弁護士の肖像:2017年3月号 Vol.56

弁護士の肖像

アトーニーズマガジン 弁護士の肖像

日本のリーガルサービスを牽引する、著名な弁護士の素顔や仕事観・人生観をご紹介。

Human History

弁護士の肖像

矢吹法律事務所 弁護士 矢吹 公敏

父の背中を見て育ち、幼い頃から心にあった「弁護士」への道

現在、独占禁止法(独禁法)を主領域とする矢吹公敏は、ChambersAsia-Pacificで8年間にわたり、独禁法部門のトップグループに選出されるなど、その手腕は国内外問わず高く評価されている。傍からはスペシャリストに映るが、聞けば、矢吹自身が当初志向していたのは「スーパージェネラリスト」だという。これを「少なくとも3分野において精通し、依頼者に対して常にベストの助言ができる弁護士」と定義し、実際、矢吹は独禁法以外の分野でも高い専門能力を発揮する。他方、プロボノとして国際司法支援・法整備支援活動にも長く携わっており、社会貢献にも力を尽くす。こういった広い足場での〝実行〞こそが、矢吹の持ち味であり、強みなのである。

「僕は弁護士になりたい」。小学校の卒業文集には、すでにそう書いていました。弁護士だった父から影響を受けたのは確かで、幼い頃から弁護士以外の職業を考えたことはないんですよ。裁判官出身の父は、司法研修所の教官なども務めていたから、家には若い弁護士や司法修習生たちの出入りもあって、それとはなしに耳に入る話が子供心にも面白かった。「困っている人を助けてお金をもらえるなんて、いい仕事だなぁ」と、単純なものです(笑)。僕はそんなに勉強ができたわけじゃなく、本命の中学受験は失敗。当時まだ新興だった、中高一貫の駒場東邦に二次募集で入ったんです。今は進学校として有名ですが、通っていた頃はなかなか粗削りで。僕自身、高校時代は髪を肩下まで伸ばし、ロンドンブーツで原宿や六本木あたりを闊歩していたんです。ある時、先生が「長髪を切れ」と言い出したので、談判しようと校長室に押しかけこともあります。結果的に、当時の校長は理解を示してくれたのですが、PTA会長をしていた父が「好きなだけ伸ばさせればいい。いつか自分で理解する」と学校側に言っていたそうです。この件一つをとっても、僕は父のことが好きだったから、なおのこと影響を受けたのでしょう。思い返すと、僕は成長過程でリーダー的なポジションにいることが多かったんですね。小学生時代はサッカークラブ、中高では水泳部のキャプテン、そして、大学ではスキー部の会長という具合に。この経験からつくづく感じたのは、本当に好きなことを懸命にやらなければ、組織を率いて成果は挙がらないということ。スキーは大好きなので身が入ったけれど、水泳はそれほどでもなかったから、記録は後輩に抜かれるし、最終的に残った同学年の部員も2人になってしまった。やはり、自分が好きなこと、〝これは〞と思うことでなければ頑張れないし、力も発揮できない。シンプルだけど、この頃に得た学びは、今も生きています。

私大に合格したものの、高校の教頭の勧めに従い、矢吹は1年浪人して東京大学に進学する。当然、弁護士を意識しての法学部入りではあったが、「遊んでばかりで、勉強しなかった」。司法試験に向けて本気になったのは留年してからと、その出足は遅かった。

スキーに一生懸命で、あとは麻雀やったり、飲みに行ったり……とにかく、授業には3年の終わりまでほとんど出席せず。今思えば、授業をなめていたのでしょう。大教室で憲法を聞いても面白くなかったし、なぜ法律を勉強するのか、本当の意味での自覚がなかったのだと思います。司法試験も「受かるもの」と、甘く見ていました。これが大変な間違いだったというわけです。さすがにまずいと腰を上げ、司法試験の勉強を開始したのは4年になってから。当然落ちて、その後2年留年して臨んでもダメでした。もちろん、この間は必死に勉強し、法学の面白さも理解するようにはなっていました。なかでも留年後から授業に出て学んだ労働法や民訴法は面白かったし、平野龍一刑法と団藤重光刑法の基本書を読んだ時は、その対立する学説に社会への洞察を感じ、感動したものです。結局、合格したのは大学卒業後で、28歳になった年。途中、弁護士が自分に合っているのかと本気で悩んだ時期もありました。それで僕は自分と向き合うために、不二禅堂の創設者である辻雙明老師に師事して参禅したり、後に浄土宗門主となられた中村康隆師のもとで得度し、茶道を習い始めましたが、それらが精神的な成長をもたらしてくれた。「本当に弁護士になりたいのか?」に答えを出すことができ、以降、一度も道を疑うことなく歩んでこられたのは、このモラトリアムがあったから。何も悩まず迷わず、すんなり事が進んでいたら、今の自分はなかったでしょうね。

猛烈に仕事をした勤務時代を経て独立。様々な経験が礎に

「真面目に勉強した」修習生時代には、並行してサイマル・アカデミーにも通い、実践的な英語をしっかり学んだ。矢吹には「国際的な仕事をしたい」という思いがあったからだ。貧困に苦しむ国のニュースなどを見れば、「困っている人たちに、何か手助けとなる仕事ができないだろうか」と考えたそうで、矢吹の視野は、当初から広く世界に向けられていたのである。

漠然とですが、国際的な舞台に憧れたのです。それと、いずれ父の事務所に戻るつもりでしたが、まずは他人の飯を食って、自分を鍛えたかった。複数の法律事務所を訪問したなか、両方の思いを叶えられそうだと選んだ先が、長島・大野法律事務所(当時)でした。まだ20名強の規模だった頃です。僕は長島先生の仕事が多かったんですけど、一番驚いたのは、最初から「一人でやってみろ」方式だったこと。まずは研修の機会があって、じっくり育ててくれるものと期待していたのに(笑)。例えば、外資系投資銀行の日本支社長の家で修繕トラブルが起きた時など、まだ〝1年生〞で英語も怪しい僕に、いきなり「行って収めてこい」と。何とか解決しましたが、先方の社長婦人と業者の間で、文字どおり冷や汗ものでした。長島先生の教育方針はOJTで、時折、大きな雷はドーンと落ちるんだけど、基本は「任せて育てる」。今の大手事務所のような手取り足取りとは真逆でしたが、鍛えられたのは確かです。バブルの時代でしたから、不動産取引や大型M&Aの案件にもずいぶん携わってきました。デューディリジェンスのために全国を回ったり、3日間一睡もしなかったことがあるくらい猛烈な日々でしたけど、これもまた肥やしになった。M&Aが出始めた時期の仕事は試行錯誤で、お手本がないなか、正しいと信じながら、知識や気づきを得ていく過程を経験してきたことは、ものすごく勉強になりました。

在籍中、米国コロンビア大学ロースクールを修了した矢吹は、1992年、ニューヨーク州弁護士登録を果たす。海外の法律事務所での仕事も経験し、十分に力を備えた矢吹は、ちょうど40歳になる年に、父親の事務所に戻ることを選択する。もとより予定していたこととはいえ、仕事環境としてはドメスティックである。スケールの大きな国際的案件を扱ってきた矢吹に、迷いはなかったのだろうか……。

退所したのは、父が70歳、僕は40歳になる年で、父の事務所に戻る節目だと思ったんですね。長島・大野の仕事は大企業を顧客としたダイナミックな案件が多く、多くのやりがいある仕事を任せていただきました。ただ昔から、もっと人に寄り添うような仕事もしてみたいという思いがあった。そんな方向性もあり、父が起こした〝町弁〞を継ごうという決意が固まったのです。独立後も長島・大野で個人として引き受けていた仕事をそのまま継続でき、当時日本に進出したGEキャピタル(以下GE)の案件も紹介していただきました。週に何度かGEの事務所に出社し、内側から同社の事業案件に携わるなど、いわゆる社内弁護士の立場として行う業務です。この時に、外資系企業のコンプライアンスやインテグリティなどの概念をしっかり学ぶことができ、今につながる得難い経験をさせてもらいました。今、うちの事務所は独禁法で名前が売れていますが、僕が戻ってから6年間ほどは、実に様々な案件を扱っていたんですよ。GEでは企業訴訟の際の代理人も引き受けたし、事業会社の労働事件、中規模M&A、不動産証券化、ほか刑事事件や離婚事件もやりました。あと、僕の隠れた専門分野なのですが、父から引き継いだ寺院にまつわる事件も。僕自身、宗教法人審議会の委員をやったり、佛教大学でも教えていたんですよ。今でもお寺からの依頼が昔ほどではないけれどありますね。振り返って考えると、様々な事件をとおして、今ある弁護士としての自分の素地が出来上がっていったんだなあと。多様な仕事にかかわりながらも、その時その時、自分の頭で一生懸命〝解〞を考える。どんな職業であっても、それがとても大切だと思うんです。(以下略)
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■プロフィール

  • 矢吹法律事務所
  • 弁護士
  • 矢吹 公敏
  • 1956年 8月 22日 東京都目黒区生まれ
    1982年 3月 東京大学法学部卒業
    1984年 10月   司法試験合格
    1987年 4月   司法修習修了
    弁護士登録(東京弁護士会・39期)
    長島・大野法律事務所入所
    1991年 5月   コロンビア大学ロースクール修了(LL.M.)
    Covington&Burling法律事務所入所(~1993年)
    1992年 4月   ニューヨーク州弁護士登録
    1996年 4月   矢吹法律事務所へ移籍
    1999年 4月   学校法人大乗淑徳学園理事(~現在)
    2000年 6月   ユーピーエス・ヤマト株式会社
    (後にユーピーエス・ジャパン株式会社)
    監査役(~2005年)
    2003年 4月   財団法人国際民商事法センター
    学術評議員(~2016年)
    2008年 6月   エーザイ株式会社社外取締役(~2012年)
    2013年 6月   株式会社リコー社外監査役(~現在)
    2015年 6月   住友生命保険相互会社社外取締役(~現在)

  • ■教職関係

  • 2001年佛教大学文学部非常勤講師(宗教法制)(~2009年)
    2006年東京大学法科大学院(経済法)
    非常勤講師(~2008年)
    2009年早稲田大学法科大学院(法整備支援活動)
    非常勤講師(~現在)
    2010年一橋大学大学院国際企業戦略研究科(独占禁止法)
    教授(~現在)