Vol.34
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PIONEERS

全盲の弁護士だからこそ、できることがある。依頼人の絶望、困難と戦い、希望を与え続ける法律家に

大胡田 誠

弁護士法人つくし総合法律事務所
東京事務所
弁護士

#24

The One Revolution 新・開拓者たち~ある弁護士の挑戦~

どんな仕事でも、いや普通に生活するのでさえ、目がまったく見えないことの困難さは、想像に難くない。まして難関の司法試験を突破し、弁護士として法廷に立つなど、ほとんど奇跡だろう。大胡田誠は、その奇跡を成し遂げた、日本で3番目の人間である。多感な時期に光を失った男は、だからこそ法曹の道を選び、彼ならではの弁護に勤しむ。

偶然〝ぶつかった〞一冊に導かれ

僕は先天性緑内障という病を持って生まれました。小学校に入った頃の視力は0・1あるかないか。それでも本も読めるし、友だちと外を駆け回ることもできました。ところが6年生になると急速に視力が衰え始めて、夏休みが終わる頃にはほとんど見えなくなってしまった。

それは切なかったですよ。取り戻せるものなら、視力を取り戻したかった。理科の実験で使ったホウ酸が、「目薬の原料になる」という先生の説明を聞いて、そっとポケットに忍ばせて持って帰り、夜な夜な目にすり込んだりしたこともありました。

全盲になってからは学校に行くのも嫌でたまらなかった。白い杖をついて歩く姿が惨めに感じられて、友だちにも見られたくなかったのです。それで小学校を卒業すると、誰も僕のことを知らない東京の筑波大学附属盲学校(当時)への入学を決めました。

僕の人生を決定づける一冊の本に出合ったのは、中等部2年の時でした。夏休みの読書感想文の宿題を片づけるために、何を読もうかと図書館で本を探していると、指が『ぶつかって、ぶつかって』(かもがわ出版)という点字の表題に触れた。失明という運命に〝ぶつかった〞ように感じていた僕は、なんとなく自然と手に取っていました。それが日本初の全盲の弁護士、竹下義樹先生の手記だったのです。

軽い気持ちで読み始めたのですが、中身は感動的でした。点字の司法試験などない時代に、絶対に弁護士になると志し、法務省にかけ合って試験を認めさせ、9回のチャレンジで合格。全盲になって、いろんな道が閉ざされたと思っていた僕に、そう考えるのはお前の心が勝手に制限を設けているからじゃないか、と気づかせてくれた。何より、弁護士ってかっこいい(笑)。これからは人の世話になって生きていくしかない、と思い詰めていた僕は、あの本に出合って自分も誰かに手を差し伸べられる人生が送れるんだ、という希望を見つけました。

表情は取り繕えても、声は難しい

「日本で3番目の全盲の弁護士」というと、何か〝鉄の意思〞を持った人間をイメージするかもしれません。実は根っからの怠け者なんですよ、僕(笑)。司法試験突破を目標に定めて慶應義塾大学法学部に入学、受験予備校の通信教育を始めたまではよかったのですが、大学のほうも何かと忙しくて、予備校から送られてくるビデオCDは、部屋の隅に積み上がるばかり。覚悟を決めて勉強を始めたのは、大学を卒業して実家に戻ってからですね。でも、なかなか結果は出ませんでした。

大学4年の時から数えて4回目の試験に失敗した時、さすがにあきらめようかと思った瞬間があったんです。で、母親に「勉強を続けようかどうか、迷っているんだ」と相談すると、頑張れでもやめろでもなく、「自分の心が温かいと感じるほうを選びなさい」と言うのです。人にどう見られるかとか、損か得かではなく、自分の気持ちに正直になれ、という意味だったのでしょう。そう言われ、胸に手を当ててみると、まだ燃えるものが残っていた。あの時の母の一言は、今でも僕の生き方の指針になっています。

ちょうど司法試験改革が実行されたのもラッキーでした。ロースクールで〝過酷〞な授業をこなしながら合格に近づく、というやり方は、僕に合っているように思えたのです。それで大学院に入り直し2年勉強して、2006年に念願の司法試験合格を果たすことができました。

視覚障がい者は、読むこと書くことそれと移動に、特に不便を覚えます。ですから弁護士業務には、画面読み上げ機能の付いたパソコンとか、点字電子手帳とかのIT機器が欠かせません。それでも足りない部分は、アシスタントとの連携でカバーします。例えば証拠写真は「右手の甲に痣があります」なんていう具合に説明してもらうわけ。警察署や裁判所などに出かける時は、エスコートしながら順路の特徴を教えてもらいます。2度目からは「3つ目の信号を渡り、左に36歩で入口」などという頭の中の〝位置データ〞を引き出して、一人で行きますよ。

相手の顔も見えないのに、どうやって弁護をするんだと思われるかもしれません。確かに視覚がゼロなのは大きなハンデです。ただし、そのぶん聴覚や嗅覚には情報がストレートに入ってくるんです。声の震えとか微妙な抑揚だとかで、法廷でも「この証人は嘘をついているのでは」とピンときたりしますね。表情は取り繕えても、声は難しい。においにも敏感で、「法律事務所に酒臭い息で来るんだから、相当生活が荒んでいるな」とか(笑)。目が見えるかどうか以上に大事なのは、相手のことを全身全霊を傾けて知ろうとするか、ではないでしょうか。

尊敬する竹下先生が東京に事務所を開くという話を聞き、半ば強引にお願いして、今年メンバーに加えていただきました。前にいた渋谷シビック法律事務所は、公設のいわゆる〝まち弁〞で、借金、離婚、相続、交通事故といった裁判が中心。派手ではないけれど「人生のどうしようもない困難」です。これからも、そうした本当に困った人たちが最初に駆け込めて、心に希望の灯が点せるような存在でありたい、と気持ちを新たにしています。

僕には障がい者からの依頼も多いんですよ。ゆくゆくは、障がい者専門の法律事務所をつくりたい、なんていう夢もあるんです。

なんだかんだ言って、ハンデを抱えた僕がここまで来られたのは、家族や友人、その他数限りない人の支えがあったからこそ。そうした思いに応えるためにも、毎日の仕事を決して疎かにしてはいけない。それだけは肝に銘じています。