Vol.81
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弁護士 島田邦雄

HUMAN HISTORY

幅広い知識や経験によって磨かれた“人間力”は、いつの時代においても重要。
そして、弁護士人生を豊かにしてくれる

島田法律事務所
代表パートナー
弁護士

島田邦雄

地元・岡山でのんびり暮らすつもりで選んだ
弁護士という職業

一貫して企業・金融法務畑を歩んできた島田邦雄は、なかでも企業の経営に深くかかわる“経営法務”を得意とする。日常的なリーガル・サービスを提供する法律顧問として、クライアントが直面する多様な課題の解決に、長年にわたって尽力。その存在は、「知る人ぞ知る一流のプレイヤー」として高い評価を受けている。クライアントは大手企業が多く、表には立たず銀行側の立場で関与した案件も含めると、島田は経済界の大きな話題には概ね関与してきたといっていい。当の本人には、いわゆる商売っ気がまったくないが、何より大切にしてきたクライアントとの長く深い付き合い、その信頼関係が今日のポジションを築いたのである。

生まれ育った岡山の環境と同様、私ものんびりした質で、勉強やスポーツに懸命になって打ち込むといったタイプではなかったですね。競って勝ちたいとか、何かを手に入れたいという欲求があまりなく、どちらかといえば内向的な子供。与えられた勉強はせず、自分の好きな本を読んだり、盆栽や錦鯉の世話をしたり……早くから「ご隠居さん」って呼ばれていました(笑)。一方、ずいぶんと本を読んだせいか、おませでシニカルな面はあったと思います。中学生だったある日、先生に「お前は真面目にやったら、すごくいい成績を取れるはずだ」と言われたことがあったんですけど、私が返した言葉は「でも、それでいい大学に行って一流官庁に入ったところで、死ぬほど働くわけでしょう。何かいいことがありますか?」。そんな調子でしたから、イヤな子供ですよね(笑)。

高校生になってからは政治・経済にも興味を持つようになり、学校帰りに本屋や図書館に寄っては、たくさんの本を読み漁ったものです。一時は、自分にその才能はないと自覚しつつも、物書きになりたいと夢を描いたこともありました。ただ、いずれにしても、都会に出て何か華々しくやろうという野心的な発想はなく、ずっと岡山で暮らしたかったから、地元での職業の選択肢としては医者、あるいは弁護士かなぁと。それ以外だと、企業か役所に就職することになるわけですが、私は言いたいことは言うほうだし、出世のために頑張るとか、勤めは向かないだろうと思っていました。で、選択肢は2つながら、私は幼い頃から、注射と聞くと脱走するほどの医者嫌いなので、弁護士を選択したというわけです。

地元の大学でいいと思っていたが、高校に入った頃は成績優秀だったため、「島田君は当然東大よね?」と声をかけた同級生がいた。「それで背中を押されたのが半分、あとは何となく受かるかもという思いもあって」東大を受験。しかし、まともな準備をしないで臨んだ最初の受験はさすがに叶わず、1年間の浪人を経ての東大入学となった。両親は地元を離れることに反対したが、「弁護士ならば独立できるし、岡山に戻ってくるから」と説得しての上京であった。

お金がなかったから、格安の下宿生活ですよ。安酒飲みながら、仲間とよく話はしたけれど、やっぱり本に浸っていました。生協では買わずに立ち読み。授業はあまり真面目に出なかったですねぇ。ただ、単位を取ったわけではないのですが、興味のあった経済学の授業は覗きに行ったりしていました。例えば、当時も赤字国債を出すのがいいのか、悪いのかという話はあって、教授の議論を自分の見解と照らし合わせるのは、それはそれで面白かった。

大学時代を通じて印象に残っているのは、法学者で東大の総長も務められた加藤一郎先生です。おおらかで、立派な方だという意味で。弁護士になって、のちに私が留学する時、加藤先生に推薦状を頼んだことがあったんですけど、先生のもとには、日頃からたくさんの依頼があるから、大変なわけですよ。一般的に、留学生は自分で文面を用意してサインだけもらうというパターンが多いのですが、先生はそれを認めず、推薦状を全部自分で書かれる。在学中はそこまで知らなかったけれど、やっぱりすごい方だなと思いましたね。

3年になって、専門科目が司法試験の科目とかぶり始めたところで、本格的に受験を意識するようになりました。図書館に行くとベテラン受験生がたくさんいて大変そうだったけれど、受験に該当する科目の成績は悪くなかったし、何とかなるんじゃないかと。ですが、4年の初受験では択一でアウト。ちょうど問題の傾向が変わったタイミングで、予備校に行っていた人は皆知っていたようだけど、私は独学スタイルだったから対応できず……。いずれにしても、コツコツ勉強する習慣が身についていないものだから、できるだけ薄い参考書を買って、問題に出そうな箇所だけをやるという手抜きですよ(笑)。それでも、翌年には何とか合格することができました。

経済・金融への興味から、
自然と企業法務を志向するようになった

企業法務に強い老舗の法律事務所に入所し、
東京でキャリアをスタート

地元での開業を前提にしていた島田は、当然のごとく岡山修習を第一志望とし、「めでたく叶った」。そして、クラス連絡委員を務めたり、クラスメートと旅行に出かけたりと、研修所生活を謳歌したのだが、結果的には“路線変更”。経済・金融への興味から、企業法務を志向するようになった島田は、指導裁判官などの勧めも受け、東京でキャリアをスタートすることとなった。

当時は裁判官や検事を希望する人が少なかったので、よく誘われたんですよ。でも、裁判官は岡山で暮らしたいという私の思いと相反するし、検事は権力を笠に着るイメージがあって、どうも好きになれない。だから、弁護士になる気持ちに揺れはなかったけれど、どこで働くかです。岡山で開業するのなら、普通に一般民事をやるんだろうなと思っていましたが、狭い社会であることもまた事実です。「○○先生は昨晩、誰と何時まで飲んでいた」みたいな世界ですから(笑)。どちらかといえば、企業法務を志向していたし、「裁判官にならないなら、若いうちだけでも東京でやってみたら」という尊敬する弁護士や裁判官の言葉に、「確かにそれもあるか」と思ったわけです。

やはり経済への興味が強かったのでしょう。日本の製造業はいずれ発展途上国に追い上げられ、日本は金融立国を目指すことになると予想していたので、そういう意味では、金融が面白そうだと感じていました。現実は違っていて、まったく金融立国になっていないですけど。ちなみに、これは修習時代の話ですが、研修所の二回試験の教養問題で「貿易摩擦について」記述を求められ、これは一番自信がありました。法律より経済が得意な感覚があり、ずっと経済にかかわりたいとは思っていましたね。

修習2年の夏休みに、紹介された東京の事務所をいくつか回るなか、比較的のんびりした感じがあって、かつ、顧問先に大手の金融機関や事業会社が多くてよさそうだと思ったのが岩田合同法律事務所でした。古い名門事務所ゆえに縁故採用が続いていたらしく、私が知る限りでは、この時が初の一般募集のようでした。

弁護士 島田邦雄
「当事務所は、訴訟事件や企業経営にかかわる“経営法務”を得意とし、法律論をはみ出す案件にも積極的に対峙する伝統的な“顧問弁護士集団”といえるでしょう」と、島田氏は事務所の特徴を説明してくれた

結果を見通して、最適な方向に向かわせるために
意を尽くすことが重要

当時の岩田合同法律事務所は複数の事務所の集合体で、それぞれボスの名を冠した「室」に分かれていた。島田が所属した室には重要クライアントも多く、早くから現場で鍛えられたという。そして、いずれ岡山に帰るつもりで入所した島田は、ある意味“フラットな立ち位置”であったから、諸事、調整役としても動く機会が多かった。

所属室のボスが期待を寄せてくれていたから、早々から顧問先の深刻な相談にも加わり、新人ながら度胸がついたように思います。もともと淡々としているというか、冷静なほうなので、例えば、クライアントとの間で行き違いやトラブルが起きた時なども、1年目、2年目の私が後処理に当たったりしていました。そうはいっても新人ですからね、時には食べ物が喉を通らない日々も経験しましたが、問題が目の前にあれば、何とかそれを片付けなきゃという思いは強かった。頑張るというより、その場、その時を所与のものとして受け入れる感覚でしょうか。そうして年数を重ねていくうちに、所属室のマネジメントや、各室全体の取りまとめにもかかわるようになっていきました。

顧問弁護士として法律相談や裁判事件を扱うなか、この頃の仕事で印象に強いのは1989年の「忠実屋・いなげや事件」。買収防衛の先駆け的な案件ですね。銀行の紹介で、私は、秀和に株式を買い占められた忠実屋のアドバイザーを務めることになったんです。で、私としては、当時よくあった高値での株式引き取りは選択肢とせず、まずは安定株主対策を最優先にして持久戦に持ち込むべきだと考えていました。その渦中に出てきたのが、証券会社からの提案、相互第三者割当増資です。「こういう案がある」ということで、忠実屋から意見を求められた時、私は反対したんです。割当価格も安すぎてリスクも高いから、やめたほうがいいと。大方の見方がどうだったかはわかりませんが、裁判所での差し止めは予想していました。

このくだりの結果としては、ほかの事務所が代理人となって第三者割当の発表に至ったわけですが、最終的には仮処分で差し止められました。ここで認められると、私の意見が間違っていたという話になるところでしたが……。私自身は表には出ていないけれど、客観的にアドバイスができた点で、印象に残っています。アメリカではポイズンピルといった例も見られつつありましたが、買い占められている株式を薄めるのは容易じゃないし、かといって、多額の利益を与えて「手を引いてもらう」のも好ましいとは思えない。その後も、継続的にこの種の事件に関与してきましたが、資本市場で株式の売買が自由に行われている以上、どこまでの対抗策が許されるのか……問題意識があり、今も考えさせられることは多いです。

留学を経て、数々の重要な経済案件に関与。
実績と信頼を築き上げる

先の事件と時を同じくして、島田はハーバード大学ロースクールに留学。これは本人の望みというより、国際化を図ろうとする事務所から要請を受けての機会だった。「だんだん故郷が遠くなるな」と思いつつも、留学中は同期にも恵まれ、議論を重ねるなど、充実した時を過ごしたという。

「うちも留学生を出すから、お前が行ってこい」と。私には経済的な余裕がなかったのですが、学費・生活費はすべて事務所が支援してくれるというので、行かせてもらった留学です。ハーバードでは同期に恵まれて、毎日のように酒を飲みながら、よく議論もしました。日本がバブル景気にあり、資産価値が急激に上がっている時代でしたから、経済政策に関する話題も多かったですね。例えば、不動産や株で儲けている不労所得者が増えると、格差社会となって社会的安定を害するという議論。要は「けしからん」という話で、同期の大方は、当時のマスコミと論を同じくしていましたが、私は違っていました。

まず、根本のところでは、自分との比較で他人が豊かになることが問題視されるべきではないと思うのです。国民皆がそれぞれに今より豊かになればいいわけで。そして、けしからんといって不動産や株式の市場を暴落させる経済政策を採ると、すでに上がっている価値を引当とする信用創造が生じている以上、貸付金の不良化によって金融機関の経営危機を招くと考えていました。総量規制だのなんだのをやっていましたからね、「このままだと銀行が危ないよ」と。「銀行は潰さない」と言う人もいたけれど、結果は周知のとおり……帰国後、私は破綻金融機関の処理に走り回ることになったわけです。今でも、これが後に続く日本経済停滞の元凶だと思っています。

ロースクールを修了したのは90年。それこそ日本企業がアメリカを買いまくっている絶好調の時代ですから、現地の法律事務所は、日本人というだけで「うちにこないか」みたいな感じですよ。今では考えられないようなチヤホヤされた環境のなか、ニューヨークの法律事務所で研修し、その後はブリュッセルに移りました。EC(当時)本部がある同地は主要国どこに行くにも便利ですし、もともと親しくしていたクデール・ブラザーズ法律事務所でお世話になりながら、私もヨーロッパを見て回ろうと。実際、欧州各国を歴訪しました。単なる観光としてはエーゲ海クールズがよかったですかね(笑)。ほか、ローマやパリも素晴らしかったし、ハーバードの仲間と1日ごとに違うスキー場を巡ってみたり……“外”はやはり新鮮で、いい経験になったように思います。

弁護士 島田邦雄
もともとは地元・岡山で弁護士として活動するつもりだったという。しかし、東京で弁護士活動を開始してから今年ですでに36年。クライアントとの間に構築してきた信頼関係が磁力となり、島田氏をこの場所に留めているようだ

91年の年末に帰国し、翌年から所属室に復帰した島田は、大きな案件や、メガバンクをはじめとする重要クライアントをほぼ一手に担うようになる。島田が予見していたように、バブル崩壊後、日本の銀行は膨大な不良債権を抱え込むこととなり、とりわけ追われたのは、不良債権問題、破綻金融機関の処理であった。

帰国してからの何年かはすごかったですね。都市銀行の数千億円に上る巨額不正融資の後処理に当たり、破綻処理の受け皿機関の関係では、北海道拓殖銀行の営業譲渡までを担当しました。また、メガバンク統合の際には様々な実務的な問題が発生して対応に追われますし、不良債権案件も多々抱え、短時間睡眠が習慣化してしまったのはこの頃からです。案件金額が100億円とか普通にありましたから、緊張感もあって朝早く目が覚めちゃったり……精神はわりにタフなほうですが、それでも忙殺されるような日々でした。

バブルの後始末が終わると、デリバティブなどの金融商品関係訴訟が頻発し、扱った訴訟事件は多いです。なかには絶対に銀行を勝たせないという裁判官もいるけど、訴訟については概ね勝ち切ってきたつもりです。たまにミラクルなこともあって、訴えられた銀行が逆に和解によって、元本に加えて遅延損害金の相当部分の回収に成功した事案や、狙いをつけていた隠し財産を本人尋問で“白状”させて債権回収した事案などは印象深く、気持ちよかったですね。あえて尋問で相手を怒らせると、我を忘れてしゃべっちゃうことがある。淡々とした私も、時には下品になる場合もあるという話です(笑)。

「これ一つ間違うと会社が潰れてしまう」という局面をうまく凌げれば、感謝もしてもらえるし、やはり達成感はあります。だから、難しい案件にはよりファイトが湧く。「難しい」という点をいえば、法律は人がつくって運用しているものだから、論理性が基本となるにしても、実務上では、世間の考え方や個々人の感情で結論が大きく変わったりするわけです。会社で生じる案件にしても、裁判にしても、かなり人間くさいところがある。ゆえに、結果を見通して、最適な方向に向かわせるために意を尽くすことが重要だと思うし、その過程で人に理解を求めることの難しさは、翻れば“やりがい”につながっている気がします。

50歳の時に事務所を開設。変わらぬ理念と流儀を軸に、さらなる深化を追求する

島田法律事務所を開設したのは2010年。弁護士としてキャリアをスタートさせてから25年近く経ってのタイミングだ。背景には、所属室の当時のトップ弁護士の病を境に、事務所内で不和が起きたという経緯がある。パートナーになる前から、事実上経営にかかわっていた島田はトップから頼られていたが、当然、それを好ましく思わない人たちもいた。トップを目指す欲や、無理をしてでも争うという発想がない島田は、結果、新しい事務所をつくる道を選ぶことになる。

この時に支援してくれたのは、複数のクライアント企業でした。不動産会社の人はすぐに入居できるオフィスを提供してくれましたし、内装会社の手配や、それらにかかる費用は銀行が融資などで用意してくださった。大手企業は概ねクライアントとして継続することとなり、そして、中堅の弁護士たちも集まってきてくれて、本当にありがたかったですね。当初は10人ほどの体制だったでしょうか。メンバーが大勢いて運営していくのは大変だというのもあって、もともとは少数精鋭、「気楽にいい仕事をしよう」と集まった仲間です。もっとも、追って出向を終えた若手が入ってくるなど、時経たずして人員は増えていったのですが。

結果的に、メガバンクや電力、重工、製鉄などといった大手企業を顧問先とし、伝統的な顧問弁護士スタイルを取っている点でいえば、カルチャーも含めて仕事の中身もクライアントもそのままで、事務所名が変わった感じになっています。ずっと変わらず第一義にしているのは、クライアントとの長期的な信頼関係。日常的な相談から経営に直結する相談まで幅広くお受けする以上、相互の絶対的な信頼関係は不可欠です。何かあった時、なかなか言いづらいようなことでも、隠し事なく伝えていただける関係。それがないと、結論を間違えかねないし、いい仕事ができません。どのような状況でも最適解を導き出すのが、我々プロの役割なのですから。

「島田先生なら何とかなるかも」と言っていただくのは、プレッシャーもありますが、私にとっては何よりありがたい話。応えたくなりますよね。例えば、マスコミで名前が売れるということにはあまり興味がないんです。経済的にもそう。事務所の仲間が一定の余裕を持てるよう務める責務はありますが、まぁ事務所発足の経緯もあって、うちには「食うに困らない限り、気持ちよく仕事ができればいい」という仲間が集まっているように思います。

いい経験も、大変な経験も
すべてが今日の糧になっている

現在の弁護士数は約40名。公正取引委員会や金融庁の出向経験者、裁判官経験者など、その顔ぶれも多彩になってきた。顧問先は100を超えており、社会・経済に大きな影響を与える立場にあるクライアントも少なくない。「モラルとクオリティ」という理念に基づき、今後もいたずらな規模の拡大や収益追求は図らず、「自然体でありたい」と島田は言う。

100人規模の事務所にするとか、そういう発想はなく、“知る人ぞ知る”存在でいいと思っているのですが、実際には忙しいですし、年代構成も壊さないようにと考えると、そうはいっていられず……まぁ自然体で増えていくのかなと。仕事についても銀行関係が多いとはいえ、全体としてはメーカーの案件も等量で、取り扱い分野も広がっています。M&A、危機管理、独禁法をやる人もいれば、電力会社側で原発訴訟に取り組む人もいる。皆に「自分の強みをつくりたい」という気持ちがあるから、事務所内でまだ誰もやっていない分野は何かと考え、動いている。本人の自主性を尊重してできる限りのサポートはしていますが、結果として、ごく一部の分野を除けば誰かが対応できる状況になっています。今後も自然体で、より深化できればと思いますね。

遠い将来はわかりませんが、いつの時代にもこういう事務所の存在は必要でしょう。多くの弁護士の手を必要とするもの、作業的なものはAIによる効率化が進むでしょうけど、一般民事が典型で、人間が悩みを聞くことで問題の半分くらいは解決するものです。企業にしたって同じ。大手企業の人は、「コーポレート・ガバナンスコードにはこう書いてある」「会社法はこうなっている」といった建前はわかったうえで、現実の不条理や極めて人間くさい運営のところでの課題に悩むことが多いんです。少々青い言い方をすれば、弁護士には人間力も含めて、それをうまく処理できる力量が求められるのだと思う。企業法務だって、まさにこの点は大きい。

人間力というのは、持って生まれたセンスもあるのでしょうが、幅広い知識や経験によって磨かれていくものです。音楽でも文学でも、広い世界から得られるものは様々あるはずで、そういった教養や感覚を踏まえたうえで経験を重ねることが大切。ジェネラリストかつスペシャリストであれ、です。私自身、種々の問題に巻き込まれて苦労したこともあったけれど、ひっくるめて多くの経験をさせてもらったのは、弁護士として本当によかった。今、事務所内に限らず、親密な関係のクライアントも含め、“仲間”に恵まれていることが非常にありがたく、私にとって何よりの財産だと思っています。

※取材に際しては撮影時のみマスクを外していただきました。

弁護士 島田邦雄
現在の所属弁護士は約40名。写真は、事務所の客員弁護士・小長啓一氏(通商産業事務次官、アラビア石油株式会社取締役社長などを歴任)との談笑風景。小長氏と島田氏はともに岡山出身。アラビア石油がクライアントだったことが縁となって出会い、客員弁護士としてお招きしたそう。島田氏は現在、東京岡山県人会の役員を務めている