「日本で3番目の全盲の弁護士」というと、何か〝鉄の意思〞を持った人間をイメージするかもしれません。実は根っからの怠け者なんですよ、僕(笑)。司法試験突破を目標に定めて慶應義塾大学法学部に入学、受験予備校の通信教育を始めたまではよかったのですが、大学のほうも何かと忙しくて、予備校から送られてくるビデオCDは、部屋の隅に積み上がるばかり。覚悟を決めて勉強を始めたのは、大学を卒業して実家に戻ってからですね。でも、なかなか結果は出ませんでした。
大学4年の時から数えて4回目の試験に失敗した時、さすがにあきらめようかと思った瞬間があったんです。で、母親に「勉強を続けようかどうか、迷っているんだ」と相談すると、頑張れでもやめろでもなく、「自分の心が温かいと感じるほうを選びなさい」と言うのです。人にどう見られるかとか、損か得かではなく、自分の気持ちに正直になれ、という意味だったのでしょう。そう言われ、胸に手を当ててみると、まだ燃えるものが残っていた。あの時の母の一言は、今でも僕の生き方の指針になっています。
ちょうど司法試験改革が実行されたのもラッキーでした。ロースクールで〝過酷〞な授業をこなしながら合格に近づく、というやり方は、僕に合っているように思えたのです。それで大学院に入り直し2年勉強して、2006年に念願の司法試験合格を果たすことができました。
視覚障がい者は、読むこと書くことそれと移動に、特に不便を覚えます。ですから弁護士業務には、画面読み上げ機能の付いたパソコンとか、点字電子手帳とかのIT機器が欠かせません。それでも足りない部分は、アシスタントとの連携でカバーします。例えば証拠写真は「右手の甲に痣があります」なんていう具合に説明してもらうわけ。警察署や裁判所などに出かける時は、エスコートしながら順路の特徴を教えてもらいます。2度目からは「3つ目の信号を渡り、左に36歩で入口」などという頭の中の〝位置データ〞を引き出して、一人で行きますよ。
相手の顔も見えないのに、どうやって弁護をするんだと思われるかもしれません。確かに視覚がゼロなのは大きなハンデです。ただし、そのぶん聴覚や嗅覚には情報がストレートに入ってくるんです。声の震えとか微妙な抑揚だとかで、法廷でも「この証人は嘘をついているのでは」とピンときたりしますね。表情は取り繕えても、声は難しい。においにも敏感で、「法律事務所に酒臭い息で来るんだから、相当生活が荒んでいるな」とか(笑)。目が見えるかどうか以上に大事なのは、相手のことを全身全霊を傾けて知ろうとするか、ではないでしょうか。
尊敬する竹下先生が東京に事務所を開くという話を聞き、半ば強引にお願いして、今年メンバーに加えていただきました。前にいた渋谷シビック法律事務所は、公設のいわゆる〝まち弁〞で、借金、離婚、相続、交通事故といった裁判が中心。派手ではないけれど「人生のどうしようもない困難」です。これからも、そうした本当に困った人たちが最初に駆け込めて、心に希望の灯が点せるような存在でありたい、と気持ちを新たにしています。
僕には障がい者からの依頼も多いんですよ。ゆくゆくは、障がい者専門の法律事務所をつくりたい、なんていう夢もあるんです。
なんだかんだ言って、ハンデを抱えた僕がここまで来られたのは、家族や友人、その他数限りない人の支えがあったからこそ。そうした思いに応えるためにも、毎日の仕事を決して疎かにしてはいけない。それだけは肝に銘じています。