ、とんでもない事件で。あとからわかったのですが、この事件には暴力団や事件屋が絡んでいて、経営者側の顧問弁護士も手を引いてしまっていた。そんな事情を知らずに一人で受けちゃったから、どうしよう……ですよ。

とにかく必死。依頼者と腹をくくって取り組みました。脅しや弁護士業務妨害に遭いながらも関係各所を走り回って交渉し、最終的には、銀行の会議室で相手方と合意書に調印して、解決するところまでもっていくことができた。この事件は多くの方々が関心を持っていたようで、口々に言われたのは「よくあの事件を解決されましたね」と。周囲はちゃんと見てくれていて、ここから何社もの顧問契約につながったのです。追い込まれた方々に寄り添い、親身になって力を尽くす。それが一番の営業なのだということを学んだ一件でした。

事案が増えてくると、なかには「相手を叩き潰してほしい」とか、あるいは多額な着手金を示して不正な行為を依頼してくるといったケースも出てきます。そのなか、事務所全体が一致してぶれずに正しい方向に向かい続けるのは、簡単なことのようで実は難しい。そこで立てたのが、「愛ある進化を創り出す」という事務所理念。依頼者はもちろん相手方も含めて、現状の残念な状態を、愛のある進化につなげていくような解決を常に目指すということ。これは、先の岩井先生の教えを言葉にしたものです。

そしてもう一つ。尊敬する大先輩、海谷利宏先生の座右の銘である「濁流に棹さして清節を持す」、この言葉を事務所の行動基準にしています。濁流に身を置いても自分自身が常に正しくあり、依頼者を適切な道に導いていく――弁護士のあり方としての指針ですね。この2つ、理念と行動基準はとても大切にしていて、我々の精神的な支柱になっています。

中小企業の日常的なパートナーとして法の支配を徹底させる。それが私の夢

他方、湊は早くから会務に携わり、公益活動にも力を尽くしている。筆頭は、「弁護士人生の多くを捧げてきた」と言う弁護士業務妨害対策だ。日弁連や全国の各弁護士会で対策活動が立ち上がったのは90年代半ば、契機となったのは坂本堤弁護士一家殺害事件である。湊が先述したように、自身が熾烈な業務妨害に遭ったこともあり、テーマは極めて重要なものであった。

東弁の弁護士業務妨害対策特別委員会の委員として活動を始めたのは20年近く前。ずっと続けてきたなかで、東弁でも日弁連でも委員会の委員長を務め、力を尽くしてきました。

家族とともに殺害された坂本事件は、弁護士業務妨害として最悪の事件の一つですが、以降も弁護士が相手側によって殺害される事件は起きています。また、殺害にまで至らないとしても脅迫や暴行、インターネット上での誹謗中傷など、深刻な業務妨害は数多く報告されていて、近年では巧妙化もしている。被害に遭った弁護士に寄り添い支援し、妨害実態の調査・分析を行い、対策を講じ、周知や啓発に努めることが委員会の主な活動です。

弁護士業務妨害というのは、単に弁護士個人の活動を妨害するという問題にとどまらず、実は市民の基本的人権に対する侵害なんですよ。例えば、DV系の離婚事件において夫が強い女性蔑視思想を持っている場合、この思想が妻側の代理人をしている女性弁護士に向けられ、熾烈な業務妨害に発展することがままあります。結果、弁護士が「そういう事件は受任したくない」という話になったら、被害者の司法救済へのアクセスが阻まれることになる。基本的人権を擁護し、社会正義を実現するという弁護士の使命も阻害されることになりかねないわけです。断じて許されるものではありません。このことについては広く市民の理解を得る必要がありますし、妨害を受けた弁護士に対する組織的な支援活動もさらに強化すべきだと考えています。

2008年に入所し、現在はジュニアパートナーを務める野坂真理子弁護士と。所員全員が、ステークホルダーすべてにとって「愛ある進化を創り出しているか?」と、心に問いかけながらそれぞれの仕事を進めている

中小企業に寄り添いつつ法的支援を展開。より深い弁護士業務を志す

もう一つ、会務の活動で注力しているのが中小企業支援だ。15年に東京弁護士会副会長に就任した際、当時発足して間もない中小企業法律支援センターの運営に携わり、17年から19年にかけては同センターの本部長代行を務めた。中小企業の経営者に寄り添う活動は、湊の弁護士業務の軸にもなっている。

中小企業法律支援センターでは、中小企業に向けたコンシェルジュ事業をはじめ様々な法的支援を展開しています。近年、国連がSDGsや「ビジネスと人権に関する指導原則」を策定し、企業経営に人権の確保を求めるようになってきました。大企業ではだいぶ対応が進んできたけれど、中小企業ではまだまだ。そこで同センターに提案して、SDGsプロジェクトチームを立ち上げたのです。

経営者に人権やコンプライアンスの話をすると、往々にして「経営のブレーキ」と捉えられてしまうのですが、そうじゃないですよと。ステークホルダーの人権を尊重する経営をすることは、結局は企業価値を高めることになり、企業競争力と利益にもつながっていく。こうした本質的な理解の浸透を図ることは重要で、弁護士業務とも深くつながっています。

プロジェクトチーム共著の『実践 中小企業のためのSDGsコンプライアンス』という本を出したのは、コロナ禍が明けた頃。その後、ここに掲載したチェックリストをさらに使いやすくするための手引きを作成して、東弁のHPで公開しています。中小企業側に役立つ実践的な内容を広く発信できたのは、チーム全員で上げた成果の一つだと思っています。

成果でいうと、直近では松田純一日弁連会長選挙。昨年度、最も注力した活動です。松田先生とは若い頃から法友会でご一緒し、二人でビジネスと人権に関する本も書かせていただきました。夢を描いてかたちにしていく方。私の弁護士人生に大きな影響を与えてくださっています。

松田先生が日弁連の会長選挙に出ることになり、私が全体の事務局長を務めてその活動を支えました。山形県出身の先生は、地方司法の活性化も公約に掲げており、全国150カ所以上を訪問して各地の実情に耳を傾けていきました。私は意見交換会の会場設営、支援者集め、選挙態勢の構築などで東奔西走。地方と大都市とでは抱えている課題に大きな違いがあることなど、貴重な学びをたくさんさせていただきました。結果は全都道府県の単位会を制覇し、完全勝利。これは本当に嬉しかった。チームみんなで励まし合って掴み取った大きな成果でした。

多くの顧問先を持ち仕事をしてきたなかで、経営者の孤独を知るようになった湊は、弁護士として「寄り添うこと」の真価を見いだした。ステークホルダーへの人権意識を持ってもらうこと、そしてフェアで正しい行動を取れるよう水先案内をすること。そうしたスタンスは、まさに「愛ある進化を創り出す」という理念にかなうものだ。

「弁護士は裁判になった時だけお世話になるもの」といった従来のイメージを完全に払拭し、国内企業の9割を占める中小企業の日常的なパートナーとして法の支配を徹底させていくこと。それが私の夢です。足元のコンプライアンスを固めることこそがSDGsや「ビジネスと人権」の根本理念にかなう活動ですし、どこでも均質な〝頼りがいのある司法〟を提供できる社会をつくっていきたいのです。

企業側に立ってステークホルダーの人権に配慮しつつ、法的アドバイスを提供する弁護士って、実はまだそんなに多くないと思うんです。だから社会や弁護士会に浸透させていく活動にもっと力を入れたいし、後進も育てていきたいと考えています。

それと、私が二十数年間参加しているワールド・ビジョンという国際協力NGO。子供の人道支援や貧困撲滅活動を続けているのですが、掲げている目標の実現にはまだまだ遠い……。弁護士も企業も、もっとこうした取り組みを深めるべきで、今後は企業経営者と手を携え、社会的意義のある活動をかたちにしたい。人や企業に寄り添い、社会をよりよい方向へ動かすことも、弁護士の大切な仕事だと思うのです。

そして今、弁護士がこのような仕事により深く集中できる時代が来ている。AIの著しい進化です。AIは弁護士の仕事を奪わない。それどころか事実や情報の整理、調査など、これまで膨大な時間がかかっていた業務を効率化すれば、弁護士はそこから生まれた時間と力を、より価値のある仕事に注ぐことができます。

弁護士が向き合うのは、生身の人間が抱える、生身の問題です。依頼者の言葉にならない思いまで受け止め、「人の心」に深く寄り添う。そして「法の心」に照らして考え抜き、その人や企業の将来につながるあるべき解決を導き出す。こうした心ある仕事、真に価値のある仕事に弁護士人生を集中させ、それを深めていく。それこそが、これからの時代における弁護士の真価だと思っています。特に若い人たちに向けて、そんなメッセージを伝えたいですね。