私は、父から「仕事はお金が第一目的ではない」といった教えを受け、大学3年の時に、“人の権利や自由を擁護して社会の役に立てる”弁護士になろうと決意。ちなみに父は、国立大学の農学部で教鞭をとりながら、JICAを通じてモンゴルなどの開発途上国で技術支援をしていました。海外土産をもらったり、父のもとを訪れる留学生と触れ合った経験から、「知らない世界を見てみたい」「開発途上国で仕事をしてみたい」と思うようになりました。
弁護士登録後は、事業再生にまい進しました。一方で、国際活動への興味も高かったので、日弁連の国際交流委員会に所属。登録2年目には、在留資格手続きを扱う入管法施行規則に基づく届出済証明書も取得しました。そんなある時、名古屋大学が運営する日本法教育研究センター(海外の学生に、日本語で日本の法律を教えるもの)の公募に挑戦。特任講師に選ばれ、ベトナムのハノイで日本法教育を行うことになりました。派遣期間の2年間は弁護士業務を休業し、ベトナムの日本法教育研究センターの運営管理業務と教育、研究業務に従事しました。「日系企業に就職したい」という教え子たちのために、インターン先となる企業開拓も行いました。派遣期間を終えて帰国すると、彼らを受け入れてくれた企業から、「あの時の留学生は非常に優秀だったので、また採用したい」と依頼され、ベトナムの大学側に企業を紹介するお手伝いも。その時、企業担当者から「弁護士なら在留資格手続きもできますよね?」と尋ねられ、外国人在留資格申請に関する手続きも併せて行うようになったわけです。
外国人雇用は、送出国の労働市場法、日本の労働市場法や労働法など、様々な法制度がつながっています。“労働力移動のプロセス全体”を一体的に捉え、対応していく必要があるのです。私はベトナムの教え子たちの就職支援をしたおかげで、 “国際労働移動”の中核である入管法や入管業務はプロセス全体において重要だが一部であり、それが全てではないと知りました。また、送出国とホスト国両方の労働関係法令に業際なく対応できる専門家が非常に限られていることも体感することになりました。当時も、そして現在もまだ、本格的に着手している弁護士が少ないこの分野に早期から取り組んだことが、今の私の原点になっています。