長島・大野・常松法律事務所は、2000 年の合併によって国内初の弁護士100 人態勢を実現した、四大法律事務所の一角だ。統合の陣頭指揮は、事務所代表の原壽氏が執った。
「四大事務所がそれぞれスケールアップしたことで、業界のマーケットは様変わりした。60年代半ばから海外企業との折衝で弁護士を活用する企業はあったが、近年は国内ビジネスでも法律事務所が介在するケースが急増。弁護士数だけでなく、あらゆる分野での専門化が迫られた。そもそも顧客ニーズのないところにビジネスは生じない。要望に対応し続けるうち、結果的に今の規模になったというのが正しい」(原氏)
つまり自発的なマーケティング戦略だけが大型化の理由ではないということだ。同事務所が紀尾井町のビルに移転したのは93年。拠点の選定にも「意図」はあった。情報通信インフラが敷きやすく、フロアを自在的かつ機能的に区切ることができるスペースを所員のために提供することが、拠点選定の優先項目だった。