Vol.17
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世界的に有名な経営者やカリスマと呼ばれるオーナー社長の近くで仕事をしてきた松下氏。「オーナー会社あるいはベンチャー企業で何かを達成しようと思ったら、自分で仕事や権限を勝ち取らなければいけません。ただ待っていても下りてきません」と自身の経験を踏まえて語る

世界的に有名な経営者やカリスマと呼ばれるオーナー社長の近くで仕事をしてきた松下氏。「オーナー会社あるいはベンチャー企業で何かを達成しようと思ったら、自分で仕事や権限を勝ち取らなければいけません。ただ待っていても下りてきません」と自身の経験を踏まえて語る

PIONEERS

20年前すでに中国に注目。インハウスロイヤーの先駆けになり、企業経営にもいち早く参画した弁護士

松下 正

シーメンス・ジャパン株式会社
取締役 ジェネラルカウンセル
弁護士/東京弁護士会所属(41期)

#18

新時代のWork Front 開拓者たち―その先へ―

ポテンシャルに注目し、中国法と中国語を習得した留学時代

「弁護士として最初に勤務したのは『東京青山法律事務所(※1)』です。同事務所はベーカー&マッケンジーのメンバーファームで、国際的な仕事をしたいと思っていたことと、先輩が居る安心感から選びました。そして入所4年目の1992年、米国留学のチャンスを得ました。父親の母国である中国に可能性を感じていた私は、法律家として『中国』にかかわろうと考えハーバードで中国法を専攻。中国語も本格的に勉強し直しました。留学後の研修先には香港事務所を選択。ベーカー&マッケンジーのグループで中国案件を中心的に扱っていた事務所だったからです。帰国後、パートナーとして働いていたころGE横河メディカルシステム(※2)からオファーが来ました。インハウスになるには弁護士会の許可が必要な時代で、企業で働く弁護士は国内に30人くらいしか居なかったと思います。家業が商売だったこともあってビジネスに強い関心を持っており、GEに対する大きな興味もありました。また、ジャック・ウェルチ(※3)がどういうマネジメントをするのか実際に見たいと思い、1998年、GE初の日本人弁護士として入社しました」

現地法人のCEOなど要職で、経営手腕を発揮

「GE横河で取締役になった後、台湾の合弁事業のトラブルを現地で調査し、結果として合弁解消後に現地法人の社長になりました。経営の基本はGEのオペレーティングメカニズムで動きましたが、売り上げは別物で、就任してからの半年間、大きい契約が1件も取れない。そこで当時最新のPET/CT(※4)などに焦点を絞って社長自らセールスをしました。ビジネスを立て直したことでモチベーションなど人心も回復し、これからの業績がさらに楽しみだった2002年『日本に帰って来い』と言われ、GE横河の製造・研究開発・ソーシング事業部を統括するポジションに就任しました。約1000人が所属し、生産高400億円ほどの部署。ところがこちらも難しい課題を抱えていました。GEグローバルの「よりローコストを目指す」指針により、従来、日本で生産していた製品の製造拠点が中国・インドに移り、日本が空洞化していったのです。そこで、日本の製品をより付加価値の高いものへ移行させるとともに、当時GEで定着しつつあった品質管理手法・シックスシグマに、徹底的に無駄を排除するトヨタ生産方式を結び付けた生産システムを構築。グループ内での自社の領域を守るのでなく、積極的にGEグローバルのなかで生産技術のリーダーを目指しました。改革の成果が出始めた1年後、今度はGEジャパンに移籍。取締役副社長のポストでロビー活動を行ったり、GEコンシュマー・ファイナンスで監査・コンプライアンスなどを統括する業務に就きました。そのころファーストリテイリングから声がかかり、転職を決めました」

自ら権限を獲得したアパレル時代。そしてシーメンスでの人材育成

「ファーストリテイリングでは、まず『持ち株会社化をやってくれ』と言われました。持ち株会社化は法的には事務作業中心。むしろ組織とオペレーションメカニズムを作り上げることに労力を使いましたが、ここではガバナンスやコンプライアンスが確立していたGEでの経験が役立ちました。また持ち株会社へ移行するなか社外取締役を迎えたこともあり、取締役会の運営に注力し、ガバナンスが機能するように努めました。その後、買収したフランスの会社で会長兼CEOになります。中間持ち株会社・婦人服・下着ブランドの3社を見る立場。名実ともにCEOとしての仕事を遂行したかった私は、権限を巡る創業者との緊張関係のなかで、営業方針・製品コンセプト・キャッシュのアロケーションなどの決定権を勝ち取りました。製造小売業の基本的な投資は出店で、どの街のどの通りに出すか、路面店かデパートかを自分で決める。ヨーロッパ中のファッションストリートを歩き回りましたね。そしてフランスで後継者を選んで2008年に帰国。ファーストリテイリングを辞した後、日本での事業再編を進める最中のシーメンスと出会います。シーメンスは、グローバル化、気候変動、都市化、高齢化などの世界を取り巻く喫緊の問題に全社で取り組んでいる一方、日本では意外にプレゼンスが低く、逆にそこに可能性を感じました。現在の肩書は取締役。法務・コンプライアンス・輸出管理部門の責任者です。インハウスロイヤーとしての私の持論は『契約書の背景にある意図、問題に気づいて一人前』というもの。その契約により社内外の人、物、金、情報がどう動くか、何がメリットとリスクなのかなどを事前に察知する能力がインハウスでは求められます。当然ながら会社のビジネスモデル・組織・プロセスを明確に把握することが必要で、『商品に興味を持て、会社を理解しろ』という表現で部下の自覚を促します。企業再編の契約にはPL・BS(※5)の知識も必要なので、会計の研修も受講させます。その上でマネジメントとのミーティングなど重要な会議をどんどん任せる。スキルアップに必要な未経験業務も積極的にやらせ、陰でサポートしながら彼らの手柄を作ります。こういう私の人材育成は、ビジネスの教科書にあるようなことを当たり前にやっているだけです。やはり私にはビジネスの世界が合っているようで、チームで仕事をして、みんなで成果をあげたい。だから後進指導にも時間を惜しみません。現在、最大のミッションである事業再編を終えたら、たとえば事業の責任者としてより広範なセクションにかかわって人材を育成したいですね。同時にシーメンスの日本におけるプレゼンスを上げる、主要な役割を果たしていきたいと考えています」

※1 現:東京青山・青木・狛法律事務所/ベーカー&マッケンジー外国法事務弁護士事務所(外国法共同事業)。
※2 現:GEヘルスケア・ジャパン。
※3 ジョン・フランシス・ウェルチ・ジュニア。1981年、GEの会長兼CEOに就任し2001年に退任するまで長年GEのトップとして強烈なリーダーシップを発揮した経営者。選択と集中、フラット型組織など企業経営をリードする多数のアイデアを生み出す。
※4 PET/CT:組織の機能を診断するPET画像と、位置情報や形を検出するCT画像が一つになった先端医療システム。
※5 PL・BS:損益計算書と貸借対照表。