当初、森良作氏と福田浩氏、本林徹氏、古曳正夫氏、久保利氏の5人の弁護士だった森綜合は、森氏の逝去後も徐々に陣容を拡大。倒産問題に強い法律事務所として、さまざまな企業からの要請に応えていた。
「倒産一本で行くとリスクがあるわけです。景気が良くなれば、倒産する会社も減るわけですからね。となると、倒産に強い事務所は倒産する。何としても、次の柱が必要でした」
折しも総会屋問題が顕在化、国は商法改正の施行を急いでいた。脅しと暴力の陰がちらつく総会対策は弁護士の仕事ではないか。久保利氏は改正される商法の勉強に力を注いだ。頼まれたからやるのではなく、社会的正義を守るために必要なことだと思うからやる。そして、そこに新たなビジネス領域を獲得しようという久保利氏ならではの戦略もあった。メディアへの寄稿、講演会などを通じて、総会対策の必要性を訴えていったのも、それを実現するための一つの方策といえるだろう。
「大事なのは、総会屋に食いつく余地を与えないこと。議案を一つずつ小出しにするのではなく、先に一括して議案説明を行い、総会では招集通知で伝えきれなかったことなどを補足説明し、最後に株主からの質問、動議、意見などを一括して審議するんです。こうすれば、2時間くらいで議事の進行ができるし、株主への説明義務違反にもならない。まして、株主の意見を聞かずに強引に採決してしまうという非民主的な総会運営も避けられます」
この一括上程・一括審議方式で、久保利氏が成果を上げ始めたのは、83年。84年に著書『株主総会の運営・対策』を出版すると、対策次第で民主的な総会運営が実現できることを世に知らしめた。だがその一方で、依然として総会屋との水面下の交際を続けている企業も後を絶たず、総会屋の完全排斥までにはそれから10年以上を要したという。
「彼らはものすごく賢い。常に新しい切り口で、いろいろなことを仕掛けてきますから、総会の前には僕が総会屋に扮して何度もリハーサルするわけです。本物より怖い、なんて言われましたけど(笑)」
そんな久保利氏の存在は、総会屋にとっては厄介者でしかない。総会屋からの嫌がらせは徐々にヒートアップし、銀座にあった事務所のガラス窓には、まさに彼の後頭部を狙ったかのように銃弾の跡が残っていたこともあった。
「大事なことは、どんなことがあってもうろたえないこと。脅されたときに失うものがあると怖いんです。でも僕は、アフリカで死ぬような目に遭っていますからね。そんなことくらいじゃ、驚かないですよ。逃げも隠れもせずに、そのまま仕事を続けていたら、『こいつを脅しても無駄だな』と思ったんでしょうね(笑)。僕なりに理解していたのは、彼らが怒るのも無理はないな、ということです。そもそも株主総会は彼らの活動基盤だったわけで、そこには1000億円からの市場があった。それがある日突然、彼らを閉め出す法案が立法化され、メシの種がなくなってしまうんですからね。彼らも死に物狂いですよ。でも、そんなことがまかり通っていたこと自体、世の中、間違っていたんです。そして間違っていることを正すのが、弁護士である僕の仕事なんです」
だが、時代は進化していく。総会屋との交際を断つ企業が増えれば、より民主的な株主総会の運営が求められる。企業は株主から良好なレピュテーションを獲得できなければ、事業活動を円滑に進めることができなくなる。新しい時代を予見し、日本初の日曜日総会やアトラクション付き総会を演出した。こうして総会対策で培った信頼はやがて、M&Aや企業統治のビジネスサポートへと向かっていくのである。