30年以上にわたり、企業法務を主戦場としてきた棚橋元は、この分野の開拓者でもある。早期よりM&Aやプライベートエクイティ案件に多数関与し、そのなかには、前例がないスキームを構築してインパクトを残した仕事も少なくない。また、シリコンバレーでの執務経験から、ベンチャー投資、IT系などの案件にも精通しており、いずれにおいても、根底に流れているのは進取の精神だ。もともとは裁判官志望だった棚橋が弁護士の道を選んだのは、「チャレンジするなら、将来が読めないほうが面白そうだったから」。そして実際に、自ら機会をつくり出し、チャレンジを重ねてきたことで、棚橋は今、「存分に楽しく仕事ができる場」に立っている。
生まれは東京ですが、日本銀行に勤めていた父親の転勤に伴ってけっこう動いたんですよ。小学校に上がる時に香港へ行き、その後は大阪、兵庫と、4年生の後半に東京に戻るまで転校すること4回。最初は“よそ者”になるから、そこでどう動くか、溶け込むかといった、ある種の処世術は身につきましたよね。一貫して勉強は不得意じゃなかったし、足が速かったものだから、どこの学校でも運動会ではリレーの選手になるとか、いわば文武両道、それが自分のアイデンティティだと思っていました。
一方で、幼い頃からずっと持っていたのは、世の中の強いものに対する反発心です。わかりやすいところでいうと、アンチ巨人。V9時代のジャイアンツが嫌いで(笑)。主流というものに対して「それが当然ではないよね」という感覚があったし、“人と同じ”がイヤだったのでしょう。要は、根があまのじゃくなんですよ。
武蔵中学校に入学してから始めたのがテニスで、結果的に生涯の趣味となりました。けっこう頑張って、中・高時代は大きな団体戦にも出て、勝った、負けたに熱くなっていましたね。成績もトップクラスを維持し、高校を卒業する時には根津賞をもらったんですけど、実際のところ、そういうポジションをキープするのは大変でした。この頃はテニスと勉強だけの毎日で、自分なりにですが、文武両道であることに少々意地になっていた気がします。
進路を考える段になっても、具体的な職業イメージはなかったんですよ。ただ一つはっきりしていたのは、銀行員にだけはならないと。父も親族の多くも銀行員だったから、同じことをしても意味がない(笑)。なので、違う世界に行きたくて法学部を選んだという経緯です。実は、記憶にはないのですが、高校時代の友人が覚えていたことがあって。将来の夢として、私は何かに「国際司法裁判所の裁判官になって、国際紛争を解決したい」と書いたらしいのです。法曹の世界などまったく知らなかったはずなのに、たぶん教科書から得た生半可な知識で書いたんでしょう。一応、国際派を標榜していたという話です(笑)。
東京大学に現役合格した棚橋は、それまでの頑張りから開放されて、「自由にのんびりしていた」。学内最大・最強の東大トマトテニスサークルにも入ったが、しばらくは活動に熱が入らず、友人らと旅に出るなど、よく遊んだという。あらためてエンジンがかかったのは、本人曰く“人生の夏休み”を経た半年後のことだ。
1年の秋から本格的にテニスに勤しみ、追ってサークル活動全体にもかかわるようになりました。忙しくて講義にはほとんど出なかったけれど、当時はバブル期だったから、就職や将来に不安を抱く学生などいなかった時代です。私も深く考えずにサークル活動に熱中し、いずれはどこかに就職するんだろう、くらいの感覚でした。
そんな日々のなか、団体戦を終えた2年生の秋頃に、時間が空いてたまたま刑法の講義に出たんですよ。刑法の第一人者である西田典之先生の刑法総論で、これがとても面白かった。具体的な事例を挙げながらの講義は理屈としてわかりやすく、法律は面白いかもしれない――そう思わせてくれたのです。先生の影響って大きいですよね。
刑法に興味を持ってから勉強するようになり、3年の秋学期に選択したのが山口厚先生(元最高裁判事)のゼミです。学ぶのは刑法原論で、例えば違法性、有責性の本質を原書で読むみたいな……。所属するのは研究者を目指す人とか、大学院生が大半で、学部3年生は私だけ。しかも、テニスで真っ黒に日焼けしていて、時には「次回は試合なので欠席します」と平然と言い放つものだから(笑)、私はさぞ異質に映っていたと思いますよ。それでも、ゼミのみなさんには優しくしてもらった。こうした先生方や環境に恵まれ、徐々に法律の世界にシフトしていったという感じです。
どうせなら難関の司法試験にチャレンジして、資格という確たるものを持って社会に出よう。遅まきながらそう考え、初めてトライしたのが4年の時。ですが、ものの見事に短答に落ちて、そんな甘いものじゃないと思い知らされました。そこから1年間は留年して完全に勉強モードです。受験に向けて予備校に行くのは性に合わないので、いわゆる基本書をベースに、ひたすら自分で理解していくスタイルを貫きました。
もとから得意科目だった刑法に加え、とりわけ集中したのは憲法。基本は人権でしょう。多数者による支配は法治国家の前提ではあるけれど、そこで救われない少数派の人権に思いを致すのが憲法だと学んで、自分の価値観と合致したのです。そして、実務家になるのであれば裁判官だと。「裁判官になっていい憲法判断を下す。その判決によって一つでも世の中が変われば」と本気で思っていたし、それが勉強を継続するモチベーションにもなったのです。今にすれば、青くさい話ですが(笑)。