弁護士の肖像:2014年1月号 Vol.37

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

弁護士の肖像

松尾綜合法律事務所
 弁護士
 松尾 翼

戦争ですべてが一変。辛酸を経て培われた〝生き抜く力

国際的な刑事事件、民事訴訟事件を処理できる稀少な日本人弁護士として、真っ先に挙がる名、松尾翼(まつお・たすく)。弁護士生活53年、渉外分野の第一人者として現場で〝闘い〞続けてきた。国際的な企業の倒産や再生事件を専門とする一方で、日本赤軍の岡本公三や、ポール・マッカートニーの弁護に代表されるような数々の国際訴訟を扱ってきた松尾の存在は、広く海外にも知られている。貫いてきた流儀は「誰もやらないことに挑む」、この一点だ。83歳になった今も好奇心旺盛で、バイタリティー豊かに職務をこなす。凛とした松尾の背には、道を拓いた弁護士としての矜持が刻まれている。 幼い頃に父母が離別していたので、僕は母方の実家で育ったのですが、祖父が資産家だったから、けっこう裕福な暮らしでした。それが一変したのは、1945年の5月25日。東京が大爆撃を受けたこの日に、僕は、母と姉、弟を一度に亡くした。当時住んでいた原宿は火の海となり、4人で逃げまどうなか……僕だけが生き残ったのです。名状しがたい悲しみとともに、その後の生活はすべてが変わりました。 祖父母は無事だったから孤児にはならずに済んだけれど、高齢な祖父が働くのは無理だし、疎開していて難を逃れた妹も抱えて、日々の暮らしは窮迫。家を売って引っ越し、また家を売るということを繰り返し、その差益で生活していました。第一東京市立中学校(現東京都立九段高等学校)に通っていた僕は、学校を続けるために働き始めたのですが、以降、大学を出るまで、あらゆるバイトをしましたよ。進駐軍の軍人の家での雑役、工事作業員、呉服屋の反物運びなど、数知れず。生きるか死ぬかですからねぇ、もう何でも。 さらに、激変したことがあります。それまで軍国少年として育てられてきたのが、終戦を境に、価値観が根底から覆されたのです。「日本は必ず戦争に勝つ。神風が吹く」と声を上げていた学校の先生が、「アメリカはいい国で、日本がいかに間違っていたか」などと言う。僕はね、この時から権力というものに不信感を抱くようになった。それは今も変わらないし、新聞に書いてあることもすべては信じない。権力に屈せず、正しいと思うことは正しいと言える人間でありたい――ずっと、そう思い続けてきた根源には、この時代の体験があるのです。 苦学しながら新制高校を第一期生として卒業した松尾は、早稲田大学法学部に入学する。学費を稼ぐため、アルバイトに追われる日々は変わらずで、大学には週に一度行ければいいほう。「のどかな頃だから、授業料さえ払っておけば、そんなペースでも何とかなった」と言うが、それだけの学力と、生き抜く逞しさがあったということだ。 最後の4年生の時に、遅れを一気に取り戻して卒業したはいいが、不況で大変な就職難の時代でね。子供の頃から歴史が大好きで、その道の研究者になれればと思っていましたが、そんな自由な選択肢があるわけもなく、就いた職は最高裁判所の事務官。役人になることに抵抗はあったけれど、食うためだから仕方がない。そうしたら、司法研修所に配属されて、白表紙の教材をつくる仕事をすることに。これはよかった。仕事のためにライブラリーが自由に使えたから、ローマ法や、高名な法学者の学術書など、普通ならば手に入らないような原典をたくさん読めたのです。大きな財産となりましたね。 ただ、研修所には早稲田の同級生が修習生としていたりする。待遇が全然違うわけで、悔しいでしょ(笑)。日 本の敗戦以降、漠然と、「正しいことを正しいと言いながら食べていける職業は弁護士しかない」と思っていたところでしたから、やはり司法試験を目指そうと決めたのです。 父方に、仙台市長を27年務めた島野武という叔父がいるのですが、彼はもともと弁護士で、戦前、上海の日本租界にも法律事務所を持って活動していました。その叔父が、「必ず合格するから頑張れ。その代わり、一生弁護士だけをやれ」と、背中を押してくれたのも大きかった。働きながら勉強を続け、4回目の挑戦で合格です。「受かったら結婚する」と約束していた、今の妻が発表を見に行って「受かってるよ!」。本当かと、仕事を終えて自分で確かめに行ったら、ちゃんと僕の番号があって、この時はうれしかったなぁ。

弁護士人生の始まり。すべての仕事に自らの理念を貫く

58年、松尾は司法修習生として新たな道を踏み出す。この修習生時代に、松尾という弁護士の骨格を形成する一つの事件があった。検察実務修習において、松尾が幹事を務める12期4班が、「取り調べ習は違憲か否か」という疑問を呈示し、そこから大議論が起こったのである。当時、新聞などにも公表されたこの問題に正対したことで、松尾は、弁護士にとって「最も大切な原則は何か」、つまり人生哲学を現実の場で試され、また試すという貴重な経験を得たのである。 この議論は、初めてではないのです。終戦直後に、遵法精神からヤミ米をいっさい買わずに餓死した東京地裁の山口良忠判事が、同様の議論を起こし、検察修習の時に取り調べ拒否をやった。それが一冊の本になっていて、僕らの班では本をもとに、敗戦後の憲法についてどう考えるべきかを、日頃から議論していました。真面目な時代ですよ。 修習生が直接被疑者の取り調べに当たるのは、憲法違反ではないか? 検察庁で2日間、夜中まで議論しましてね、結果、25人中17人が取り調べ修習を拒否。僕は、そのリーダーで、まとめ役でもありました。〝お上〞に抗う考えが少ない時代なのに、指導担当だった検事は本当にいい人たちで、僕らの白熱した議論に最後まで付き合ってくれた。今でも感謝しているし、忘れることができません。この経験で、僕は「法の定めた正当な手続き条項を遵守する」という、弁護士としての原理原則を心に刻むことになったのです。(以下略) 続きをご覧になりたい方は、バックナンバーをお取り寄せ下さい。すでに在庫がない号もありますので、予めご了承下さい。

■プロフィール

  • 松尾 翼 まつお・たすく
  • 松尾綜合法律事務所
  • 弁護士
  • 東京弁護士会・12期
  • 1931年1月6日 東京都港区生まれ
  • 1953年3月 早稲田大学第一法学部卒業
  • 1957年9月 司法試験合格
  • 1960年3月 司法修習修了
  • 1960年4月 弁護士登録(東京弁護士会・12期)
  • 高木右門弁護士の事務所に入所
  • 1963年4月 松尾法律事務所開設
  • 1967年7月 米国(ダラス)サウス・ウエスタン法律センター夏期講座修了
  • 1969年8月 ワシントン大学ロースクール修士課程修了
  • 1979年5月 事務所の英語名称を「 Matsuo & Kosugi」に
  • 2004年12月 弁護士法人松尾綜合法律事務所に組織変更
  • 家族構成=妻、娘2人